サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニ…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、「東欧が生んだ智将」。
■「新しい」ゾーンディフェンス
予定の時間が過ぎてもインタビューは終わらず、翌日もまた朝8時半から話すことにした。このインタビューで最も興味深い戦術についての話は、2日目に出たものだった。
「国によって守備のやり方が違う。現在はゾーンとマンツーマンの併用、すなわち基本的にゾーンで守り、相手の主要な1人か2人にはマークをつけるという形が欧州の主流になっている。だが私たちは『完全なゾーンディフェンス』でプレーする。システムとしては、相手によって4-4-2でも4-3-3でも4-5-1でも5-4-1も使うが、私たちは決して個々の選手にマークをつけるということはしない」
「私たちのサッカーで守備において集中しなければならないのは、まずボール。次に人、そして最後にスペースという順番だ。サッカーの新しい考え方と言えるだろう。従来のゾーンディフェンでは、スペース、ボール、人の順だった。マンツーマンでは、これが人、ボールとなり、スペースという考え方はあまりない」
「私たちが考える『新しいゾーンディフェンス』では、まずボールに集中することが重要なポイントになる。たとえばDFが攻め上がる。ボールを失ったら、古い考え方では一生懸命にポジションに戻らなければならない。戻って相手の攻撃を待ち構えるということだね。しかし、FCポルトのようなクラブでは、攻めていって失い、一生懸命に戻っても、相手は来ないんだ」
「だから私たちは、攻めに出てボールを失っても、さらにボールに集中し、ボールを奪い返し、新しい攻撃を生み出さなければならないと言っている。私たちは、こうしたサッカーを『プレッシングスタイル』と呼んでいる」
■見抜いた才能は「イタリア」へ
「前線で奪い返せなかったときには、当然、攻撃は自陣、多くはディフェンスラインから始まる。イングランドでは自陣から一気に相手陣深くにボールを送り込むが、私たちは、自陣の深いところから両サイドを使い、テンポの速いパスを織り交ぜて攻撃を組み立てる。そうしたなかで、ルイ・バロシュのようにスピードがあってドリブルが得意な選手は、前が空いていればどんどん進んでいく。これまでのFCポルトは短いパスが中心だったけど、ルイ・バロシュの登場でポルトのサッカーは新しい時代に入ったと思う」
ルイ・バロシュは、イビッチが見いだし、レギュラーポジションを与えた選手だった。FCポルトには、前シーズンまでパウロ・フットレという天才ドリブラーがいて2トップの一角を占めていたが、この年の夏にスペインのアトレチコ・マドリードに移籍してしまった。イビッチはそれまで左サイドのMFとしてプレーしていたアルジェリア人のラバー・マジェールをFWに移し、空いたポジションにルイ・バロシュ(21歳)を抜てきしたのである。
159センチと非常に小柄だったこともあり、ルイ・バロシュは評価が低く、FCポルトとプロ契約した後には連年レンタルで出されていた。しかし、イビッチの下、FCポルトでレギュラーとなると、すぐにポルトガル代表に選ばれ、ポルトガル年間最優秀選手賞も獲得して、わずか1年後、1988年にはイタリアのユベントスに移籍することになる。イビッチは若い選手を育てるのが得意だったが、このあたりにも才能を見抜く「目」の確かさが感じられる。
■プログラムで明かした「手の内」
トミスラフ・イビッチは、欧州のトップクラスで今、何が起こっているか、それに対してどのような戦いをしようとしているのか、懇切丁寧に話してくれた。現在、こんなに自分の「手の内」を明かしてくれる監督がどこにいるだろうか。トヨタカップのプログラムでは、その考え方の一端を示すことができ、その後の日本のサッカーに少なからず寄与したのではないかと思っている。
だがひとつだけ、「イビッチより私のほうが正しかった」と思うことがある。
トヨタカップの前夜、私は東京プリンスホテルの彼の部屋を訪ねた。そして彼が隠すことなく、さまざまなことを教えてくれたことに感謝し、最後にこう言った。
「グッド・ラック(ご幸運を)!」
彼はニヤリと笑ってこう言った。
「私のチームは、幸運をあてにするようなチームではないよ」
私はイビッチらしい言葉だと思った。
「そうでしたね。おやすみなさい」
■「白か黒か」持っている男
だが翌日は、誰も想像さえできなかった悪コンディションとなった。10センチも積もった雪。その下の泥沼のようなグラウンド。あるところではボールが転がり、あるところではロングパスが落ちたところでピタリと止まった。どちらでもグラウンダーのパスなど使えず、「世界一」を争うプロ選手たちがひたすら相手ゴールに向かってボールを蹴り続け、そこに突進した。
そして1-1で迎えた延長後半4分、ボール処理をもたついた相手DFからFCポルトのマジェールが奪い、ペニャロールGKエドゥアルド・ペレイラが前進しているのを見極めると、その頭上を越して35メートルのシュートを放った。いったんは見送ろうとしたペレイラだったが、ボールがゴール前の黒いところに落ちるのを見て、また追おうとした。黒いところは土であり、ボールが止まるはずのどろんこだった。
だがボールが落ちたのは、「黒と白」の境目だった。ボールは止まらず、コロコロと不思議な転がり方をしてペニャロール・ゴール内のラインを割った。明暗を分けたのは、マジェールの技術でも、もちろん、FCポルトのサッカーの超近代的な戦術でもなかった。ボールの落下点が「白か黒か」だった。わずかに「白」が勝っていたのは、まさに「幸運」だった。
このとき54歳。トミスラフ・イビッチは「運」を頼りにする人ではなかったが、十分「幸運」も持っていた。