藤田俊哉インタビュー@前編 昨年12月のある日、ファジアーノ岡山アカデミーの研修生、某選手代理人、欧州周遊中のJリー…
藤田俊哉インタビュー@前編
昨年12月のある日、ファジアーノ岡山アカデミーの研修生、某選手代理人、欧州周遊中のJリーガーが藤田俊哉を訪ねてリーズに集っていた。
「明日のチャンピオンシップ(イングランド2部)の試合は、リーズ・ユナイテッドの仕事として大手商社の方をアテンドだよ」と、藤田は忙しく英国の地で動いている。名刺の肩書は『ヘッド・オブ・デベロップメント アジア』。「リーズのフットボールを発展させて、アジアとリンクさせることが俺の仕事」と藤田は言う。

リーズ・ユナイテッドのフロントで働く藤田俊哉
「リーズはプレミアリーグ昇格に向けて、アジアに商圏を展開させたい。それがクラブと会長の考えだから、(自分が)先に布石を打っておく。アジアツアーのパートナー探しとか、中国のスクール展開の場所探しとか。今はその”種”を植えたい、という段階だよね」
―― 藤田さんがオランダに来たのは2014年1月のこと。最初の半年はトレーニー(研修生)でしたが、2014-2015シーズンから3年、VVVフェンロのコーチを務めました。まずはVVV退団の背景から教えてください。
藤田俊哉(以下:藤田) オランダで監督を目指して3年半。アシスタントコーチ(ヘッドコーチ)までは順調に進むことができた。2016-2017シーズンにはVVVフェンロのU23監督のオファーをクラブからもらった。
そこで問題となったのが、UEFAプロライセンスとAFCプロライセンス(S級ライセンス)の互換性についてだった。日本サッカー協会からもレターをもらい、オランダサッカー協会と交渉に入った。しかしその回答は、「検討するが、現状では互換性は認められない。再度VVVフェンロでのコーチ実績を考慮して検討する」という厳しいものだった。
最終的には、「U23監督に必要なライセンスがないから」という理由で話が流れてしまった。そんなライセンスの堂々巡りは3年で区切りをつけた。そして。レギュレーションの異なるイングランドでトライをしようと考えた。
―― オランダですべてを尽くしてさっぱりしたわけですね。
藤田 そう。オランダでやれることは、すべてやってみた。山の登り方を変えただけで、監督になるという目標は変えてない。
―― 欧州で監督になることが藤田さんの目標でした。今はフロント業務のほうに針路を変えたのでしょうか?
藤田 VVVではハイ(・ベルデン)さん、リーズではアンドレア(・ラドリザーニ)といった会長との仕事で学べることがたくさんある。それらから、「狭い視野のなかでいろいろ考えすぎないで、今やれることにベストを尽くそう!」とあらためて感じ、今はいろいろなことを膨らませようとしている。ヨーロッパにいる間に、いろんな世界を見たいと考えている。
リーズから話があったとき、すでにコーチの席は全部埋まっていた。それでリーズに来るのをやめるのではなく、一度リーズというクラブの組織のなかに入ってみようと思った。僕は「(指導者として)現場をやりたい」という思いは強いけれど、これから1年リーズにいて、フロントサイドからの考え方も学びたい。
だから、今の自分がやれることにベストを尽くしたい。現場に対しても、フロント業務に対しても、常に準備を怠らないというスタンスは変わらない。そして常にフレキシブルでいたい。
―― リーズのラドリザーニ会長とは、どういう縁でつながったのですか?
藤田 フェンロに住んでいたから、オランダ、ドイツ、ベルギーといった隣国はもちろん、バルセロナやロンドンにも頻繁に僕は旅をしていた。すると、「サッカー人の輪」が広がっていった。
アンドレアの家はロンドンにあるので、人を介して紹介してもらった、そこからリーズの話につながった。ビジネスもそうだと思うけれど、いろんな話があるなかで、実現するのは本当にわずか。それには縁もある。だから、VVVに次いでヨーロッパで2回目のチャレンジができるのはありがたいよね。
―― 指導者とフロント。どちらに進むか、いずれは決断しないといけないのでしょうか?
