ジョーダンは世界的なスーパースターとして、勝者として歴史に名を刻んだ photo by Getty ImagesNBAレジェンズ連載50:マイケル・ジョーダン 前編 プロバスケットボール最高峰のNBA史に名を刻んだ偉大な選手たち。その輝きは…


ジョーダンは世界的なスーパースターとして、勝者として歴史に名を刻んだ

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NBAレジェンズ連載50:マイケル・ジョーダン 前編

 プロバスケットボール最高峰のNBA史に名を刻んだ偉大な選手たち。その輝きは、時を超えても色褪せることはない。世界中の人々の記憶に残るケイジャーたちの軌跡を振り返る。

 第50回(最終回)は不世出のスーパースター、マイケル・ジョーダンを2回にわたって紹介する。前編は幼少期からNBA初王座までの道のりを辿る。

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【伝説の始まりはノースカロライナ大時代から】

 NBAが世界的に人気を誇るようになったのは、1990年代にシカゴ・ブルズを2度の3連覇に導いたマイケル・ジョーダンの存在があったからだ。

 ニューヨークのブルックリンで生まれ、ノースカロライナ州ウィルミントンで育ったジョーダンは少年時代、バスケットボールだけでなく、野球、フットボールをやっていた。レイニー高の2年生(日本の高1)の時、バスケットボールチームのトライアウトを受けたが、当時180cmしかなかったために小さいと判断され、バーシティ(1軍)入りできなかった。しかし、この悔しさがジョーダンの闘志に火をつけ、ジュニアバーシティ(2軍)で大黒柱になると、3年生になる前の夏に身長が10cm伸びた。

 バーシティの一員になったジョーダンは、高校最後の2年間で平均25.8点を記録。マクドナルド・オールアメリカンに選ばれ、高校のスターが集結した試合で30点を奪った。ジョーダンに対してはアトランティック・コースト・カンファレンス(ACC)のノースカロライナ大、デューク大、バージニア大などが勧誘。ディーン・スミスHC(ヘッドコーチ)の評判や大学の伝統と学業の質を理由に、ジョーダンはノースカロライナ大に進学することを決断する。

 1年生からレギュラーとなったジョーダンは、ジョージタウン大と対戦した1982年のNCAAトーナメント(全米大学選手権)決勝で、勝負強さを発揮する偉大な選手への道のりを歩み始める。

 1点を追う状況でジミー・ブラックのパスを受けたジョーダンは、残り16秒に決勝点となるジャンプショットを成功。63対62で勝利したノースカロライナ大が、1957年以来2度目の優勝を成し遂げるのに大きく貢献したのである。

「ノースカロライナ大は私にとってすばらしい場所だった。それは私に完成された選手になる方法を教えてくれたんだ」

 こう語ったジョーダンは2、3年生時にファイナルフォー(準決勝)進出を逃したものの、ノースカロライナ大での3年間でNCAA屈指のガードへと飛躍。1984年のNBAドラフトにアーリー・エントリーすると、1巡目3位でブルズから指名された。


ノースカロライナ大時代の活躍はジョーダン伝説の序章となった

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【衝撃のデビューから苦闘の末に辿りついたNBA王座】



1986年のセルティック戦でマークした63得点は現在もNBAプレーオフ記録

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 ドラフト指名後、1984年ロサンゼルス五輪のアメリカ代表として金メダルを獲得後にNBAデビューを果たした。開幕9試合目のサンアントニオ・スパーズ戦で45得点を奪うなど、ジョーダンは身体能力を最大限に活かして得点できる選手であることを証明。33試合で30得点以上という活躍もあり、文句なしの新人王に選ばれた。

 2年目は足を骨折して長期離脱を強いられたが、シーズン終盤に復帰すると、ボストン・セルティックスとのプレーオフ1回戦、再延長の末に惜敗した第2戦でジョーダンは63得点を奪ったのである。これは現在も破られていないプレーオフの1試合最高得点であり、セルティックスの伝説と呼ばれるラリー・バードは試合後、「彼はマイケル・ジョーダンに化けた神だ」とコメントしたほどだ。

 スーパースターへの階段を登り始めたジョーダンだったが、ブルズをプレーオフで勝たせることができずにいた。特に「バッドボーイズ」と呼ばれたデトロイト・ピストンズは、NBAの頂点に立つために乗り越えなければならない大きな壁として立ちはだかる。ブルズは1988年のカンファレンス準決勝、1989年と1990年はカンファレンス決勝でピストンズの前に敗退した。

 ピストンズの壁を越えるべく、ジョーダンは個人トレーナーのティム・グローバーとの出会いでより強靭な身体を作ることを決断すると、筋力アップの効果によって体重も89kgから95kgまで増加。1991年のカンファレンス決勝では4連勝でピストンズのNBA3連覇を阻んだ。そして、マジック・ジョンソンとの対決で大きな注目を浴びたNBAファイナルでは平均31.2点、11.4アシストとブルズを牽引。4勝1敗でレイカーズを下し、初のチャンピオンシップを獲得したのである。

「とても喜ばしいことで、夢が叶ったようなものだ。ここまで来るために一生懸命努力し続けてきたけど、ついに現実になったんだ」と語ったジョーダンは、目に涙を溜めながら優勝トロフィーを抱いていた。

つづく

【Profile】マイケル・ジョーダン(Michael Jordan)/1963年2月17日生まれ、アメリカ・ニューヨーク州出身。1984年ドラフト1巡目3位指名。
●NBA所属歴:シカゴ・ブルズ(1984-85〜1992-93、1994-95〜1997-98)―ワシントン・ウィザーズ(2001-02〜2002-03)
●NBA王座6回(1991〜93、96〜98)/シーズンMVP5回(1988、91、92、96、98)、/ファイナルMVP6回(1991〜93、96〜98)/オールNBAファーストチーム10回(1987〜93、96〜98)/最優秀ディフェンス選手賞1回(1988)/オールディフェンシブ・ファーストチーム9回(1988〜93、96〜98)/新人王(1985)/オールスターMVP3回(1988、96、98)・オールスター・スラムダンク優勝2回(1987、88)
●主なスタッツリーダー:得点王10回(1987〜93、96〜98)/スティール王3回(1988、90、93)
●五輪代表歴:1984年ロサンゼルス(優勝)、1992年バルセロナ(優勝)

*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)