バスケットボールの東アジアスーパーリーグ(EASL)でBリーグ・広島ドラゴンフライズが初優勝を飾った。計10チームが東アジアの頂点をかけて昨秋から争った舞台。日本からは昨季のBリーグ上位2チームが出場し、広島は3月9日、マカオであった決勝…

 バスケットボールの東アジアスーパーリーグ(EASL)でBリーグ・広島ドラゴンフライズが初優勝を飾った。計10チームが東アジアの頂点をかけて昨秋から争った舞台。日本からは昨季のBリーグ上位2チームが出場し、広島は3月9日、マカオであった決勝で桃園(台湾)を72―68で破った。

 この一戦に、特別な思いで臨んでいた選手がいた。右ひざの大けがを乗り越えたポイントガード(PG)の寺嶋良(27)だ。

 「EASLは僕にとって、みんなと優勝できる最初のチャンスだった。絶対につかみたいと思っていた。人一倍、その意気込みがありました」

 東京都出身。高校は京都の強豪・洛南に進学し、冬の全国大会「ウインターカップ」に1年目から背番号をつけて出場した。東海大在学中に京都ハンナリーズでプロデビュー。2021年から広島でプレーする。

 広島がBリーグを制したのは24年5月28日。当時、寺嶋はコートにいなかった。同年3月3日の千葉ジェッツ戦で右ひざを痛めたからだ。

 検査の結果、右ひざ内側側副靱帯(じんたい)損傷などで全治8~10週間との診断を受けた。最初に思い描いたのは、プレーオフのチャンピオンシップ(CS)からの復帰だったが、患部は思ったように良くならなかった。

 CS中だった5月中旬に追加で半月板の手術を受けた。「初めての大けがで、最初のときも受け入れるまで時間がかかった。どん底に2度落とされたような気持ちだった」

 チームがCSの決勝進出を決めると、当時現役だった朝山正悟・現監督は寺嶋のユニホームを掲げてコート上を歩いた。その様子に奮い立った。「本当にうれしかったし、ブースターの中にも試合に出ていない僕の背番号『0』のユニホームを着て観戦してくれている人たちがいた。一日でも早く復帰しようと思ったし、精神的にも救われた気持ちになった」

 琉球ゴールデンキングスとのCS決勝(2勝先勝制)は3戦目までもつれ込んだ。ただ、3戦目になったことで、手術後の日程的に病院から1日限定で外出許可を得ることが出来た。松葉杖をついて会場へ。そこで、仲間が日本一になるのを見た。

 「優勝できて本当に良かった。でも、複雑な思いも正直あった。次は自分も一緒に……。強く、そう思った」

 リハビリ中は、ネガティブな気持ちには絶対にならないように心がけた。「気持ちが沈むときは、トレーニングや読書とか、何か没頭できることを探して気持ちをそっちに傾けた」

 そんな寺嶋の復帰戦は、今年1月10日の長崎ヴェルカ戦だった。久々の出場は第2クオーター(Q)の途中。前半終了時には27―47と大差をつけられていたが、後半にドラマがあった。

 第4Q。開始1分23秒で寺嶋がレイアップで復帰後初得点を決める。4点差。直後に相手の3点シュートで突き放されたものの、残り約8分で寺嶋が3点シュートを決めた。

 地鳴りのような歓声が会場に響く。それが合図になったかのように、広島のペースになった。残り約3分で逆転し、7点差で勝利した。

 試合後、「本当に、ここまで頑張って良かったと思った」と言った。そして、「自分が何かすれば会場のボルテージも上がると察していた。でも、あそこまでプレーできるとは思っていなかった。ちょっとは勢いをつけられたと思う」と目を細めた。

 右ひざは、完全に不安がなくなったとはまだ言えない。その日の天気や、気圧の変化で違和感もあるという。そんな中で仲間とともにつかんだ、東アジアの頂点。復帰から約2カ月後の栄冠だった。(上山浩也)