全日本F3選手権の2019年チャンピオンに、フランス籍20歳の新鋭サッシャ・フェネストラズが輝いた。シリーズが来季から「全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権」(SFL)へと“新生”されるため、彼は“最後の全日本F3王者”ということになる…

全日本F3選手権の2019年チャンピオンに、フランス籍20歳の新鋭サッシャ・フェネストラズが輝いた。シリーズが来季から「全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権」(SFL)へと“新生”されるため、彼は“最後の全日本F3王者”ということになる。

トップドライバーへの登竜門として知られる日本のF3シリーズ(当初は別名称、現在の全日本F3選手権)は、1979年の発足。41シーズン目の今季2019年シリーズは全8大会(20レース)の日程で行なわれており、B-Max Racing with motoparkで走るフェネストラズが8月17~18日の第7大会もてぎ(3レース制)のレース3(第18戦)を終了した時点で王座獲得を決めた。

7月に20歳になったばかりのフェネストラズは、昨年のマカオF3で3位に入ったフランス籍ドライバー。全日本F3には今季が初参戦で、SUPER GTのGT300クラスにも並行参戦、近藤真彦監督率いるKONDOレーシングのGT-R(GT3仕様)でも速さを見せている注目株だ。全日本F3ではここまでの18戦で8勝。宮田莉朋(カローラ中京 Kuo TEAM TOM’S)とのタイトル争いに、最終の岡山大会(2レース制)を待たず終止符を打った。

サッシャ・フェネストラズのコメント
「長いシーズンだったと感じているし、そのなかでチャンピオンを獲得できたことは本当に嬉しい。チームの仲間たちの仕事を誇りに思うし、最後の全日本F3チャンピオンとなったことも誇りに思っている。僕たちは強力なTOM’Sチームを上まわる速さを目指して努力してきた。シーズン当初、こういった素晴らしいリザルトを得られるとは想像もしていなかったよ」

「去年の年末に初めて日本に来た。地球の反対側から来て、僕にとってはなにもかも新しい世界のなかでイチからスタートしたわけだから、最初は少し戸惑ったところもあったよ。でも日本という国は素晴らしいと感じたし、そのレースもファンも素晴らしかった。今後も長く日本でキャリアを積みたいと思っている。来季はスーパーフォーミュラ(SF)とGT500にステップアップしたいね」

今度はSFやGT500での活躍に期待がかかるフェネストラズだが、本人も言っているように、彼は“最後の全日本F3王者”ということになった。全日本F3選手権が来季2020年は「全日本スーパーフォーミュラ・ライツ選手権」の名称で“新生”されるため(17日のSF第5戦予選レポート内で既報)、全日本F3選手権という名のシリーズが催行されるのは今季が当面最後となっているからだ。

近年、F3級カテゴリーは世界的な再編の渦中にある。欧州では今季、実質的には従来のGP3シリーズが名称変更する格好でFIA-F3選手権が発足。これに伴う他シリーズの変動等も多数あり、状況は極めて複雑化している。ただ、日本では(いわゆる)従来F3規定マシンのシリーズが名称も全日本F3選手権のまま今季も存続していた。

そして来季に向けては「スーパーフォーミュラ・ライツ」と名を変え、F1やSFのようなコクピット防護デバイス「HALO」も装備するなどした新型マシン「ダラーラ320」をワンメイク採用するかたちで、2リッター“従来F3”エンジンを搭載するシリーズとして新生されることに。「存続新生」というような言い方が正しいのかもしれない。

スーパーフォーミュラ・ライツはSFL、あるいはSFライツ、もしくは単に「ライツ」などと呼ばれることになると思われるが、直上のシリーズにあたるSFの“ライツ”という命名法は、北米のインディカーとインディライツの関係も連想させるところだ。

今季のSF第5戦と全日本F3第7大会が併催されたツインリンクもてぎでは、両シリーズの主宰団体(SF=JRP、全日本F3=日本フォーミュラスリー協会)が共同会見を開き、2020年SFライツの概要が説明されている。

前述したように背景と周辺状況は複雑。だが、関係者の主意は、あくまで国内外の若手がここで競い、SFやSUPER GT/GT500といった上位カテゴリーを、さらにはF1を目指す“モータースポーツの甲子園”としての機能を適切に存続させることにある。ただし、ここは「もうF3ではない」わけだ。いわゆる従来F3の後継機といえる「ダラーラ320」を来シーズン使用するシリーズは地球上にSFライツだけではないと見込まれるが、世界共通規格のF3というこれまでの全日本F3の代名詞的フレーズは消える。SFライツは、シリーズとしての独自性を強めていくことになるだろう。

なお、JRP側の会見コメントによれば、昨今の再編動向のなかでFIAが新たに定めた「リージョナルF3」(地域F3)のレースを新たに行なおうという動きも日本レース界にはある(リージョナルF3は、インターナショナルシリーズに相当するFIA-F3を上層とした「F3級カテゴリーの2段階構造」を形成する下層的な位置付けにある、とされる)。

実際、3月には童夢がリージョナルF3(F3 Regional Certified by FIA)規格のマシン開発に着手した旨を公表しているが、国内トップフォーミュラのSFをシリーズ運営するJRPとしては、こちらの、いわば“リージョナルF3日本版”についてもSFへのステップアップカテゴリーのひとつとして協力関係をもつ意向とのことである。

状況はとにかく複雑、かつ多分に流動的なようにも思えるが、SFという日本の頂点の下にSFライツとリージョナルF3日本版が並存する近未来構図も予想され得るところ。そうなった場合、それぞれが台数的にコンペティティブな状況を確保できるかどうかが焦点になってくるだろう。いずれにせよ、日本も来季以降に向けてはいよいよF3級カテゴリーの世界的再編の影響を色濃く受けることとなり、今後も動向が注目される。

全日本F3選手権、その41年の歴史を振り返れば、多くの名ドライバーが輩出されてきた。

総合部門(一時のCクラス)のチャンピオン名鑑を見渡しただけでも、のちにルマン24時間で最多9回の総合優勝を飾るトム・クリステンセンや、F1にフル参戦したペドロ・デ・ラ・ロサ、エイドリアン・スーティル、マーカス・エリクソンたち、そして“ミスターSUPER GT”となった脇阪寿一、さらには現在SFで走っている大嶋和也、国本雄資、関口雄飛、平川亮、ニック・キャシディ、山下健太、坪井翔らの名前がある。チャンピオンではないが、1997年F1王者ジャック・ビルヌーブも全日本F3卒業生(92年シリーズ2位)。SFの前身フォーミュラ・ニッポンで4度戴冠した本山哲もそうだ(95年全日本F3シリーズ2位)。

来季以降、新生スタートするスーパーフォーミュラ・ライツからも、上位カテゴリーへの継続的な有望人材供給が期待される。