連載第25回 イップスの深層〜恐怖のイップスに抗い続けた男たち証言者・赤星憲広(3) 2009年に現役引退した後、自身が送球イップスだったことを認めるようになった赤星憲広は、世間の「イップス」のとらえ方にある違和感を覚えているという。「スロ…

連載第25回 イップスの深層〜恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・赤星憲広(3)

 2009年に現役引退した後、自身が送球イップスだったことを認めるようになった赤星憲広は、世間の「イップス」のとらえ方にある違和感を覚えているという。

「スローイングのイップスが圧倒的に多いことは間違いないんですけど、僕は野球の『走・攻・守』のすべてにイップスがあると思います。盗塁のスタートを切れなくなることもあるし、チャンスになるとバットが出ずに固まってしまったり、バントが急にできなくなったり。あとはフライを捕れなくなる『フライイップス』もいました」



現役時代、盗塁のスタートが切れない赤星憲広氏は当時の岡田彰布監督に救われたという

 赤星が見てきたフライイップスの選手は、最初は太陽の光が目に入ったり、強風のいたずらで捕り損ねたことをきっかけにイップスになったという。大事な場面で落球した心理的ダメージが重くのしかかり、そのうち簡単なフライも落としてしまうようになる。フライに備えてグラブを構えただけで、手が震えて捕球がままならなくなるのだ。

 フライイップスに苦しむ選手に、赤星は「手を出すのを遅らせてみたら」とアドバイスを送っていたという。その理由はこうだ。

「フライイップスになる選手は、だいたい『捕りたい』という思いが強くなりすぎて、グラブを出すのが早いんです。そうすると腕は緊張して固まるし、手が視界の邪魔になりやすいんです」

 どうしても早くグラブを差し出してしまう選手には、「捕る直前まで両手を後ろで組んでおく」という練習や、「背面キャッチ」の練習が有効だという。背面キャッチはボールとの距離感をつかめていなければ、捕球できないからだ。

 赤星は9年間の現役生活で通算381盗塁をマークし、盗塁王には5回も輝いた。そんなスピードスターでも、現役時代に一度だけ「盗塁のスタートが切れない」というスランプに悩まされたことがある。

「それまではアウトになろうが果敢に走っていたのが、3回連続で盗塁に失敗して『これ以上アウトになりたくない。4回目はイヤだな......』と思ってしまったんです。そこで迷いが生じて、一歩目を踏み出せなくなってしまいました」

 赤星の盗塁は、基本的に「グリーンライト」だった。つまり、ベンチからの指示がなくても自分の判断で「いける」と思えばいつでも走っていいのである。とはいえ、いつもなら走るタイミングで赤星がスタートを切らないとなると、ベンチも打者も異変を感じずにはいられない。打者は赤星がスタートを切りやすいように待球するため、カウントを悪くしてしまう悪循環もある。赤星は申し訳なさを感じながら、「走塁にスランプはないかもしれないが、盗塁には確実にスランプが存在する」と実感していた。

 そんな赤星を救ってくれたのは、当時の岡田彰布監督だった。スタートを切れない赤星に対して、ベンチから「盗塁」のサインを出したのだ。赤星は内心「マジか......」と不安を覚えながらも、腹を決めてスタートした。盗塁は見事に成功。それで吹っ切れた赤星は、再びスタートが切れるようになったという。

「完全にメンタルをやられていたので、監督に背中を押していただきました。グリーンライトでアウトになると、なかには『なんでそのタイミングで走るの?』と言い出す人もいるんですよ。こちらからすると、『じゃあ任せるなよ!』と思うんですけど。選手に任されるだけ、責任ものしかかってくる。盗塁は誰もができるわけじゃない、特殊能力。だから指導者に理解されないと、スランプを引き起こす原因になりやすいのかなと感じます」

 イップスにまつわるさまざまな事例を通して、赤星は人間のもろさを痛感するようになった。イップスの選手を見かけると、赤星は決まってこう語りかけた。

「『なんで俺だけ』と思うなよ。結構いるものなんだよ。ここからまた試行錯誤して、技術を高めていけばいい。ステップアップのひとつだと思えばいいんだよ」

 イップスの思考が痛いほどよくわかるからこそ、仲間を思いやることができた。イップスに苦しむのは選手だけではない。時には打撃投手もイップスに陥るケースがある。

 打撃投手が3球連続でボール球を投げた時、赤星はいつもこう言っていた。

「次はエンドランいきます」

 ヒットエンドランの練習ということにすれば、ボール球であろうと打者はバットに当てなければならない。また、投げる側も「ボール球でもいい」と思うと、気が楽になるものだ。赤星がそう宣言したあとは、だいたい打撃投手はすばらしいストライクを投げ込んできたという。

「クリーンアップの選手なら、自分のバッティングを崩さないためにボール球を打たないのは当然です。でも、僕のようなタイプの打者ならエンドランの練習ができる。バッティングピッチャーの人にその意図は伝えていませんでしたけど、一緒にやっている仲間としてできる範囲でカバーしたいと思っていました」

 野球チームには、さまざまな選手がいるものだ。長打力が武器でも足が遅いという選手がいれば、守備がうまいのに打撃が苦手という選手もいる。ゾーンに入って神がかったパフォーマンスを見せる選手もいれば、故障で本来の力を出しきれない選手もいる。それぞれのマイナス部分を、いかにしてプラス部分で補えるか。それが野球のチームプレーというものなのかもしれない。

 送球イップスを経験した赤星の言葉には、野球という競技の本質が詰まっているように思えてならない。

(敬称略/つづく)