スポルティーバ・新旧サッカースター列伝 第7回「異端児」扱いされながらも、溢れる才能を見せてファンにものすごく愛されてきたサッカースターたちがいる。前回のカントナに続き、今回もあの「破格」のプレーヤーを紹介。◆ ◆ ◆「オーディションは受け…

スポルティーバ・新旧サッカースター列伝 第7回

「異端児」扱いされながらも、溢れる才能を見せてファンにものすごく愛されてきたサッカースターたちがいる。前回のカントナに続き、今回もあの「破格」のプレーヤーを紹介。

◆ ◆ ◆

「オーディションは受けない」

 マルメのユースチームでプレーしていたころ、アーセナルから「トライアルを受けてみないか」と誘いがあった。

 マルメはスウェーデンの名門クラブだが、アーセナルとなれば格もサラリーも違う、飛躍の大きなチャンスである。ところが、17歳のズラタン・イブラヒモビッチは「オーディションは受けない」と、誘いを一蹴してしまった。



現在はアメリカのLAギャラクシーのエースとして活躍するイブラヒモビッチ

「俺のことを知りたいということは、本当に俺を欲しがっているわけではないからね」

 後にそう説明している。そう言われればもっともな感じもするが、10代でこの自尊心の高さは、いったいどうしたことなのかとも思ってしまう。

 ボスニアから来た男とクロアチアから来た女がスウェーデンで出会い、そこでズラタン・イブラヒモビッチは産まれた。スウェーデン人だがスウェーデン人の血は入っていない。

「人はそうであるように生まれてくる」

 俺は俺だ――イブラヒモビッチの生きていくうえでの軸といっていい。

「人と違っていても、可能性が最少に思えても、何とかなるぜ。俺が証明している」

 貧しい少年時代を過ごした。疎外感の中で、人は誰でもひとりだという事実に早く気がつく。競争に勝たなければ尊重されないということも。プロになってから行く先々でことごとくタイトルを獲っていった。

「俺のエゴはエッフェル塔みたいにデカイと言われる。反論はしないが、チームが勝ちとったトロフィーが真実を語っているんじゃないかな」

 エリック・カントナが「カントナ」を演じ続けたように、ズラタン・イブラヒモビッチも「ズラタン」であることに強い執着があるようだが、意外とバランス感覚も持っている。

「俺はバカなことをしてきたし、ミスもたくさんやってきたが、すべてから学んできた。今でもミスはするが、まだ学び続けている。誰も完璧じゃない」

 その一方で、「自分の完璧さに笑いが止まらない」とも言う。ただ、後者はアスリートとしての自分に対してだ。速くて強く、巧くて賢い。たしかにズラタンはプレーヤーとしてすべてを持っている。

「人の10倍もうまくやれることは感じていても、俺は努力を怠らない」

 個人練習を欠かさなかったというカントナとは、このあたりも共通項だ。

 運、努力、才能――ズラタンは端的に成功の要素を3つ挙げている。才能は「笑いが止まらない」ほどあった。努力も怠らなかった。運については達観している。

「何にしろ起こることが起こる。それは運命で、俺が今あるようにあるのも運命だが、それについては何の後悔もないよ」

ユベントスで魔改造

 マルメからアヤックスに移籍して頭角を表わした。ただ、この時のズラタンはまだ後のズラタンではない。196cmの長身、半身になってキープするときに相手の足の間に左足を差し込むと、相手がズラタンの左足に乗っかってしまうこともあった。強靱さは図抜けていたが、アヤックス時代の印象はむしろテクニシャンだ。

 バレリーナのように足を伸ばして空中にあるボールをインステップに乗せ、一瞬静止してからパトリック・ビエラの頭上を越して抜いていくのを見た時は唖然とした。底知れない才能、掘ってみればまだまだ何かが出てきそうな埋蔵量だったが、まだ全容は明らかになっていなかった。言い方を変えると、アヤックス時代は未完成だった。

