連載第4回

【「グラウンドは笑う場所ではないから」】

――この連載スタート後、想像以上の反響があって、一部熱狂的なファンが増えているそうですよ、八重樫さん!

八重樫 えっ、そうなの? 

――7月に行なわれた、ヤクルトの歴代スター選手が一堂に会したOB戦・ドリームゲームでも、八重樫さんに対する応援はひと際、大きかったように思います。連載1回目でも書きましたが、やはり、「時代は八重樫さんを求めている」んですよ。ご自分では、この人気をどのようにお考えですか?

八重樫 自分ではわからないよ、そんなの全然、興味ないから(笑)。でも、プロ入りしてから引退するまで、ずっと力を抜くことなく頑張ってきたことが、認められたのかな? 昔、稲葉(篤紀・現侍ジャパン監督)が現役だった頃、攻守交替の時に、いつも全力疾走していたよね。




左足を開いて構えるオープンスタンスが印象的だった八重樫氏 photo by Sankei Visual

――はい。ヤクルト時代も、日本ハムに移籍後も、稲葉さんは攻守交替の時にはライトとベンチの間を、常に全力疾走をしていました。

八重樫 彼がヤクルトにいた頃、ある人に、「そんなことで無駄にスタミナをロスするな」と怒られたんだよね。でも、その時コーチだった僕は「お前が全力疾走することで、ファンの人が喜んでいるんだから、堂々と続けろ」って言ったことがある。だって僕も、現役時代にずっと「お客さんの前では常に全力を出す」って考えていたから。もし僕が手を抜くタイプだったら、稲葉に対して「夏は体力を消耗するから、ゆっくり帰ってこい」って言ったかもしれないね。

――でも、実際に体力のロスはないんですか? そして、八重樫さんは高校時代から、その考えをお持ちだったんですか?

八重樫 体力のロスはあるかもしれないけど、そんなものは練習時間や内容で調整すればいいことでしょ。お金を払って見に来てくれるお客さんがいる以上、お客さんの前で手を抜くっていうのは考えられないことだよね。僕が、こういう考えを持つようになったのは仙台商業高校時代のことで、練習試合で対戦した土佐高校が攻守交代で全力疾走しているのを見て、うちの監督が僕らに命じたのがきっかけだった。

――高卒でヤクルトに入った時点ですでにプロ意識を持っていたんですね。

八重樫 そこはほら、商業高校出身だから(笑)。企業であっても、プロスポーツ選手であっても、仕事をしてお金をもらうっていうのは、そういうことだからね。だから僕は、現役時代にグラウンドで笑ったことは一度もないですよ。

――どうして、笑わなかったんですか?

八重樫 だって、グラウンドは笑う場所ではないから。まあ、(1986年にヤクルトに入団した)ギャオス内藤(内藤尚行)なんかは、感情を前に出して周りを盛り上げようというのがあったように思うけどね。

【「初志貫徹」「継続は力なり」に込められた想い】

――それにしても、18歳の入団時から42歳で現役引退するまで、全力プレーをまっとうしたというのは、あらためてすごいことですね。

八重樫 それは、変なこだわりがあって、「目標を決めたら、それを達成するまでやり遂げる」っていうのは昔からずっとそうなんだよね。プロに入ったとき、ふた回り近く年上の兄から、「初志貫徹」って言葉を贈ってもらったんだけど、この言葉はずっと大切にしているから。

――そういえば、八重樫さんの座右の銘は「継続は力なり」ですね。もともと、そういう性格だったのですか?

八重樫 そう。プロ入りしてからずっと「初志貫徹」で、プロでレギュラーになってからは「継続は力なり」をモットーにした。でも、もともとそういう性格だったんだよね。小学校4年生のときだったかな? 新聞配達を見て、「面白そうだな」と思って始めたんだけど、高校2年まで、ずっと続けたんだよ。

――小学生時代に新聞配達をしていたんですか?

八重樫 うん。小学生の時は毎日新聞系列の専売所で毎朝50部から60部くらいだったかな? で、中学に入ってからは地元の河北新報で、毎朝100部以上、多いときで180部くらい。自転車の前と後ろに乗せて配っていたよ。大体午前3時頃に起きて、4時前には販売所に着いて、配り終わるのは1時間後くらい。その後、家に戻って、7時半には学校に行く。雨の日も、雪の日もずっとそんな生活を続けていたね。

――小学生時代に始めて、中学時代も継続して、高2まで続けるなんて、まさに当時から「初志貫徹スピリット」を体現していたんですね。

八重樫 本当は、高校卒業まで続けたかった。でも、野球部の遠征が本格的に始まって、地元を留守にすることが増えるから辞めたんだけど、「辞めます」というのが切なくて。「月に一、二度だけでも」とか、「平日だけでも続けてくれ」と言われたんだけど、一日も休みたくなかったし、中途半端なのは逆に迷惑をかけると思って辞めたんだ。

【「実はSMAPファンだったんだよ(笑)」】

――野球に関して、「ずっと続けていたこと」は何かあったんですか?

