—少し話は変わりますが、今年主将は練習期間に候補をローテーションで回し向山選手に決めたということでしたが、新人戦でも主将を務めた川口(凌、人:新4年)選手ではなく向山選手に決めた決め手をお聞かせください
最終的には向山と川口で相当悩みました。どっちかだと思ったので。ただ、去年は森(龍馬=平29年卒部、明治安田生命)という人間がキャプテンをしていて。川口はどちらかというと職人気質といいますか、背中で引っ張っるようなタイプなんですよ。もちろんそれも大事なんですけど、今のチーム状況とか法政大学野球部の現状を考えたときにどちらかというと背中で引っ張るよりも有言実行、また同期や後輩から人望の厚い者が良いのではないかということと、そこに+α(アルファ)本人の技量も含め最終的には向山の方が良いのではないかと。また、川口は、川口がダメというわけではなくて、副キャプテンというサポート役の立場で野球をした方が彼の野球の結果も出ると思ったし、彼もその側面からチームをバックアップした方がチームにも味が出るかなと思って、最終的にはそのような判断をしたというところですね。

—副将が去年から1人増え3人となったことへの意図というのは
ポジション的なものもあるんですけど、僕の考えでは本来キャプテンというのは扇の要だったりとか、要はもっと言ったら内野とかが僕は良いと思うのね。向山が今年どこを守るかはまだ分かっていないんですけど、今のままだと外野になってしまう可能性があると。そこで、試合でピンチだったりとかそういうときに声を掛けられる、リーダーシップを取れるというところを見たときに、やはり中山(翔太、人:新4年)だったりとか中村(浩人、営:新4年)だったりとか川口がいたほうが僕は良いかなと思ったので、そういうところも含めて「よし、思い切って3人副キャプテンを作ってみよう」と。また、ここは僕の危機管理能力が問われる部分でもあるんだけど、今川口と小林(満平、法:新4年)が(セカンドに)いるわけで、試合にはいい方が出るわけで、川口がその争いに負けてしまったら彼はベンチになる可能性もあるし、そうなると小林が(レギュラーに)入りますよね。そうしたら、中山とか中村が(試合中は)キャプテンの代わりをしてやっていかなければならないし、色んな所を考えたら副キャプテンは3人くらいいたほうが良いのかなと思ったし、もっと言えば、今年中山は4番でサードをやらせようかなと思っているので、けがというリスクもあるじゃないですか。攻め方もインコースがどんどん増えてくると思うしね。そうなったときには、中村が大事になってくるし。色々そういった危機管理を見据えた上で、副キャプテンは多いほうが良いかなと。また、彼らの性格もそれぞれ全然違い、チームに与える影響も全然違うので、3人とも幹部にさせたほうが良いかなというのもあり、そうさせていただきました。

—今年、内野だけでも川口選手だけでなく小林選手などがおり選手層が豊富にもかかわらず、副将と責任者を統一したのもチームに与える影響という部分からでしょうか
与える部分も大きいと思うし、そこで責任者が変わってしまうとぶれてきてしまうかな、と。

—意思疎通という部分ででしょうか
はい、それも含めて。それだったら川口でも十分卓越した理論を持っていますし、自分の言ったことにも反応してくれるので、それは一人二役やったほうが良いと。ただ、別の観点から、例えば寮長だとかそういう部分で、小林という人柄というものを生かしてやりたいと思いました。

—大きなけがから復帰した大西(千洋、営:新4年)選手を外野手責任者に抜擢されました
やはり彼はあれだけの事故があって、あれを乗り越えられる精神とかメンタルって相当強いと思うのよ。それは、今の法政大学野球部に絶対必要なものだと思うし、そういうものを受け継がせなくてはいけないと僕は思っているので、彼が外野手長になって、リーダーとして孤軍奮闘する姿を僕自身も見たいし、それを見ている同期後輩たちも学んで次につなげてもらいたいなというのもあって、彼にそういう想いでやらせました。

—そのような幹部をはじめとした選手たちに今年期待することはありますか
今、実は練習メニューも彼らに決めさせているんです。だからもう自分の中ではそこまであいつらを信じているので、期待していることは、ただしっかりリーグ戦勝ち切って優勝してくれるだろうということだけですね。

—最後に1年の目標をお願いします
1年の目標としては『優勝』しかないですね。本当に春秋優勝で日本一を獲ると。もっと言えば二冠、四冠を獲るという気持ちです。そのために彼らを若い時から試合に使い経験を積ませて、またそういう気持ちで(チームを)作り上げてきたので、ここでしっかり開花させる年かなと思っています。

(取材:中西 陽香)

青木久典(あおき・ひさのり) 1973年2月16日生まれ 三重県出身・三重高校→法政大学→たくぎん→本田技研鈴鹿→サンワード貿易 『現役時代は主に遊撃手としてプレー。大学では 現侍ジャパン監督の稲葉篤紀と同期。副将も務めた。社会人野球部では9年間中心選手として活躍し2004年に現役を退く。その後、富士大学のコーチ、監督を経て14年1月より法政大学野球部の助監督に。15年1月から監督に就任し指揮を執り、4年目のシーズンを迎える。』