「車いすバスケットボールってほんと楽しいですよ」そう語るのは、長野車いすバスケットボールクラブ所属の奥原明男選手、66歳。日本車いすバスケットボール連盟(JWBF)副会長という立場を務めながら、今なおプレイヤーとして第一線で活躍している。 …
「車いすバスケットボールってほんと楽しいですよ」
そう語るのは、長野車いすバスケットボールクラブ所属の奥原明男選手、66歳。
日本車いすバスケットボール連盟(JWBF)副会長という立場を務めながら、今なおプレイヤーとして第一線で活躍している。
今年1月31日から2月2日にかけて東京体育館で開催された天皇杯 第50回記念日本車いすバスケットボール選手権大会では、奥原選手が所属する長野車椅子バスケットボールクラブは、準々決勝で神奈川VANGUARDSに敗れた。甲信越1位として挑んだ大会だったが、3連覇を果たした王者の壁は高かった。
それでも奥原選手は「すごい楽しかったですよ」と前を向く。競技の発展を支える立場でありながら、プレイヤーとしても戦い続ける姿は、まさに“生きる伝説”。 46年にわたる競技人生をどのように積み重ねてきたのか、そしてこれからの車いすバスケットボールにどんな未来を思い描いているのか。挑戦を続ける熱い想いにふれた。

競技人生支える原動力
「シュート決めたら、かっこいいでしょ」
奥原選手の車いすバスケットボール人生の原動力には、この言葉がある。16歳のときの負傷をきっかけに出会ったパラスポーツ。そこから50年、チェアスキーや車いすテニス、そのほか多くの競技を続けてきた奥原選手だが、車いすバスケットボールが1番楽しいと話す。
「バスケットボールは仲間意識も強くなるし、人間関係も良くなるし、相手を思う気持ちも作れる。本当に楽しいですよ」
競技に取り組む姿勢の根底にある「楽しさ」。勝敗だけではない、プレーそのものを楽しむ心が、長い競技生活を支えてきた。
車いすバスケットボールへの向き合い方
「今でも生活の基本は車いすバスケットボール」
今もなおトップレベルで活躍を続ける裏には弛まぬ努力がある。状態をベストにするためにできることを常に自分の体と相談しながらトレーニングを続けているという。奥原選手にとって、車いすバスケットボールは生活の基盤。淡々と語るその姿からは競技への情熱と積み重ねてきた時間が感じられた。

「スーパースター」の誕生を願って
「メディアに取り上げられるほどの選手が出てくれば、子どもたちが憧れる存在が増えていく。」
奥原選手が期待するのは、やはり今後の日本車いすバスケットボール界での「スーパースター」の誕生。
2024年のパリ・パラオリンピックへの出場は叶わなかった男子日本代表。しかし、今大会では、選手のレベルの高さが際立っていた。決勝戦の激闘もさることながら、今大会も多くの熱戦が繰り広げられた。長野車椅子バスケットボールクラブをはじめとして、どのチームにも栄光を掴むチャンスがあった。日本の車いすバスケットボールは、確実に成長を続けている。
次世代へバトンをつなぐ
「俺みたいな年寄りに負けてんじゃないよ。」
奥原選手は、若い世代が自分たち自身が体験して楽しいと思ったことを子どもたちに発信し、教えていってほしいと考えている。子どもたちと年齢の近い学生が発信することで、より車いすバスケットボールの魅力が伝わることを期待しているのだ。
奥原選手は信州大学の指導者としても活躍しており、若い世代に自身の経験を継承している。46年のキャリアを経てもなお、車いすバスケットボールを楽しむ姿は、後に続く選手にとって最高の道標になっている。彼の意志を継ぐ若い世代が今後の日本車いすバスケットボールを背負って立つ存在になることは間違いないだろう。

〈奥原明男選手 プロフィール〉
所属チーム:長野車椅子バスケットボールクラブ
背番号:14
ポジション:ガード
持ち点:1.5
出身:長野県
生年月日:1958年10月25日
文:パラスポデザインカレッジ 礒谷