12月8日、富士通スタジアム川崎で行われた第6回トーキョーボウルで神戸大を33対20で下した法政大学オレンジは、勝利で今シーズンを終えた。「俺たちが今日、応援してくれる観客に見せるのはフットボールじゃない。一年間、何を目指してやってきたのか…

12月8日、富士通スタジアム川崎で行われた第6回トーキョーボウルで神戸大を33対20で下した法政大学オレンジは、勝利で今シーズンを終えた。

「俺たちが今日、応援してくれる観客に見せるのはフットボールじゃない。一年間、何を目指してやってきたのか、生き様を見せる試合だ」

副将OL栗田壮一郎(4年)は試合前、そう言ってチームメイトに発破をかけていた。

守備の中心選手の一人であるLB小澤優太(4年)にとって、今季はまさに自分の生き様をフィールドに懸けたシーズンだった。

駒場学園高時代から、抜群のプレースピードを誇るトップLBとして活躍してきた存在だった。大学1年時の2016年に開催されたU19世界選手権では、U19日本代表守備の中心選手として活躍した。

U19世界選手権でメリーランド大に進学が決まっていた米国代表RBと対戦した時に、自分でも対抗できるという手応えを感じた小澤は、将来、本気でNFL選手を目指すために米国留学への道を探っていた。

フットボール選手としてもっと高いレベルを目指したい。やる気に満ちていた小澤が、病を抱えていることを自覚したのは、大学1年生のシーズンが終わった後、冬のコンディショニング期だった。

「走り込みのメニューでスタートした時に、急に足の筋肉が固まって一歩目が出ずに転んでしまったんです。足が出ていないことをトレーナーに指摘されて・・・」

思い返せば、高校時代から一歩目が出づらいと感じることはあったが、皆も同じだと小澤は思っていた。プレーに支障もなかった。自分の体に何らかのトラブルが潜んでいることを自覚したのは、この時が初めてだった。

すぐに病院で検査を受けた。医師の診断は『精神的なものに起因している』というものだった。いわゆる『イップス』だという診断だったが、小澤は腑に落ちていなかった。なぜなら、思い当たるような精神的ダメージを受けた覚えがまったく無かったからだ。

当初はすぐに治るだろうと、精神を安定させる薬を飲みながらプレーを続けた。しかし、一向に症状は改善しなかった。やはり精神的なものではないと感じた小澤は、途中から自分の判断で薬を飲まずにプレーした。心配した有澤玄監督から「薬は飲んだのか?」と尋ねられた時に、「メンタルが原因ではない」と、歯向かったりしたこともあった。

2年時もプレーは続けたが、楽しかったフットボールがまったく楽しくなくなった。毎練習、思い通りに動くことができず、悔しくて泣いていた。

その後、いくつも病院を変えてみた。行く先々で様々な診断が出されたが、どれも改善方法を見出すことができなかった。

「次に症状が出たらフットボールを辞めよう」

3年生のシーズンはそんな思いで臨んだ。そして、リーグ第4節の慶應戦。プレー中に足が動かなくなり、慶應大のWRにコテンパンにブロックされた。悔しくてもやり返せなかった。「もう無理だ」と思った小澤は自ら交代を申し出て、翌日、退部する意向を有澤監督に伝えた。

有澤監督は「これから何をしていくのか、何を目指していくのか、やりたいことを一緒に探そう」と、1週間に1回、チームに顔を出すことを小澤に促した。

「有澤監督はフットボールの話とか、復帰の話とかはまったくしませんでした。でも、チームに行くとどうしてもチームメイトたちがフットボールをしている姿が目に入ってしまう。それが辛かった」と、小澤は当時の心境を打ち明けた。

2019年に入り、小澤は母からテレビで見つけた病院に行ってみようと言われた。これで5つ目の病院だった。これまでも、納得できる診断が出なかったため、どこに行っても同じだろうと考えた小澤は病院に行くことを拒んだ。しかし、母は「最後にあとひとつだけ行ってみよう」と説得し、小澤を病院につれていった。

その病院での診断は、『動作特異性局所ジストニア』という、中枢神経系の異常に起因する病気だというものだった。手術をすれば完治できるが、フットボールはできなくなる。医師の診断を聞いた時、小澤より先に、母が泣き出した。

「母が泣いているのを見て、自分以上にフットボールをプレーする自分のことを思ってくれている人がいることに気づきました」

小澤はソーシャルメディアで病名を公表した。それを見た帝京大の選手が、通っていた散田ファイン治療院の藤内隆院長にその投稿を見せた。

藤内院長は法政大フットボール部OBで、有澤玄監督と同期。しかも、小澤と同じジストニアを施術で改善に向かわせた経験を持っていた。藤内院長はすぐに有澤監督に連絡をとった。今年2月、小澤は有澤監督と面談に臨んだ。小澤は改善する可能性が見いだせたこと、何より、フットボール選手としての自分のことを、自分以上に心配してくれていた母のためにもう一度、チームに戻って復帰を目指す決意を固めた。

今季の小澤のプレーに、かつての鋭さはなかった。それは、自分の体の状態を受け入れてプレースタイルを変えたからだ。

「一歩目がどうしても遅れてしまうので、目線で相手と駆け引きをするようにしました」

小澤は今季、一度も思い切り走っていない。それでも並のLB以上の仕事をした。

そして、今まで見えていなかったものが見えた。

「以前は自分のプレーの出来にしか興味がありませんでした。今は、攻撃が得点をとってくれた時や、他の選手がインターセプトをした時も、自分のことのように嬉しく思えるようになりました」

自分のことを思ってくれた人、支えてくれた人の思いに報いる一番の方法は勝利である。

今の小澤はチームメイトが活躍すれば、それだけ勝利に近づくことができると、感じられるようになった。