「レスリング人生の全てを懸けて」 『蝶のように舞い、蜂のように刺す』。米澤圭(スポ=秋田商)のレスリングスタイルを一言で表すのであれば、この言葉がぴったりだろう。「自分が相手だったら嫌だなと感じるレスリングだと思います。『こいつこんな動きす…

「レスリング人生の全てを懸けて」

 『蝶のように舞い、蜂のように刺す』。米澤圭(スポ=秋田商)のレスリングスタイルを一言で表すのであれば、この言葉がぴったりだろう。「自分が相手だったら嫌だなと感じるレスリングだと思います。『こいつこんな動きすんの?』みたいな動きをするので(笑)」。自他共に認める、『嫌らしい』、『性格の悪い』レスリングスタイルを追求してきた米澤は、ある意味誰よりも、独創性と自主性を重んじる早大レスリング部らしい選手だったかもしれない。
 1年時から主力としてリーグ戦に出場し、2、3年時の全日本学生選手権(インカレ)で2連覇を達成。常に早大レスリング部をけん引してきた。そんな米澤は慣れ親しんだ早大のシングレットに別れを告げ、新たなステージの下、自身のレスリング人生を懸けた戦いへと身を投じようとしている。

 昨年12月、天皇杯全日本選手権(天皇杯)。米澤の早大での戦いはあまりにもあっけなくその幕を閉じた。男子フリースタイル65キロ級の準々決勝で清水洸希(拓大)に7−8で敗北。「後からじわじわと悔しさがこみ上げてくるタイプなので」。感情をあまり露わにすることがない米澤が、試合終了直後にタオルを叩きつけ、悔しさを爆発させた。「早稲田の学生として出る最後の大会なので、思い入れは強かったですね。早稲田のシングレットを着て全日本を取りたい気持ちが大きかったので・・・」。
 振り返れば4年時は、主将としてチームをけん引する立場ながら、個人、チームともに満足のいく結果を残せずに終わった。世界大学選手権で優勝し初の国際タイトルを獲得したものの、インカレや内閣総理大臣杯全日本大学選手権(内閣杯)、天皇杯と国内主要大会では勝負どころで勝ち切れず。東日本学生リーグ戦(リーグ戦)でも、チームの負けを決定付ける敗北を喫した。「一番印象に残っているのは、最後のリーグ戦の日体大戦ですね。普通の負けではなく、主将として、チームの負けを決めてしまった。入学した時からリーグ戦で優勝することを目標にしてきたので、自分の負けでその目標がついえた悔しさも大きかったです」。
 主将としての葛藤もあった。「色々なことを考えられほど器用じゃないので。自分も、チームも強くならなければならない」。自身の不調は、背中で引っ張るという主将像との乖離を生んだ。「4年生の1年間は苦しかったですね。うまくいかなかったことが多かったので」。


昨年の東日本学生リーグ戦日体大戦。主将である自身の敗戦がチームの敗戦を決めた

 3年までの米澤はまさしく順風満帆であった。秋田商高時代から全国高校選抜やインターハイ優勝といった実績を残してきた米澤は早大でもすぐにその頭角を現した。「失うものがないというか、とりあえず勝つことだけを考えて。研究もされていなかったので、自分のスタイルを出し尽くせていました」。2年生になるとインカレと内閣杯の学生二冠に加え、表彰台に上ったことすらなかった全日本の舞台でも決勝まで進出し、一気に表舞台へと躍り出た。
 結果を残すにつれて研究されてきているという実感はあった。「学生チャンピオン二冠になって、周りの見る目も変わってきて。自分にプレッシャーをかけて頑張るようになりました。研究されていても取れるような技術を磨いたり、考えながら練習をしていました」。その努力の甲斐あって、米澤は3年時も結果を残す。インカレではのちの全日本70キロ級王者の乙黒圭祐(山梨学院大)を死闘の末に下し、2連覇を達成。「決勝に行くまでも厳しい試合が多くて、苦労して取ったタイトルなので、一番印象に残っているタイトルですね。連覇をする難しさっていうのを痛感しました」。全日本の舞台でも2年時の天皇杯から三大会連続で決勝へと進んだ。ただあと一歩、全日本の頂点に届かない。学生王者としての地位を確固たるものにした米澤は、全日本の頂点へ、そして東京五輪へと照準を合わせるようになった。


3年時のインカレでのちの全日本王者の乙黒圭祐を死闘の末下し、二連覇を達成した

 だが、早稲田のシングレットを着て全日本のタイトルを、そして目標に掲げたリーグ戦優勝を目指したラストイヤーは不完全燃焼に終わった。「4年生の1年間ダメダメだったので天皇杯で挽回したかったんですけど、負けてしまって。明治杯(全日本選抜選手権)も予選からなので、崖っぷちに追いやられています」。男子65キロ級は昨年の世界選手権で金メダルを獲得した乙黒拓斗(山梨学院大)をはじめ、強敵がひしめく激戦区。東京五輪への出場は茨の道だ。
 住友金属鉱山株式会社という企業にとって初めてのトップアスリート採用というかたちで採用され、社会人選手として競技を続ける米澤。「学生時代と違って、会社からの支援もあるので、その期待に応えられる選手にならないといけない」。五輪競技としてのレスリングは、興行競技として人気を博す『プロレス』に対して『アマレス』とも呼ばれるように、社会人選手となってもアマチュアの域を出ることはないが、「言ってしまえばプロみたいなもんですよね。常にレスリングのために取り組んでいかないと勝てないと思いますし、プロ意識を持ってやっていきたいと思います」。

 レスリングを続けるのは今のところ東京五輪まで。そこで一区切りを付けるつもりだ。「気づいた時からレスリングをやっていて、それが大学の4年生まで続けていて、社会人でも続けて、自分でもよく続いているなと思います。『そんなに好きなのかな』って思いますけど、自分の人生にとっても大きな存在ですね。なんだかんだ」。物心がついた時から常に共にあったレスリング。その全てを懸けた米澤の最終章が今、幕を開けようとしている。

(記事 林大貴、写真 林大貴、皆川真仁)