サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニ…
■各国で違った「決着」のつけ方
1897年になって、イングランド協会(FA)はFAカップの規定に延長戦の実施を明記した。この大会は1回戦制で、カード名の先に書かれたチームのホームグラウンドで行うが、引き分けに終わると再試合となり、これはもう一方のチームのホームグランドで行う。この第2戦でも決着がつかないと、中立地での第3戦となる。そして、これも90分間を終わって同点の場合に、初めて30分間(15分ハーフ)の「延長戦」を行うというのである。
この頃には、サッカーは欧州大陸で急速な広まりを示していた。しかし、90分間が同点で終わった後の決着のつけ方は、各国でさまざまだったようだ。1922年のドイツ選手権決勝戦では、ハンブルガーSVとニュルンベルクが2-2となったとき、勝者は「サドンデス」の延長戦で決められることになっていた。だが99分間プレーしても得点は生まれず、日没で中止となった。
7週間後の再試合は混乱した。1-1のまま再び延長戦に入り、その15分が経過したとき、ニュルンベルクはDFのリューイトポルト・ポップが負傷でプレー続行が不可能になった。ニュルンベルクはもう1人が負傷で、そして他に2人が退場で退いており、規定の「8人」の選手を並べることができなかったことで失格となった。
■2003年に廃止された「Vゴール」
現在は、90分間を終えて同点の場合には30分間の延長戦、それでも決着がつかなければPK戦という形が世界中のほとんどの大会で定着している。しかし、ほんの少し前まで、少し変わった形があった。「ゴールデンゴール(Jリーグでは「Vゴール」)である。延長戦でゴールが決まったら、その瞬間で試合は終わり、当然のことながら得点したチームの勝ちになるという形である。
この勝敗決定方式は、1922年のドイツ選手権決勝を見るまでもなく、「延長戦」の歴史に負けないほど古く、1868年にイングランドのシェフィールドで行われた記録があるという。最近では、1993年にスタートしたJリーグで採用された。ノックアウト式の大会ではなく、リーグ戦で、である。おまけに、30分間の延長戦でゴールが生まれなかったら、PK戦まで行い、あくまでも「勝敗」をつけた。「Vゴール方式の延長戦」が廃止されたのは2003年のことである。
1995年には、FIFAがノックアウト方式の試合でこれを採用し、「ゴールデンゴール」と名づけ、延長戦の正規のやり方とした。1996年、2000年の欧州選手権、1998年、2002年のワールドカップなどで使われ、ワールドカップでは1998年大会のラウンド16、フランス×パラグアイでフランスのローラン・ブランが延長後半8分に決めたゴールが初めてとなった。2002年大会では、ラウンド16と準々決勝の計3試合で「ゴールデンゴール」が決まっている。
■日本の「初出場」を決めたゴール
欧州サッカー連盟(UEFA)は、一時「シルバーゴール」を採用した。延長戦で得点が入った瞬間に終わるのではなく、得点が入ったのが延長前半なら前半終了まで、後半なら120分まではプレーするというもので、2004年の欧州選手権まで使われた。
しかし「ゴールデンゴール」も「シルバーゴール」も2004年に廃止され、以後は、延長に入ったら、ともかく120分まで戦うことになった。
だが日本のファンには、絶対に忘れることなどできない「ゴールデンゴール」がある。もちろん、1997年11月16日、マレーシアのジョホールバルで行われた1998年ワールドカップのアジア第3代表決定戦、日本×イランで野人・岡野雅行の挙げた得点である。
延長後半13分。試合はあと2分でPK戦だった。中田英寿が中盤から運び上がり、自分で勝負を決めようと渾身(こんしん)の力でシュート。イランGKアハマド・レザ・アベドザデが懸命にセーブしたが、ボールはゴール前右、無人のところに転がった。岡野は中田のシュートの瞬間、誰よりも早く動き出し、スライディングしながらゴールに決めた。この瞬間、日本のワールドカップ初出場が決まった。まさに「ゴールデンゴール」だった。