12月4日、名古屋。グランプリ(GP)ファイナルの男子シングル、世界最高の6人のスケーターが滑るショートプログラム(S…
12月4日、名古屋。グランプリ(GP)ファイナルの男子シングル、世界最高の6人のスケーターが滑るショートプログラム(SP)が迫っていた。いつもドラマが起きる五輪シーズン、特別な大会だ。
鍵山優真(22歳/オリエンタルバイオ)は108.77点を叩き出し、首位に躍り出ている。北京五輪で銀メダルを受賞したSPのベストスコアを約4年ぶりに上回った。それは小さな快挙と言えるだろう。そこには必然的に物語があったーー。
12月4日、GPファイナルのSPで首位発進した鍵山優真
【一番カッコいいぞ!】
試合前に鍵山は鏡の前でヘアセットをしながら、自らに言い聞かせていたという。
「今日、いい感じじゃん。一番強い、一番カッコいいぞ!」
暗示をかけるように、心の中でつぶやいた。不安な心は必ずどこかに潜んでいるはずだが、それを強気で打ち消した。一種の自己陶酔によって、自然と集中力が高まっていった。
6分間練習でリンクに入る時には、完全に仕上がっていた。
「俺、一番輝いているな」
鍵山は会場を見渡しながら、気持ちの高まりを感じていた。結果的にその陶酔状態が彼を変身させたのである。
「自分らしくないかもしれないけど、それくらいガツンと挑むためのマインドが大事だと思いました」
鍵山はそう言って、心中を説明している。今シーズン、SPは自己ベストどころか、100点台にも乗らず、GPシリーズ・フィンランド大会では80点台に甘んじていた。
「自分は心がすぐ揺れ動く性格だと思うので、大胆に行くくらいでちょうどいいかなって。恥ずかしいんですけど、めちゃめちゃハマりましたね(笑)。フィーリングとしては北京オリンピックのショート(SP)に近いものがありました。一個一個のエレメンツを意識しているんですが、自然に流れにうまく乗っている感じで。足りなかったピースがハマった感覚があります」
【伸びしろを残す自己ベスト更新】
リンクに入った鍵山は、静寂すら感じさせた。同志と言える佐藤駿が98.06点とシーズンベストスコアを叩き出した直後で、会場は熱気に包まれていたが、泰然とした様子だった。最大出力を出す準備ができていた。
「自分の前で(佐藤)駿がいい流れをつくってくれたというか。プレッシャーは感じずに、僕もこのまま頑張ろうって思っていました。いい刺激をもらえましたね」
鍵山は言ったが、ライバルの存在が近くにあることで、彼は強い刺激を受けていた。GPシリーズのNHK杯での接戦も、ノービス以来の"バチバチ感"を楽しんでいるようだった。
「駿が今シーズン、いいパフォーマンスを続けるなかで、自分もついていかないとって気持ちもありますね。オリンピック出場も目標にしているので、そこでいいパフォーマンスしないと。今日も、その気持ちは強かったです」
冒頭、鍵山は4回転トーループ+3回転トーループの大技を完璧に降りている。4回転サルコウも、みごとに着氷した。華麗なスピンのあと、トリプルアクセルを美しく降りる。そこからはギターで奏でるジャズのリズムに体を弾ませると、会場に手拍子が鳴り響き、まさにオンステージだった。スピンもステップもオールレベル4。フィニッシュポーズのあと、右腕を力いっぱいに振り下ろした。
「自己ベスト更新がうれしかったです。4年間、ずっと高い壁に阻まれて課題になっていたので。100%の出来ではなかったんですけどね。自己ベスト更新で満足したわけではなく、サルコウはもっとうまく跳べたし、まだ高いところ目指せるという伸びしろを感じられたのがよかったですね。110点台も夢じゃないなって」
彼は高揚感を残したまま、取材エリアで質問に答えていた。
「次の試合でも(同じ気持ちの高め方を)試して、もしうまくいったら、この方法が合っているのかなと思います。今のところ、たまたまって可能性もなきにしもあらずなんで(笑)。今は練習からそのマインドをつくっていきたいと思いますし、今回の感覚を忘れずに、明後日(12月6日)までしっかり集中を意識していきたいです」
【自分を信じて世界王者へ】
鍵山は、初のGPファイナル優勝に一歩近づいた。世界王者イリア・マリニンがクワッドアクセル、4回転ルッツ+3回転トーループで得点を伸ばせず、まさかの94.05点で3位スタートになっているのだ。
「(マリニンとの点差は)何も考えずにやりたいです。結果は、パフォーマンスに応じてついてくるものだと思うので」
鍵山は充実感に満ちた表情で言い、こう続けている。
「グランプリファイナルはひとつの目標点で、いい演技を出せたのはうれしいです。でもシーズン全体で考えると、通過点でしかありません。ショート、フリーをそろえるのが一番大事なところで、喜ぶのは今日で終わり。明日、明後日は気を引き締めて、せっかくつかんだチャンスを逃さないように。自分に打ち勝って頑張りたいです」
本当の鍵山は、虚栄心など少しも感じさせない。しかし、自分を強く信じることによって、内にあるものを目覚めさせられる。美しさを競うスポーツにおいて、その現象は必然だろう。自分ではない何かに変身するには、陶酔もトリガーになるのだ。
「どれだけ練習を積んでも、完璧には自信を持てません。でも自信を持たないとうまくいかない。前向きな気持ちが、今日はうまく出たのかなって思います」
12月6日、20時46分。鍵山は最終滑走で、フリーのリンクに立つ。自分の輝きを信じて。