無数のカラフルな大漁旗が潮風に舞う。「カーマイシ」の大声援が沸き上がる。2019年のラグビーワールドカップ日本大会で唯一の新設会場、岩手県の釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムがついにオープンした。

 オープニングマッチとして、あの日本選手権7連覇の新日鉄釜石ラグビー部の流れを汲む釜石シーウェイブス(SW=トップチャレンジリーグ)が、上位リーグにあたるトップリーグの強豪、ヤマハ発動機に挑んだ。ゲーム・スローガンは「つなぐ」だった。桜庭吉彦ゼネラルマネジャー兼監督が説明する。



白熱した試合を見せた釜石シーウェイブスとヤマハ発動機

 「釜石の歴史をつなぐことでもあるし、震災という過去と未来をつなぐことでもある。また試合を見にきた人たちの気持ち、あるいは心をつなげたいと。そう思って、選手たちに話をしていたんです」

 19日の日曜日。黙とうの後、記念試合が始まった。両チームの闘志とプライドが激しくぶつかる。スクラムで劣勢に回った釜石SWだが、からだを張ったタックル、ブレイクダウンでよくファイトした。ノーサイドのホーンが鳴った後、ペナルティキックの速攻からつなぎにつないで左隅にトライを返し、24-29と詰め寄った。

 6千5百の満員スタンドが大きく揺れた。桜庭監督は「勝ちたかった試合ですので、負けは悔しいです」と口を開いた。

「でも、最後まであきらめずにプレーして、意地を見せてくれたのはよかった。次につながる、あるいは未来につながる試合ができたのかなと思います」

 釜石SWのウイング、小野航大主将は「チームとしていいチャレンジができました」と言葉に充実感を漂わせた。

「これだけきれいなグラウンドで、たくさんの人に集まってもらって、恥ずかしいゲームはできないと思っていました。復興の象徴であるスタジアムでこういうゲームができたことはすごく意味のあることだと思います」

 確かに新スタジアムは復興のシンボルである。鵜住居地区は2011年の東日本大震災で甚大な被害を受けた。児童、生徒は全員助かったが、鵜住居小学校、釜石東中学校は全壊し、スタジアムはその跡地に建設された。震災直後の悲惨な風景を思い出すと、感慨深いものがある。

 縁なのだろう。震災の約3か月後、釜石市に来て、釜石SWと「復興祈願マッチ」をしたのが、ヤマハ発動機だった。その試合の前後、新日鉄釜石のOBから「ラグビーワールドカップ招致」の話が持ち上がり、2015年3月、周りの支援もあって招致が成功した。17年4月、新スタジアムが着工され、この日を迎えることになったのである。

 海と山に囲まれた新スタジアムは牧歌的な空気に包まれている。まるで映画『フィールド・オブ・ドリームス』のごとき夢舞台である。常設が約6千席。うち約5千席を木製とし、林野火災で被災した地元のスギ材も使われている。ワールドカップでは仮設スタンドが増設され、収容が約1万6千人となる。それでも大会基準でみるとコンパクトな設計だ。

 ヤマハの清宮克幸監督はこの日、スタジアムの一番上あたりの席に座っていた。

「海が見えて、その前に防波堤が高く高くそびえ立っているように見える。でも、その上には、あたたかい観客席とスタジアムと緑の芝生・・・。鵜住居という場所を知っている人間にとっては、何とも言えない、そう、言葉にできない一日でしたね」

 清宮監督はイベントで2年前にも鵜住居を訪ねている。地元の人と風船とハトを飛ばしたそうだ。その時はまだ、ここは更地だった。「僕の中ではいろんな絵がぐるぐる回っている感じなんです」。感激屋の清宮監督は少し上気した顔で言葉を足した。

「カマイシッ。それに尽きます。この言葉、日本のラグビーを愛する人みんなが大切にしているんだと思います。この新しいスタジアムでラグビーの絆を深められたことをホント、うれしく思います」

 そういえば、試合後、両チーム一緒の記念撮影の際の掛け声は、チーム名を合わせ、「ヤマハ・シーウェイブス!」だった。

 震災後の復興祈願試合でプレーした五郎丸歩はこの日、2日前に試合したばかりだったので出場しなかった。

「(7年前)ここに来たときはまだガレキが残っていて、ほんとショックという言葉があてはままる状態だった。今は、新しいスタジアムができたり、周りに家が建ったり、また普通の生活を取り戻してきたなという感じでよかったなと思います」

 この日は、被災地に届ける平原綾香さんの歌や人気のEXILEメンバーと中学生のダンスも披露された。五郎丸が感謝する。

「多くの方が夢や希望を持ってイベントをやってくれたことを非常にありがたく思います。ここでワールドカップが開催されるということで、ラグビーを通してさらに元気を取り戻してもらいたいと思います」

 夢といえば、新日鉄釜石と神戸製鋼のOB戦も行われた。V7メンバー同士の「レジェンドマッチ」には釜石のスタンドオフの松尾雄治さん、プロップ石山次郎さん、スクラムハーフ坂下功正さん、神鋼のロック林敏之さん、大八木淳史さん、スクラムハーフ堀越正巳さんら往年の名選手がずらりと並んだ。

 さすがにみな走力は落ちたが、時折、キラリと光るプレーでスタンドを沸かせた。64歳の松尾さんは疲れから、キックの後、後ろによろめくシーンもあって、「OBマッチって2度とやらないと思う」と記者を笑わせた。

 それでも、新スタジアムでのプレーは「夢のようだった」としみじみと漏らした。

「震災は忘れないけど、この震災があったからこそ、もっと郷土愛とか、一致団結してひとつのことをやろうとかいう気持ちが芽生えてきている。マイナスをプラスに変えていくのが釜石だと思っている」

 61歳の石山さんは定年後、みずから建設会社に職を求めて、新スタジアムの建設現場で働いてきた。黙々と走り、スクラムを組んだ。

「自分が関わったスタジアムだから感慨深いですよ。よく、ここまで来たなと思います。ただ僕らの目的は、(スタジアムを)造ること、ワールドカップを成功させることだけじゃない。それを手段として、どう街の将来に役立てていくことではないですか」

 同感である。いわばひとつのステップに過ぎない。大事なのは”これから”なのである。

 V7戦士は早逝した釜石OBの洞口孝治さん(1999年没、享年45)や神鋼OBの平尾誠二さん(2016年没、享年53)ら故人を偲んだ。実は公式プログラムをよく見ると、OBではない、釜石のラグビー少年の名前がV7戦士物故者のリストに記されている。

 昨年2月、病気で天国に召された佐藤蓮晟(れんせい)君である。まだ13歳だった。ラグビーが大好きで、ワールドカップを釜石で観戦するのが夢だと口にしていた。

 少年の父、新日鉄釜石ラグビー部OBの佐藤大輔さんはこの日、ロックでOB戦に出場して、こう、ボソッと漏らした。

「れんせいに、試合を一緒に観戦してほしかったですけど…」

 小さな新スタジアムには、いろんな人の思いと希望が詰まっている。特徴が、「羽ばたき」と「船出」を表現した白い大屋根。世代と時代をつなぐ、日本と世界をつなぐ、老若男女がスポーツを通してつながる「復興のシンボル」として、ついにスタートしたのだ。

 JR釜石駅前に大きな横断幕が下げられている。白地に青字でこう、描かれている。

<伝説はまた、ここから始まる>