サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニ…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム。今回は、MEN IN BLACK。
■世界最初の公式サッカー大会で「提案」
サッカーが誕生して数年間は、試合といえば親善試合だけで、各クラブのマネジャーは試合日やグラウンドの決定などで多忙を極めた。やりとりは面倒で片道に数日を要する手紙だけで、うまく話が伝わらず、試合をすっぽかすチームも少なくなかった。そこで考案されたのが、FAが参加チームを募り、組み合わせや試合日程を決めて対戦させ、勝者が次のラウンドに進むというノックアウト方式の「FAカップ」だった。世界最初の公式サッカー大会である。
1871年、この大会を始めるにあたって、FAに何人もの役員を送り込んでいたパブリックスクール、ハロー校のOB・現役混合チーム「ハロー・チェッカーズ」からひとつの提案がなされた。少なくとも準決勝以降の試合では、すべて中立のアンパイアとレフェリーを使うべきだとの提案であった。
この提案はFAに受け入れられたが、「ハロー・チェッカ-ズ」自体は、「ワンダラーズ」という名のクラブと当たるはずだった1回戦を人数不足で棄権してしまった。「さまよえる者たち」を意味する「ワンダラーズ」は、レイトンストーンという東ロンドンの地区で活動していたクラブだったが、特定のホームグラウンドがなく、あちこち借り歩いていたため1865年にチーム名を改めていた。
ワンダラーズは2回戦を3-1で勝ち、3回戦のクリスタル・パレス戦は0-0で引き分けた後、FAの決定で両者準決勝に進出という幸運に恵まれた。その準決勝の相手クイーンズ・パークはスコットランドからの唯一の出場チームだったが、ロンドンでの試合を0-0で引き分けた後、再試合のために再度ロンドンに来る旅費が工面できず棄権、ワンダラーズは決勝に進出した。
そして決勝戦では、モートン・ベッツの決勝点で強豪ロイヤル・エンジニア-ズ(陸軍工兵隊)を1-0で破り、FAカップの栄えある初代優勝チームとなるのである。ただ、この試合で、ベッツは「A・H・チェッカー」という仮名でプレーしていた。実は彼は「ハロー・チェッカーズ」の選手で、チェッカーズが1回戦で棄権した後にワンダラーズに加わった選手だった。こうした行為は当時でも認められていなかったので、ベッツは仮名でプレーしたのだ。
■リーグ戦スタートで「初めて」ルールに
FAカップのスタートと同時に、サッカーに対する関心が一挙に高まった。当時雨後のタケノコのように数多く発行されるようになっていた新聞が、販売拡張競争の中でFAカップやサッカーの報道に力を入れたためだった。
チーム間の競争激化はやがてスコットランドからの「出稼ぎ選手」の獲得を生み、これを「プロだ」と言って非難するクラブ、「プロじゃない」「プロが何で悪いのか」と言い張るクラブ間でいさかいが起こるようになる。当然、試合は白熱し、誰もが勝負にこだわるようになる。
1888年にプロ選手を認めるクラブだけで「フットボール・リーグ」が組織され、「リーグ戦」という新しい形式の大会がスタートする。当然、アンパイアとレフェリーは「第三者」でならなければならなくなり、1890年に初めてルールの中にアンパイアとレフェリーが記述されることになる。そして翌1891年のルール改正により、レフェリーがピッチの中に入って「主審」となり、2人の「アンパイア」はタッチラインの外に出て「ラインズマン(今日のアシスタント・レフェリー=副審)」となるのである。
■「これがサッカー」と思われないために…
さて、一番大事なことを忘れてはいけない。アンパイアが問い合わせ、決定を委ねたピッチ外の人物は、懐中時計を持つ「紳士」だった。当時の紳士の昼間の礼装と言えば、「フロックコート」と決まっていた。膝丈の長い上着のようなもので、色は「黒」が定番だった。
ここに「黒」が出てくるのである。サッカーの審判のウエアが黒なのは、この時代の「フロックコート」からのなごりなのである。
レフェリーとは、対戦する両チームが自分たちだけでは試合を進められなくなったため、ピッチの外にいた人にお願いしてピッチの中に入ってもらい、最終的な判定を委ねた人だったのである。その証拠が、「黒いウエア」なのである。
お願いされた「紳士」は、両チームの選手たちがサッカーの試合を楽しむためにと、不承不承(かどうかは人によって違っただろうが)その役を引き受け、黒いフロックコートのまま、手に鉄道用の笛を持って、ピッチに引き出されたのである。
このような経緯を知れば、主審の判定には従うしかなく、執拗に異議を唱えたり、はては大声で怒鳴って威嚇するなど、言語道断ということが理解できるのではないか。少年少女にサッカーを教えるにあたって、プレーヤーたち、そしてその保護者たちに、指導者たちはまず、こういう話をしっかりとするべきだと、私は思っている。
「サッカーのプロ」であるJリーグの選手や監督たちは、こうした話は間違いなく知っているはずだが、実際にピッチやテクニカルエリアに立つと、すっかり忘れてしまうらしい。監督たちが大げさなジェスチャーで怒鳴るのをテレビも面白おかしく映すから、「これがサッカー」のように思われてしまうフシもある。何かしらの工夫をして、シーズンごと、試合ごとに、強く思い起こさせる必要がある。
この連載は、細かなどうでもいい話ばかり取りあげているが、今回はとてもまじめな話なのである。