ジャパネット杯春の高校バレー最終日(12日、東京・調布市武蔵野の森総合スポーツプラザ)「ジャパネット杯春の高校バレー」第72回全日本バレーボール高等学校選手権の男女決勝が行われ、女子は東九州龍谷(大分)が古川学園(宮城)をストレートで下し…

 ジャパネット杯春の高校バレー最終日(12日、東京・調布市武蔵野の森総合スポーツプラザ)「ジャパネット杯春の高校バレー」第72回全日本バレーボール高等学校選手権の男女決勝が行われ、女子は東九州龍谷(大分)が古川学園(宮城)をストレートで下し、2012年以来8年ぶり最多7度目の頂点に立った。2年連続決勝で敗れた悔しさを知るチームの大黒柱、荒木彩花主将(3年)が攻守でチームをけん引。三度目の正直で、令和初の女王の座をつかんだ。

 センターコートで流した過去2度の悔し涙が、喜びを大きくした。3度目は歓喜の涙だ。2-0で迎えた第3セット。2年生エース、室岡莉乃のブロックで25点目が入るとコート上に選手が集まった。その中心で荒木が両手で顔を覆った。

 「やっとここまできた。3年連続で負けるわけにはいかなかった。ただただうれしいです」

 3セット全てでチームの1点目を挙げたのは荒木。主将の先制攻撃に、後輩が続いた。室岡が15得点を挙げるなど活躍。1年時からコートで戦ってきた荒木は、2018、19年と2年連続決勝で金蘭会(大阪第1)に敗れた。最大のライバルを準決勝で破り、勢いに乗った。三度目の正直で、春高女王の座につき「チーム全員で勝ち取った日本一です」と頬を緩めた。

 春高最多7度目の優勝。全国屈指の強豪校で主将を務める苦悩があった。昨夏の全国高校総体は8強どまりで「私が主将だから悪いのか」と自らを責めた。「私のやり方が間違っているのかな」と母・香織さん(48)に弱音を吐くこともあった。窮地を救ったのは、1学年上の先輩で主将を務めた平山詩嫣(しおん、19)=久光製薬=だった。平山が卒業時に荒木のために残したノートにこう記されていた。

 「最後は3年生の気持ち。日本一への気持ちが強い方が勝つ。そういうチームを彩花(荒木)は作ろう」

 この言葉に奮い立った。「絶対に後悔して終わりたくない」。人に強く言える性格ではなかったが、厳しく発言することを心がけた。「ミスしたあとに、なあなあな態度をとる人がいたので厳しく言うようにした」。心を鬼にして、チームを全国一に導いた。

 荒木の次なる目標は日本代表入り。「諦めなければ夢はかなう」。卒業後はVリーグのチームに進む。18歳のホープが、春高女王をステップに世界へ羽ばたく。 (武田千怜)

 ◆主催 (公財)日本バレーボール協会、(公財)全国高等学校体育連盟、フジテレビジョン、産経新聞社、サンケイスポーツ、FNSフジネットワーク

 ◆後援 スポーツ庁、文化放送、ニッポン放送

 ◆特別協賛 ジャパネット

 ◆オフィシャル飲料協賛 ポカリスエット

 ◆協賛 アタックZERO、au

荒木 彩花(あらき・あやか)

 2001(平成13)年9月2日生まれ、18歳。福岡・大野城市出身。大利中でバレーボールを始めた。東九州龍谷高では1年時から春高に出場し、2年連続で準優勝。昨年7月に日本が初優勝した世界ジュニア選手権(U-20)の日本代表。ポジションはミドルブロッカー。184センチ、76キロ。最高到達点は306センチ。

東九州龍谷

 1899(明治32)年に扇城女学校として創立した私立校。1997(平成9)年に男女共学となり、「東九州龍谷」に校名を変更した。生徒数は595人。バレー部は1927(昭和2)年創部。春高(全日本高校選手権)は20年連続35度目の出場。部員数は23人。主なOGは鍋谷友理枝(デンソー)、長岡望悠、岩坂名奈、中川美柚(いずれも久光製薬)、芥川愛加(JT)ら。所在地は大分県中津市中殿527番地。宇都宮俊一校長。