(9日、第107回全国高校野球選手権1回戦 明豊―市船橋) 「『昭和の職人』のよう」と自分を語る。明豊の山口純輔選手(…
(9日、第107回全国高校野球選手権1回戦 明豊―市船橋)
「『昭和の職人』のよう」と自分を語る。明豊の山口純輔選手(3年)は、大分大会で背番号13の一塁手として中軸を任され、打率3割3分3厘と優勝に貢献。甲子園の大舞台には、背番号3を付けて登場した。
6月まで控えの3番手だった。明豊は常に選手たちがベンチ入り20人を競い、誰もが最後の最後まで諦めない。「控えでも、いつかチャンスがくる。そう思って刃をずっと研ぎ続けた」。(大分大会前の)6月のメンバー発表後、練習試合などで調子が上がってきていた背番号13を、川崎絢平監督は大分大会でスタメンに起用。見事にその期待に応えた。
中学時代、川崎監督の人間性を見る指導方針に憧れ、「明豊で野球をしたい」と進学を決めた。だが中学3年の夏、練習中に右ひざ前十字靱帯(じんたい)を断裂。入学後も8月まで練習に参加できなかった。
それでも「昭和の職人」は、コツコツと補助に徹した。「やれることを全力でやってきた」。甲子園のベンチ入りメンバー発表の日、「自分がやってきたことは間違いなかった」と喜びをかみ締めた。
川崎監督は勝利に貢献できるチャンスを与えてくれた。自分の武器は打撃力と心の強さ。「ここぞという勝敗を分ける一打を打つ」と、甲子園のグラウンドに立った。(大村久)