元阪神・狩野恵輔氏、2012年オフに育成契約に「ノー」と言いかけた。2000年阪神ドラフト3位入団の狩野恵輔氏(野球評論…

元阪神・狩野恵輔氏、2012年オフに育成契約に

「ノー」と言いかけた。2000年阪神ドラフト3位入団の狩野恵輔氏(野球評論家)はプロ12年目の2012年オフに球団から育成契約を通告された。2010年10月のみやざきフェニックス・リーグで腰を痛めて手術。その後も再発→回復→再発……を繰り返していた。「正直、違う球団を探して駄目なら辞めようかなとも考えた」という。それを思いとどまらせたのは、そのオフに阪神からメジャーリーグのカブスへ羽ばたくことを決めた右腕の熱いゲキだった。

 2010年10月に腰痛を発症して以来、狩野氏にとって苦しい日々が続いた。「痛みが出て、リハビリして治っても、ちょっとした動きで、また腰に痛みが出る。すぐずれちゃうみたいな……」。2011年は8月26日に登録され、即スタメン「7番・左翼」で起用されて、2点適時打を放つなど活躍したが、腰痛を再発させて9月22日に抹消されて10試合の出場にとどまった。2012年も腰の状態が一進一退で1軍昇格は8月28日までずれ込んだ。

 8月31日の広島戦(甲子園)では代打アーチを放つなど、存在感を示していたが、9月11日に抹消。「それも腰を痛めているんですよ。腰から来る脇腹が痛くて、もう耐えられなくなってファーム落ちです」。その年の出場は7試合で15打数5安打の打率.333、1本塁打、1打点の成績だった。そしてオフに球団に呼ばれた。「『腰のことがあるから、育成契約にしたい。治ったら戻す』と言われました」。

 電話連絡が来た時は、すでに戦力外通告が終わっていただけに「クビではないと思っていたし、その時、電話でも『育成契約ですか』と聞きました。そしたら『まぁそうやけど、1回事務所に来てくれ』と言われていた」という。球団に行く時には覚悟もできていたわけだが、本当に言われると気持ちは揺れた。即答はできなかった。「治ったらって言うけど、そういう言葉って、この世界ではあまり信用できないじゃないですか。結局このままフェードアウトしていく感じなのかなぁと思いました」。

 断ることを考えた。「“ノー”と言ったら違う球団に行ってくださいとなるけど、正直それでもいいかなと思った。ヨソを探して駄目だったら辞めようかなってね。家族にもそんな話をしました。育成になってまでやるもんじゃないって気もあった。たぶんこのままいっても辞めることになるし、辞めるなら今辞めた方がいいんじゃないか。育成で入った選手が上に行くのはいいけど、いったんレギュラーもとって育成に落ちてまた上がるのは無理だろうって思ったんです」。

藤川球児の熱いゲキ「ストーリーをお前が作れ!」

 そんな狩野氏を踏みとどまらせたのは、そのオフに海外FA権を行使しメジャー挑戦を表明した藤川球児投手の熱いゲキだった。「球児さんに『お前さぁ、ここでやめても何も残らんぞ。よく考えてみい。お前が頑張って育成からでも這い上がって、これだけ活躍できたっていうストーリーを阪神で作ってあげないと、これから阪神の育成のヤツがそういうふうにできない。頑張ったらそうなれるよっていうのをお前が作れ! 今は辞める時じゃない!』と言われたんです」。

 若手の頃からお世話になっている先輩の言葉が心に響いた。「メチャクチャいいことを言われたと思いました。僕のそれまでの野球人生を考えても、挫折して上がっていくのが多い。じゃあ、これもまたそういうときなのかなってね。腰がよくなくてリリースとなってもおかしくないのに(阪神球団が)残してくれたわけだから、逆にプラスに考えた。(育成なので)焦っても1軍に行けないのだから、しっかり治してやってみよう、頑張ってみようと気を入れ直しました」。

 狩野氏は育成契約を承諾した。背番号は99から120に変更となった。もう一度、やり直した。これまでとは違って、リハビリにより時間をかけて取り組んだという。「まぁ駄目だったんですけどね。また痛みが出たので。でも、もうやるしかない。2軍の試合にも出て、いろいろやっていたら、痛みがあっても、それに慣れるようになって何とかいけるなと思えるまでになった。ムチャクチャ痛いけど、その(プレーの)一瞬だけ、(試合の)2、3時間だけ我慢しました」。

 その頑張りが報われた。2013年7月23日に支配下に復帰となり、背番号も99に戻った。「痛くてもできたというのが自信になった。育成だから、もう終わってもいいやと思ってやったのが逆によかったのかも。2軍ではそれなりに打っていたのでね」。そして「あの時、球児さんに言われたのが本当に大きかったです」と言ってうなずいた。もしも、それがなかったら狩野氏のプロ野球生活は2012年までで終わっていたかもしれない。これもまた忘れられない。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)