米野球殿堂入りの表彰式典でスピーチするイチロー氏(C)Getty Images 米野球殿堂入りを果たしたイチロー氏が現地…

米野球殿堂入りの表彰式典でスピーチするイチロー氏(C)Getty Images

 米野球殿堂入りを果たしたイチロー氏が現地時間7月27日、米ニューヨーク州クーパーズタウンでの表彰式典に出席。英語による19分のスピーチを披露した。

【動画】「これで3度目のルーキー」イチロー氏の米野球殿堂入りスピーチをチェック

 日本出身選手として初めて名を連ねたイチロー氏は、「きょう再び経験することはないと思っていた感情を覚えています」と興奮気味に切り出し、「これで3度目のルーキーです」と続けた。

「1度目のルーキー」を迎えたのは、愛工大名電からドラフト4位で1992年に入団したNPBのオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)。恩師の仰木彬監督との出会いをきっかけに、登録名を「イチロー」とした1994年、プロ野球史上初のシーズン200安打(最終成績210安打)を達成した。

 翌1995年は阪神・淡路大震災の後、「がんばろうKOBE」をスローガンに掲げて地元復興のシンボルとして活躍。チームをリーグ優勝に導き、被災地に勇気と希望を与えた。日本一に輝いた1996年を含め、94~2000年まで7年連続で首位打者を獲得。押しも押されぬオリックスの象徴となった。

 その古巣は公式Xにおいて、レジェンドを祝福する形で、『MLB』と『MLB Japan』の米殿堂入り関連の投稿を、実に11連続のリポスト。オリックスファンも呼応し、続々と歓喜の声が上がった。

「神戸の誇り」
「オリックスの財産」
「子供の頃から永遠のヒーローイチローさん」
「仰木さん 見てますか………」
「今でも関西の人たちは感謝してます」

 また「イチロー監督とかおもろいから見てみたいな」といった指揮官就任の夢を思い描くコメントも見られた。米殿堂入りという偉業の原点には、神戸を背負って戦ったあの日々がある。オリックスで築いた記録と記憶、そして「がんばろうKOBE」の誇りは、今もファンの心に生き続けている。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]

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