 魔改造されたのがユベントス時代だ。ファビオ・カペッロ監督の要求によって、得点に専念するゴールマシーンへと変貌する。89キロだった体重は98キロに増えた。ファン・バステン2世として『華麗なアタッカー』になるはずだったズラタンは、『怪物』になった。

 テコンドーで鍛えた足腰の柔軟さは驚異的。後ろ回し蹴りのようなアウトサイドで叩き込むボレーは独特だ。もともと長身で空中戦が無類に強いのに、わざわざファーポストで待機して、背の低い相手サイドバックとマッチアップする狡猾さも持ち合わせる。

 ボールタッチの巧みさ、瞬間的な速さはアヤックス時代そのまま。ユベントスとインテルでタイトルを獲り、彼にとって本来いるべき場所だったバルセロナへ移籍する。

 バルセロナのプレースタイルの源流はアヤックスだ。サミュエル・エトーを手放して獲得したイブラヒモビッチは、バルサにとっても待望のセンターフォワードだった。リオネル・メッシを本来のポジションである右ウイングでプレーさせることもできる。ところが、最高のマッチングのはずの補強は、微妙なズレから決別を迎えることになった。

「コーチは言うとおりにする選手を好む。学校で10歳の子どもに『ジャンプしろ』と言えば、子どもたちはジャンプしようとするけど、頭のいい子は聞くのさ。『なんでジャンプするの?』とね。それは多くのコーチにとって厄介なのさ」

 一介のプロフェッショナルとしてイタリアの修羅場を勝ち抜いてきたズラタンにしてみれば、バルセロナは「学校の寄宿舎」にしか見えなかった。メッシやシャビが、奇妙なルールに素直に従っている様が不思議だった。

 練習場への乗り入れが禁止されていたスポーツカーで乗り込み、オフにはスノーモービルを爆走させて全身凍傷だらけで戻ってきて、ジョゼップ・グアルディオラ監督を絶句させた。

 選手としては最高のマッチングだったが、人としては最悪だったようだ。かつてのバルサには悪童の系譜もあり、ディエゴ・マラドーナは友人の記念試合への参加を拒否された腹いせにクリスタルのトロフィーを破壊している。ワールドカップに優勝するとロマーリオはブラジルから戻ってこなかった。選手より遊び人が本業のようなロナウジーニョもいた。

 だが、グアルディオラ監督になってからのバルサは品行方正な「学校」となり、ズラタンは明らかに異端児だったわけだ。

 異端児扱いには慣れている。しかし、メッシが中央でのプレーを希望すると、ズラタンの居場所はなくなってしまった。メッシのための囮など、プライドが許すはずもなかった。

俺様道を突き進む

 ミランに移籍して2シーズン目に初めて無冠に終わったあと、イブラヒモビッチはカタールの巨大資本が入ったパリ・サンジェルマンに迎えられる。そして4シーズンプレーしてマンチェスター・ユナイテッドへ移籍する際、

「王のように来て、伝説として去る」

 有名な言葉を残した。パリSGでは王様扱いだった。38歳の現在もMLSのLAギャラクシーの絶対エースとして活躍中だ。ユナイテッド在籍時に右膝前十字靱帯断裂の重傷を負ったが、見事に復活している。医療チームからは「研究対象にしたい」と言われたほど、頑丈で完璧な肉体だったそうだ。

 パリSG時代、カーンとの試合で開始2分にゴールを決めると、ユニフォームを脱いでタトゥーだらけの上半身を露わにし、周囲を驚かせた。じつは消えるタトゥーなのだが、15人の名前が記されていた。食料難に苦しむ子どもたちの名前だった。WFP(国連世界食糧計画)の支援事業にひと役買ったのだ。

「8億500万人が苦しんでいる。俺を通じて人々に目を向けてほしかった」

 崇高な目的のための悪趣味な表現。俺様道を突き進む自分を、別の自分が面白がっているところがある。環境と戦ううちに身につけた鎧の隙間から、ときどきのぞくピュアな優しさもズラタンらしさだ。