日本サッカーの歴史を刻み歩み続けてきた由緒ある大会、天皇杯。改めて、大会の正式名称『天皇杯JFA 第99回全日本サッカー選手権大会』を眺めてみると、非常に趣があり由緒あるネーミングである。その歴史は、1947年から始まったものだ。 201…

日本サッカーの歴史を刻み歩み続けてきた由緒ある大会、天皇杯。改めて、大会の正式名称『天皇杯JFA 第99回全日本サッカー選手権大会』を眺めてみると、非常に趣があり由緒あるネーミングである。その歴史は、1947年から始まったものだ。

2019年5月25日に開幕した天皇杯、1回戦にはアマチュアシードチーム・都道府県代表チームが出場。全国各地で熱戦が繰り広げられた。約一ヶ月の時を経て繰り広げられる二回戦は、7月開催。7月3日と10 日に開催され、ここからは、J1とJ2のプロチームが登場する。

過去の記録を見てみると、プロアマ問わず激闘のデータが残されている。

1999年以降で、プロに初めて勝利したアマチュアクラブは、ソニー仙台(宮城県代表)と水戸ホーリーホック(茨城県代表)の両クラブ。それぞれ、1999年にヴァンフォーレ甲府とベガルタ仙台(ともにJ2)に勝利している。

その後、2000年代にかけて毎年アマチュアクラブによる活躍も目立ち始めた。この戦いこそが‟天皇杯の見どころ”といった声もある。

ちなみに、大学生が初めてプロに勝ったのは2000年で、関西学院大学がJ2ベガルタ仙台に勝利。2009年には、明治大学がモンテディオ山形を相手に勝利を収め、初めてJ1クラブに勝利した大学サッカー部としても知られている。

過去のデータから天皇杯の歴代優勝チームを見てみると、大学サッカー部の名前も多く記述されていた。

例えば、1938年の大会では‟伝説の早慶戦”が繰り広げられていた。早稲田大学と慶応大学が天皇杯決勝を戦い、早稲田が勝利。1966年の早稲田大学の優勝を最後に、大学サッカー部が天皇杯を掲げることはないようだ。

今でこそ‟ジャイアントキリング”という言葉が多用されているものの、もしかすると、大学生フットボーラー達が優勝杯を掲げる瞬間を沢山の人達が今か今かと待ち望んでいる可能性もある。

27日、明治大学の公式Twitterが公開され、SNS上の応援合戦が話題を集めた。明治大学サッカー部でサッカー人生の苦楽を味わった、長友佑都もSNSで手書きのマッチIDを掲げ明大サッカー部の躍動を後押ししている。

53年振りの栄冠を勝ち取るのは、大学サッカー部なのかもしれない。そんな運命の予感を感じさせるのは、2019年7月3日。等々力での大一番だ。J1・川崎フロンターレのホームに乗り込む、明治大学。東京都代表の意地を賭け、等々力のピッチで明治フットボールが大暴れするはずだ。

大波乱を予感させる要素の一つに、明治の応援がある。なんと明治大学のキャンパスからは、バスに乗り込んだ数百名の大応援団が等々力に乗り込む。技術やフィジカル、経験などのサッカー談義は不要だ。彼らは、紫の大応援団の後押しを受け、等々力で狼煙をあげる。

明治大学が目指す場所は、ただ一つ。決勝の舞台、‟オリンピックスタジアム”だ。

天皇杯は近年、‟サッカーの聖地”と言われる旧国立競技場において、数々の名勝負が繰り広げられてきた。その国立競技場も現在急ピッチで進められている改修工事ののちに‟オリンピックスタジアム”として生まれ変わろうとしている。

2020年1月1日、オリンピック・パラリンピック開催地・東京で新たな国立競技場がいよいよお披露目される。オリンピックイヤーとなる2020年の幕開けは、天皇杯を掲げる瞬間から始まる。私たちサッカーファン・サポーターも約半年後に訪れる、極上のフットボールタイムを心待ちにしたい。

そして、明治大学のように大学アスリートや社会人アスリートが奮闘する瞬間を1秒でも多く目撃したい。聖地・国立競技場を目指す、2019年夏の天皇杯には、最高のドラマが待っているはずだから。

文/スポーツブル編集部