54年ぶり2度目の全国制覇を果たした作新学院。それは2006年から監督を務める小針崇宏監督の力が大きいだろう。自身も作新学院のOBで、筑波大を経て23歳で監督に就任。春夏連覇の経験のある同校を率いるプレッシャーはかなりあったはず。それでもし…

54年ぶり2度目の全国制覇を果たした作新学院。それは2006年から監督を務める小針崇宏監督の力が大きいだろう。自身も作新学院のOBで、筑波大を経て23歳で監督に就任。春夏連覇の経験のある同校を率いるプレッシャーはかなりあったはず。それでもしっかりと自分が目指すチーム作りをしていった。

■優勝の作新学院、攻撃型のチームに加わった絶対的エース

 54年ぶり2度目の全国制覇を果たした作新学院。

 それは2006年から監督を務める小針崇宏監督の力が大きいだろう。自身も作新学院のOBで、筑波大を経て23歳で監督に就任。春夏連覇の経験のある同校を率いるプレッシャーはかなりあったはず。それでもしっかりと自分が目指すチーム作りをしていった。

 小針色が見えたのは、2011年夏の甲子園。佐藤竜一郎(新日鉄住金鹿島)、石井一成(早稲田大)など多くの強打者を揃えて、ベスト4まで勝ち上がった。犠打をあまりしない攻撃型のチーム。これが今の作新学院の原形となった。その時の小針監督の姿は今でも強烈で、この時、28歳。20代の若手監督は、見た目は選手とあまり変わらない印象を受けることが多い。だが、小針監督はこの時からベテラン監督のような風格があったのだ。何かが違う。

 芯の強い指揮官だからこそ若くして作新学院を立て直すことができたのだろう。5年連続甲子園に出場。例年、破壊力ある打線を作り上げていたが、あと一歩及ばなかった。それが絶対的なエースの存在。それが今井達也だった。その今井も、2年の時はストレートは速いが、制球力は不安定で、試合が作れない。3年春までケガが続きと、成長の予測が難しい投手だった。

 しかし、今では常時140キロ後半。最速は152キロ。そして、130キロ後半のカットボール、フォークを投げ分ける投手へ成長。全国の強力打線も全く太刀打ちができなかった。今井の成長を我慢強く見守ってきた首脳陣、チームメートの力も大きい。

■北海、市立尼崎、長崎商ら伝統校が復活

 あの江川卓氏でさえ達成できなかった夏の甲子園優勝。エースの今井の投球ぶり、作新学院の戦いぶりは、まさに伝説を残す勝ち上がりだったことは間違いない。

 まだ小針監督は33歳と若く、今のまま続けば、作新学院はこれから10年~20年と常に甲子園出場を狙える名門校として君臨するだろう。

 また作新学院に限らず、88年ぶりのベスト4進出を果たし、初の決勝進出の北海など伝統校の躍進も目立った。北海はガッツポーズをしない、基本に忠実な野球を最後まで実践し続けた。感情のブレは少なく、守備で乱れる試合も少なく、終盤に強さを発揮した北海ナインだった。

 また伝統校の復活といえば、1983年以来の甲子園出場を決めた市立尼崎や、29年ぶりの出場を決めた九州最古の公立商業高校・長崎商も登場した大会となるなど、伝統校の復活は1つのテーマだったといえる1年だった。

(記事提供:高校野球ドットコム)

河嶋宗一●文