藤田 その必要は全然ない。監督も強化もそんなにかけ離れてないと、僕は考えている。ベンゲルさんはアーセナルの経営にも関わっていると聞いている。そうでなければ、あれだけ長くアーセナルの監督を務めることはできない。成績がいいシーズンでなくても、経営サイドの立場として選手をうまく回し育てていることが評価されている。
だから自分も、リーズでやれることは結構ある。今回、ファジアーノ岡山を受け入れたのもそう。役職柄、これまで僕はリーズのアカデミーと関わることは少なかったけど、今回のことがキッカケとなってお互いをよく知るようになった。アカデミーの関係者は「今度はうちらの選手が日本に行く番だな」なんて言っていた(笑)。
そして、自分にとっても日本のアカデミーのことを知る機会にもなった。こういうことも一生懸命やって、日本から来た選手やスタッフにいい思い出として帰ってもらったほうが絶対にいい。それがリーズ・ユナイテッドの評価にもつながるから。
―― ところで、藤田さんはチャンピオンシップのサッカーを満喫していますか?
藤田 オランダのサッカーとはまったく違うけど、その闘いは面白い。テンポが速い。試合を見ていても、観客が沸くポイントが違う。オランダが沸くのは技術を見せたとき。一方、イングランドのファンは肉弾戦を好む。激しいぶつかり合いと、ひたむきなプレーをしたときにファンが沸く。そういうファイトをしない選手は好まれないよね。
チャンピオンシップは「これぞイングランド」というサッカー。プレミアリーグというのは、それを超越して技術も見せる。だから、文字どおり「プレミア」なんだ。チームのシステムも、それぞれの監督が戦術に合った選手を世界から採ってくるから、プレミアリーグは「国籍なしのリーグ」。イングランドリーグの枠だけには収まらないと感じる。
―― リーズのことに話を戻しましょう。リーズは2000-2001シーズン、チャンピオンズリーグでベスト4となり、欧州サッカーシーンを沸かせました。しかしその後、財政難から3部まで落ちました。
藤田 それでスタジアムも一度、手放すしかなかった。だけど、譲渡したときに買い取りオプションがあったらしく、会長がスタジアムを買い戻した。リーズは今、再生の兆しが出てきたから、クラブに活気が戻ってきたと皆が言っている。それは新しい会長の情熱と資金(があるから)。
その前の会長(マッシモ・チェリーノ)にも会っている。彼はイタリア人でカリアリのオーナーをしていた。彼はアンドレアほどお金を投資しなかったけれど、本当に厳しい状態だったところからクラブ経営に入って立て直してくれた。そこからさらに上に行くとき、アンドレアになった。ふたりの功績は大きい。今は勝負期に入っているよね。
―― リーズはビッグクラブになろうとしているのですか?
藤田 規模はまだ小さいけれど、準備をしておかないと。チャンピオンシップからプレミアシップに上がったら、最低150億円はテレビ放映権があるという。これに本来の予算が加わってくるわけだから、リーズの年間予算も飛躍する。
―― スケールが大きい!
藤田 そういう話をアンドレアから聞いて、「リーズでその世界を感じてみたい」と思った。だから、どんな役割でもリーズで一回、仕事してみようと決めた。
ヨーロッパには彼らの文化があるから、アジア人がそこまで入っていくのは大変な部分もある。VVVのときだって、最初の俺はトレーニーだった。そこから自分の存在を認めてもらい、U23チームの監督オファーをもらえた。時間さえもらえれば、俺はそのなかで生き抜く力があると信じている。リーズでも1年あれば大丈夫かな(笑)。
―― さきほど「イングランドを超越した存在のプレミアリーグ」という話がありました。そのクラブでレギュラーを張る吉田麻也選手、優勝メンバーの岡崎慎司選手は……。
藤田 トップの中のトップですよ。
―― このふたりを「トップ中のトップ」にさせたものは何でしょう?
藤田 世界のトップ・オブ・トップと言われているところで生き抜く――。それこそが答えだから。生き抜くチームが高ければ高いほど、トップの中のトップになる。現状のレスターとサウサンプトンを比べたら、そこまでクラブ差はない。トッテナムは少しスケールが大きい。そのなかで活躍しているソン・フンミン(韓国代表FW)の評価は高い。
―― クラブの格と選手の格は一緒、ということですか?
藤田 一概には言えないけど、所属クラブというのは選手のステータスともいえる。
―― だから、岡崎選手や香川真司選手を日本代表で使わないのはおかしいと。
藤田 もちろん監督のジャッジだけど、当然彼らにはその資格はある。
―― 本田圭佑選手は?
藤田 コンディション次第かな。パチューカでは試合に出ているようだし、クラブワールドカップで元気な姿を見せていたね。
―― 11月の代表戦で本田選手が外れたのは仕方がなかった?
藤田 それはわからない。だけど、どの選手もまずはチームで結果を残さないといけない。
―― 最近の本田選手を見ていると、まだまだ進化を続けていますね。
藤田 そうだね! まだ年齢的にも老け込む歳じゃない。新しい本田を見せてほしい。
(後編に続く)