八重樫 「常にバットを離さない」っていうことかな? 大杉(勝男)さんはいつも、枕の下にバットを置いて寝ていたんだけど、僕もずっとバットを布団の横に置いて眠っていたよ。


当時を振り返る八重樫氏

 photo by Hasegawa Shoichi

――キャンプや遠征先で、大杉さんと八重樫さんは同部屋だったんですよね。

八重樫 そう。なぜか、大杉さんと同部屋になることが多くてね。ああ見えて、大杉さんはすごく繊細な人だから、寝る時には物音ひとつ立てちゃいけない感じで、大杉さんの寝息が聞こえたら、ようやく僕も眠ることができた。でも、調子の悪いときには、気がつけば僕の頭の上で大杉さんがバットを振っていたことも、よくありましたよ。それは僕も同じで、「バットを手放す時は引退する時だ」と思っていたし、実際、そうだったね。

――あらためて最初の質問に戻るんですけど、今でも八重樫さんがファンから愛されているのは、「いつも全力プレーを心がけていたから」というのは理解できました。でも、現役時代を知らない世代の人にも、八重樫さんは愛されているように思うんですけど……。つば九郎や、タレントの中居正広さんは今でも、八重樫さんのオープンスタンスをマネしたりしていますよね。その影響なのでしょうか?

八重樫 そうだとしたら嬉しいね。僕は全然、アイドルには興味がなかったんだけど、たまたまテレビで、中居くんが子どもたちに野球を教えている番組を見たんだよ。何気なく見ていたんだけど、言っていることがすべて正しくて、「彼は本当に野球が好きなんだな」って思って、それからSMAPを見る目が変わったんだよね。それぞれの個性がわかるようになってから気になるようになって(笑)。

――じゃあ、SMAPの解散は残念でしたね。

八重樫 そうだね、残念だった。一度、番組に呼ばれたこともあったんだけど、「そういうキャラじゃないから」って断ったんだよ。

――つば九郎も、中居くんもそうですが、やっぱり、あの独特の打撃フォーム、「オープンスタンス」が、強烈にみんなの印象に残っているんですよね。

八重樫 印象に残っているのは嬉しいけど、野球少年たちにはあのフォームは絶対にマネしないでほしいな。あれは究極の打撃フォームだから。

――どうして真似をしてはいけないんですか?

八重樫 あのフォームを自分のものにするのに2年もかかったし、そこに行くまでには多くの時間と練習を費やしたわけだから。あっ、そうだ! ぜひ、書いておいてほしいことがあるんだけど……。

――何ですか?

八重樫 よく、「八重樫があそこまで極端なオープンスタンスにしたのは太ったからだ」って言われるんだけど、そういう理由じゃないってこと。素人の指導者が、太っている選手に対して「お前は太っているから、少し開いて打ってみろ」って言っているのを聞いたことがあるけど、「何を言ってんだか」って思ったね。あのフォームを身につけるためにどれだけ時間がかかったと思っているんだよ。

――いつも温厚な八重樫さんが、そこまで強い口調で言うのは初めて聞きました。本当に腹に据えかねているんですね(笑)。

八重樫 目が悪くなったけど、コンタクトレンズが合わないから、メガネをかけてプレーするようになった。でも、メガネのフレームからボールが外れたときにすごく見づらいから、少しずつ微調整をして、ようやくあのフォームになったわけだから。前回も言ったけど、プロに入って一本足打法の練習を命じられて、「やっぱり、一本足は僕には合わない」となった後に、本来の調子を取り戻すのにかなり時間がかかって。その後、あのオープンスタンスにたどり着くまでに、さらに時間がかかったんだからね。

――前回も話題に出ましたが、王さんの師匠である荒川博氏による一本足打法指導は、八重樫さんにとって、一見すると無駄な遠回りのように見えるけど、後に指導者となったときに生きてくるんですよね。

八重樫 そうだね。でも、遠回りだったのは間違いないけど(笑)。

(第5回につづく)