惜しくも、1925年の創部以来初の優勝はならなかった――。だが、獅子奮迅とも言える働きを見せた黒衣軍団のキャプテンは、最後まで身体を張って仲間を鼓舞し続けていた。初優勝を逃して大粒の涙を流す天理大キャプテンの島根一磨 1月12日、東京…

 惜しくも、1925年の創部以来初の優勝はならなかった――。だが、獅子奮迅とも言える働きを見せた黒衣軍団のキャプテンは、最後まで身体を張って仲間を鼓舞し続けていた。



初優勝を逃して大粒の涙を流す天理大キャプテンの島根一磨

 1月12日、東京・秩父宮ラグビー場でラグビー大学選手権の決勝が行なわれ、関西Aリーグ3連覇中の天理大学と、昨年度ファイナリストの明治大学が激突。戦前の予想では、スクラムの強い天理大がやや有利とされていた。だが、明治大の攻守にわたるプレッシャーの前に、天理大は今シーズン初めてリードを許す展開となり、17-22で惜敗した。

 天理大は7年ぶり2度目の決勝進出。悲願の頂点を目指したが、再び関東の強豪に屈することになり、10校目となる大学王者の座を手に入れることはできなかった。それでも、FWの平均体重が8kgも少ない状況のなかで、ホーンが鳴った後もあきらめずに戦う姿勢は見ている観客の心を打った。

 後半22分には5−22となり、明治大に17点も差をつけられた。しかし、天理大フィフティーンは勝利を信じ、自陣からでも攻めに転じた。その先頭に立っていたのが、キャプテンHO(フッカー)島根一磨(4年)だ。

「吹っ切るしかない。思い切りやるしかない」

 島根はそう、仲間に声をかけたという。

 そして「誰かがアタックをして流れを変える必要があった」と感じた島根は、「勝ちに行く」という強い思いを自らのプレーで体現する。後半29分、敵陣22メートル付近でブラインドサイドから走り込んでボールをもらい、タックルを受けた後もボールを置いて再び拾い上げて突進し、そのまま右中間に飛び込んだ。

 この気迫のプレーによって、ゲームの流れはようやく天理大へと傾く。後半35分、ハーフウェイライン付近から味方のショートパスを受けた島根は再び抜け出し、ゴール前まで迫ってチャンスメイク。最後はCTB(センター)シオサイア・フィフィタ(2年)が中央にトライを決めて、17-22と5点差に迫った。

「今シーズンはあまりアタックする機会がなかったですが、最後にできてよかった。執念です。気持ちを出しました」(島根)

 しかし、逆転を狙った天理大の最後のアタックは、明治大の激しいプレッシャーの前にフィフィタが落球し、ノーサイド。あと1歩のところで優勝には届かなかった。「点差が縮まってくると、勝つと信じる思いがひとつになって、アタックし続けることができた。最後のミスは明治大のディフェンスがすばらしかったから。それに尽きます」(島根)。

 島根キャプテンに敗因を聞くと、「最初に受けてしまった」と肩を落とした。「(アタックでは)明治大の強いディフェンスに対して攻めきれず、相手FWにもゲインを許してしまい、いつもどおりのディフェンスができなかった」と、接点で後手を踏んだことを悔やんだ。

 評判の高かったスクラムでは終始優勢だったが、勝負どころでPGを与えてしまい、「大事な場面でいいスクラムが組めなかった」と反省。また、マイボールラインアウトでも10本のうち半分しか取れず、「相手の背の高い選手に取られたり、自分がプレッシャーを受けて乱れたりしてしまった」と唇をかんだ。

 ノーサイド直後、明治大フィフティーンが歓喜に沸いているなか、島根は最後までキャプテンとして毅然とした態度でレフェリーに握手を求め、そして勝者を称えていた。

「悔しさもありましたが、最後攻めて終わったので、出し切ったなという思いです。相手がいないと試合はできないので、感謝の思いをもってしっかりと最後までやりきることが、天理大の伝統です」

 島根は試合後、堂々と胸を張った。

 前半3分にラインアウトからのサインプレーで先制トライも挙げるなど、この日の島根は2トライと気を吐いた。HOとしてスクラムをコントロールし、タックルでも身体を張り続けた。そんな島根をキャプテンにした理由を小松節夫監督に聞くと、「決勝戦のプレーがすべてを物語っていましたね」と語る。

 今年は島根にとって、まさに挑戦の1年だった。キャプテンに抜擢されただけでなく、「トップリーグに行って、さらには日本代表になりたい!」という夢を叶えるべく、将来を考えてFL(フランカー)からHOにコンバートした。

 HOはスクラムで第1列の最前線を任され、ラインアウトではボールを投げ入れる、まさにFWのなかで「司令塔的な役割」を担う重要なポジションである。島根は日々努力を重ねて、転向したばかりとは感じさせないまでにプレーの精度を高めた。スクラムを担当する岡田明久FWコーチも、「HOとして最初はド素人でしたが、身体もデカくなって強くなった」と目を細めたほどだ。

 島根の父も、天理大のラグビー部だった。幼稚園児の5歳から天理の地で楕円球を追い、7年前に天理大が大学選手権の決勝に進んだ日、天理中の3年生だった島根少年は朝4時のバスに乗って国立競技場まで駆けつけ、先輩たちの勇姿を見届けた。そして今、大学4回生となった島根は、同じ舞台で負けはしたものの、キャプテンとして正々堂々と、ひたむきに戦った。

 島根を筆頭とする天理大フィフティーンの想いは、きっと後輩たちにもつながっていくはずだ。島根は「決勝で負けた悔しさを忘れずに、あと一歩届かなかったのは何か原因があると思うので、それを見つけて日本一を目指してほしい」とエールを送った。

 4月から島根は、トップリーグの強豪チームでプレーする。キャプテンとして最後の円陣では、「来シーズンは優勝するぞ!」という言葉で締めくくった。「大学日本一になる」という島根と天理大ラグビー部の想いは、後輩たちに託された。