世界広しといえど、一国の1部リーグでファーストチームのコーチを務め、さらにそのクラブのアカデミーをも統括する立場に…

 世界広しといえど、一国の1部リーグでファーストチームのコーチを務め、さらにそのクラブのアカデミーをも統括する立場にいる人は、この人のほかにいないはずだ。しかも、その育成組織の指導者は14人全員が日本人。そんなアカデミーも、日本以外の1部リーグではここだけだろう。

 喜熨斗勝史(きのし・かつひと)、54歳。中国スーパーリーグ(CSL)の広州富力で、”ピクシー”ことドラガン・ストイコビッチ監督のアシスタントを務め、下部組織のディレクターも兼務する。


2015年シーズン途中から広州富力を率いるストイコビッチ監督

 photo by Getty Images

 彼にはプロ選手としてのキャリアこそないが、独特な経歴と、そこで得た理論がある。そして溢れ出すエネルギーと人を惹きつける力、豊かな感性を持った人物だ。

「名前からわかるかもしれませんが、歌舞伎役者の家系に生まれました。うちの両親は僕が小さい頃に別れてしまって、自分にとってサッカーは”父親代わり”のようなものでした。社交性、コミュニケーション、頑張ること、悔しいこと、協力すること、そしてサッカー特有の”マリーシア”ではないですけど、人生をうまくやっていくこと。それらすべてを、僕はサッカーから教わったんです」

 そんなサッカーを一生続けていきたいと考えた喜熨斗は、「当時は(日本に)プロリーグがなかったため」教員になり、社会人リーグでプレーした。ところが、彼が29歳のときにJリーグが発足する。

「(Jリーグができると)知ったときはものすごくショックでした。すでに20代後半でしたから、『選手としてリーグに関わるのは無理だろうな』と。だったらコーチしかない。ただし、自分にはプロ歴もないし代表歴もない。トップレベルの指導者を目指すなら勉強するしかないと思い、東京大学の大学院を目指したんです」

 我が国の最高学府の大学院は当然、狭き門だ。喜熨斗は「人生で初めての猛勉強をして、2度目に受かって」サッカーの研究をした。「東大でそんなことをしているのは僕だけでしたけど」と笑う彼は、そこで今の仕事のカギとなる英語も覚え、その後、縁があってベルマーレ平塚(当時)のユースを手伝うようになった。


広州富力のコーチ兼アカデミーディレクターを務める喜熨斗

 photo by Igawa Yoichi

 以降、複数のJクラブや大学の指導、三浦知良(横浜FC)のパーソナルコーチなどを経て、2008年に名古屋グランパスに招聘される。ピクシーの補佐を6年間務め、クラブ史上唯一のリーグ優勝を支えた。
 ストイコビッチが去った後も、名古屋で西野朗監督のアシスタントを務めていた彼に、広州富力から声がかかったのは約3年半前。2015年シーズンの成績がふるわず、その年の8月にチームの新指揮官に就任した”元上司”のピクシーから、コーチ就任の要請を受けたのだ。喜熨斗は

「待遇はそこまでよくないけど、海外で仕事ができることはやりがいがある。好きな英語も使える」と考え、海を渡った。

 ただ、当初は2年半の契約と言われていたにもかかわらず、「来てみたら2カ月だった。(チームが1部に)残留しなかったら、その次はなかったわけです」と振り返る。体重が7キロ減った”パニック”のような日々をなんとか乗り越え、チームが中国スーパーリーグ(CSL)残留を果たすと、今度は育成組織の設立を相談された。そのノウハウを知る彼は、「じゃあ、僕が全部やりますよ」と引き受け、文字どおりゼロから始めていった。

「練習は週2回で十分だよね? セレクションって何? そんなところからのスタートでした(笑)。最初の練習会には、長靴やバスケットボールシューズを履いた子がけっこういましたよ」

 それでも持ち前のポジティブな姿勢で真摯に取り組み、指導陣には菊原志郎やデイビッドソン純マーカス、吉武剛ら、つながりのある日本人を口説いて呼び寄せた。

「彼らも全員、英語で指導をしています。サッカーは世界のスポーツなので、世界の共通言語の取得はマストと言えるんじゃないでしょうか」

 アカデミーのコンセプトは、世界に通用する選手の輩出。技術、判断力、思考力はもちろん、”絶対的な武器”を体得させようとしている。「それは教えられないことなので、じっくりと見守るしかない」ものだと喜熨斗は語る。

 3年前にできたアカデミーのクラブハウスには、すでに多くのトロフィーがある。日本人指導者と彼らに教わる地元の少年たちの成果だ。ただ、勝利を重ねることによって、フロント側との齟齬(そご)が生まれているという。

「結果が出ていることによって、さらに勝利を求められるようになっています。『育成はそういうものではない』と言っても、なかなか理解してもらえない。それが今、僕らが直面している壁ですね」

 設立当初とはまた違う苦労を味わっているようだが、彼はそれさえも楽しんでいるように見える。異国の人々のメンタリティを変えるのは、ものすごく困難なはずだ。それでも、物事は少しずつ変化しているという。

「当初、トップチームのパス回しの練習では、味方と協力して自分も生き残るのではなく、味方にひどいパスを出して『あっかんべー』みたいな感じでした(笑)。でも、うちのアカデミーの子たちはそんなこと絶対にしない」

 急激な経済発展を遂げた中国では今、「文明」の文字をよく見かける。つまり彼らは今、文化や慣習の面でも成長を果たそうとしているのだ。確かに数年前と比べると、街や公共の場はずいぶん清潔になっているし、他言語を話す人も増えている。

「先ほども話したように、中国人はサッカーでも『協力すること』が苦手だった。でもそこが変わってくれば、継続的に強くなっていくでしょう。先々を考えたら、日本が追いつかれる時がくるかもしれない」と喜熨斗は話す。

「中国には、清潔さや真面目さ、努力するところなど、日本のよさを認める人がたくさんいる。対して、日本人の中には中国のよさを認めようとしない人が多いように感じます。たとえば電車に乗るとき、日本人はきちっと並ぶけど、中国人は並ばずに我先にと車内へ入っていく。日本からすれば、並ぶのは”美徳”。でも逆に言えば、並んでいれば順番が回ってくる、年功序列みたいなものですよね。

中国人からすれば、それは”弱さ”に映るらしいんです。自分の権利を待っているのではなく、自分から奪い取りにいく。どちらがサッカーに向いているかは明白です。元来、中国人はグワっと前にいく力を持っていますから、彼らがその”さじ加減”を覚えたら本当の脅威になるかもしれない」

 両国のトップレベルの事情を肌身で知る彼は、最終的には今の経験を母国に還元したいと考えている。

「僕はここに来て中国人を指導していますけど、先々には日本のためになると思っている。やっぱり最終的には監督になりたいので、それが実現した時にここでの経験を生かしたい」

 インタビューの翌日に練習場を訪れると、1月にプレミアリーグのトッテナムから加入したムサ・デンベレ(ベルギー)がいたため、日本人コーチの印象を尋ねた。すると31歳のベルギー代表MFは、「彼はきちんとした英語を話すし、欧州の練習法も学んでいるから、すごく助かっているよ。そのトレーニングやマネジメントは、僕が過去に所属した欧州のクラブのものと変わらない」と答えてくれた。

 アジアの上位戦線のレベル差は確実に狭まっている。地域の盟主の座を失いつつある日本に、特別な経験をしている彼の力が必要になる時は、きっとやってくるだろう。