輪史に名を残す鈴木誠(千葉55期・53歳)選手が引退会見1985年のデビューから33年余、KEIRINグランプリ(1991年)をはじめG1レースで4つのタイトル、記念競輪優勝49回を誇る鈴木誠(千葉55期)選手が7月9日に引退発表。そして、…

輪史に名を残す鈴木誠(千葉55期・53歳)選手が引退会見

1985年のデビューから33年余、KEIRINグランプリ(1991年)をはじめG1レースで4つのタイトル、記念競輪優勝49回を誇る鈴木誠(千葉55期)選手が7月9日に引退発表。
そして、地元・松戸競輪場でG2サマーナイトフェスティバルの前検日に引退会見が行われた。


サマーナイトフェスティバルの前検日にこのような席を設けていただいて感謝しております。
この場をお借りしまして、選手会、松戸興産、各関係団体に心から御礼を申し上げます。
私、鈴木誠、引退のご報告に参りました。
1985年にデビューしまして、33年間、現役を続けてきたのですが、この7月9日に引退しました。
思い返せば、まだ右も左も分からない自分を師匠であります吉井秀仁さん(千葉38期・引退)に育てていただきました。
念願だった競輪祭新人王(1988年・小倉)を。
高松宮杯(1990年・びわこ)、全日本選抜(1991年・久留米)、KEIRINグランプリ(1991年・立川)も。
そして、ここ松戸で行われました日本選手権(2005年)で優勝することができました。
日本一の景色を見ることができましたし、本当に素晴らしい自転車人生、競輪人生でした。
私はクビになるまで、70歳までは現役を続けたかったのですが。
半年くらい前から股関節のケガで、練習の時でも痛み止めを飲まないといけない状態でした。
このような状態が続いていたら、大好きな自転車、競輪が嫌いになってしまう。
また、お客様の大事な車券に貢献できないと判断しまして引退を決意しました。
今年はたくさん走って、来年の松戸ダービーを走るのが夢でしたが。
身体が壊れるまで、自転車に乗れなくなるまで、自分なりに頑張ってきました。
だから、自転車人生、競輪人生に悔いはないと実感しております。
33年間の競輪人生でしたが、本当にどうもありがとうございました。


股関節の痛みは昨年の11月くらいから。
最初は変形性関節症で、あまり悪くならないだろうと無理をした、それで悪化してしまいました。
数年前から引退はいずれくるだろうなと、ただ70歳までは続けたいと思っていました。
引退を決意したのは2〜3場所前から。
これまでは痛みに波があったが、ズーッと、痛いままで練習もできなかった。
お客さんの前で走る、車券の対象にもなっている、自分自身で納得いかなかったので。
家族にも2〜3場所前くらいに報告。
歩くのも痛い、痛み止めを飲んで競争にも出ていたのを家内は知っていたので。
それで落車でもしたら不安で仕方ないと、言っていました。
引退は寂しいけれども安心した、お疲れ様と、言ってもらいました。


大きいレースでは久留米の全日本選抜、ここ松戸での日本選手権が思い出深いです。
グランプリは一発レース、お祭り気分というのもありましたし。
賞金王(1991年)も積み重ねてきた結果だったので。
欲しかったタイトルという部分、勝ち上がりも厳しかったということで、全日本選抜と日本選手権です。
日本選手権、ダービーを獲りたいというのは夢でした。
それを地元で獲れたという競輪選手はなかなかいないと思いますので、本当に恵まれていたと思います。
急に辞めたので今後の予定は全く立っていないんですけれども。
できることでしたら、これまで33年間で培ってきた経験で競輪界に少しでも恩返しをしたい。
ファンの方から「感動をありがとう」など、お声を掛けていただきますが。
ここまで競輪選手を続けてこられたのはファンの方のご声援のおかげ。
私がファンの方からたくさんの感動をいただいだので御礼を申し上げたいです。

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「悔いはない」という言葉の通り、終始、鈴木の表情が清々しいものであった。
会見後、師匠である吉井から花束を受け取った際も満面の笑みを浮かべた。
競輪ファンにとって寂しい引退ではあるが、鈴木への“敬意”と“栄光の軌跡”は消えることがない。
そして、「競輪界に恩返しをしたい」という言葉を信じて。
バンクを去っていく鈴木に、笑顔で拍手を送りたい。
15日(日)には松戸競輪場で、鈴木の引退セレモニーが行われる。