いよいよ来年に迫った日本でのワールドカップの成功を祈って、京都市にある下鴨神社の雑太社(さわたしゃ)で7月9日、参拝する時に鳴らす「お鈴」の奉納が行われた。 神社内の糺の森(ただすのもり)にある雑太社には、1910年(明治43)における関…

 いよいよ来年に迫った日本でのワールドカップの成功を祈って、京都市にある下鴨神社の雑太社(さわたしゃ)で7月9日、参拝する時に鳴らす「お鈴」の奉納が行われた。

 神社内の糺の森(ただすのもり)にある雑太社には、1910年(明治43)における関西ラグビー発祥の地として「第一蹴の地」の石碑がある。そこに、関西ラグビー協会の坂田好弘会長、お鈴をあがなったフルタイムシステムの原幸一郎代表取締役らが姿を見せた。

 お鈴は、日本で初めてとなるラグビーボールを模して作られている。サイズはほぼ実寸。金属加工の後、金色にメッキされている。
 美しい「カランカラン」という音色に坂田会長は満面の笑みを浮かべた。
「よかった、よかった。原君の尽力のお蔭で、ようやくこの日を迎えられました。これで、ワールドカップに来られる人たちにお参りをしてもらうことができます」

 マンションの玄関などにある宅配用ロッカーをてがける原代表はラグビーマン。現役時代はLOだった。WTBだった坂田会長と同志社大ラグビー部の同期。1年時は第2回NHK杯(日本選手権の前身)、3年時には第1回日本選手権でともに近鉄を破り、優勝(17-6、18-3)を経験している。強い時代を知る2人は1965年(昭和40)に卒業した。

「坂田君は常にスペシャルでした。そんな彼のお願いに『任せて下さい』と言いました。僕は神さまも好きなので、いま最高の気分です」
 日本代表キャップ16を持ち、日本で最初に世界ラグビー殿堂入りした同級生へのオマージュを口にしていた。

 これまで、雑太社にはお鈴がなかった。この日の奉納でお社(おやしろ)としての形を完全に整えたことになり、さらなる参拝客の訪れやラグビーへの関心の高まりが期待されている。