サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニ…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム。今回は、「帰るのが遅くなりそうだけど“特別な時間”」について。

■「PK戦狙い」のチームが増える?

「延長戦をなくし、即座にPK戦にしよう」

 今年4月、欧州サッカー連盟(UEFA)のクラブ競技委員会は、この提案を慎重に検討した結果、退け、延長戦を継続することを決めた。「延長戦をなくすと、弱小チームが、よりPK戦狙いの守備的な試合をする恐れがある」という理由だった。

 もっともこれは、ホームアンドアウェーの2戦制で行われる欧州のクラブカップ戦のノックアウトステージでの話。過密日程の中で延長戦は選手たちに無理を強い、ケガの恐れが増えること、そして、延長戦・PK戦になるのは2戦目なので、2戦目のホームクラブにとって有利過ぎるというのが、「延長戦廃止案」の提案理由だった。

 リーグ戦には延長戦はない。90分間が終わったとき、同点なら「引き分け」でいい。初期のJリーグには「Vゴール制の延長戦」と「PK戦」があったが、それは特殊中の特殊なケースである。

 しかしノックアウト方式の大会や、大会の後半がノックアウト式で行われるワールドカップなどの大会では、90分で同点なら、次のラウンドに進出するチームを決めるために30分間(15分ハーフ)の延長戦が行われる。ルールの第10条「試合結果の決定」の第2項に、公式に認められた「競技会規定として勝者を決定する必要がある場合」として、次の3つが挙げられている。

・アウェーゴールルール(注:ホームアンドアウェー形式のとき)
・それぞれ15分以内で同じ時間の前半と後半からなる延長戦
・PK戦(ペナルティーシュートアウト)
(上記の方法を組み合わせることができる)

 アウェーゴールは1965/66シーズンの欧州カップウィナーズカップ(UEFAチャンピオンズリーグの前身大会のひとつ)で初めて採用された。2試合合計の得失点が並んだ場合に、アウェーゲームでの得点が多いほうを勝ちにするという制度である。しかし半世紀以上続けられた後、UEFAは2021年に使用をやめた。アジアサッカー連盟(AFC)も、2023年に廃止している。

■再試合のための「費用がない!」

 さて、延長戦は目新しいものではない。世界最古のサッカー大会であるイングランドのFAカップが始まった頃には「延長戦」はなく、90分間が終わって同点の場合には「再試合」あるいは「両チームとも次のラウンドに進む」という規約だった。

 1871/72シーズンの第1回大会では、準決勝2試合がともに引き分けとなり、ロイヤル・エンジニアズとクリスタル・パレスは「再試合」が行われたが、ワンダラーズとクイーンズ・パーク戦は、クイーンズ・パークが棄権し、ワンダラーズが決勝戦に進んだ。そしてロイヤル・エンジニアズを1-0で下して栄えあるサッカー史初の優勝チームとなった。

 クイーンズ・パークは、現在、斉藤光毅選手が所属する「クイーンズ・パーク・レンジャーズ(QPR)」のことではない。1867年に創立されたスコットランド最古のクラブであり、スコットランドの「ナショナル・スタジアム」である「ハムデン・パーク」を長く所有していた名門である。もちろん、当時は「スコットランド最強」だった。しかし再試合のためにもう1度グラスゴーからロンドンに遠征する費用がなく、「再試合」は不可能だった。

 実はクイーンズ・パークは試合会場についての合意ができず、1回戦から3回戦まで1試合も戦うことなくこの準決勝に進出していた。相手が「再試合」ができないことを知ると、ワンダラーズはその場で「30分間の延長戦をしよう」と提案した。しかしクイーンズ・パークは、その申し出に深く感謝しつつ、丁重に断った。

■ゴールのたび「エンド」入れ替え

 第3回大会(1873/74シーズン)2回戦のクラプン・ロバーズ×ケンブリッジ大学は1-1の引き分けに終わった後、2週間後の再試合も1-1、さらに3週間後に「再々試合」が行われ、ようやくクラプンが4-1で勝って決着がついた。「再々試合」の最初である。

 初めて「延長戦」が行われたのは、第4回大会(1874/75シーズン)の決勝戦。2万人収容のロンドンのクリケット場「ケニントン・オーバル」で行われたロイヤル・エンジニアズ×オールド・イートニアンズの試合は1-1で90分を終え、この大会から採用された「30分間の延長戦」に入った。だが得点は生まれず、1-1のまま終了した。この試合が、記録に残る公式戦での最初の「延長戦」である。決着は3日後の「再試合」に持ち込まれ、エンジニアズが2-0で勝って初優勝を飾った。

 初戦が行われたのは、1875年の3月13日。恐ろしいばかりの強風にさらされ、選手たちは寒さに苦しんだ。当時のルールは、「ゴールが決まるたびにエンドを入れ替える」というものだったため、得点の流れによって、エンジニアズは延長まで合計120分間のうち110分間を「風上」で戦うという、圧倒的に有利な状況だった。それを考えれば、イートニアンズは奮闘したということになるだろう。

 ちなみに翌シーズンに向けてのルール改正で、エンドの入れ替えは公平を期してハーフタイムにのみ行うように改められた。

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