個人として、チームとして、強く 水泳とともに歩み、その楽しさも苦しさも味わった。昨季の早大水泳部競泳部門で男子主将を務めた田丸敬也(スポ4=大阪・太成学院)。幼いころから水泳と向き合い、喜びも、そして挫折も経験した。しかし仲間と励ましあった…

個人として、チームとして、強く

 水泳とともに歩み、その楽しさも苦しさも味わった。昨季の早大水泳部競泳部門で男子主将を務めた田丸敬也(スポ4=大阪・太成学院)。幼いころから水泳と向き合い、喜びも、そして挫折も経験した。しかし仲間と励ましあった競技生活は、絶対に忘れない、かけがえのないものとなった。現役引退を決めた田丸の競技人生を振り返る。

 水泳を始めたきっかけは、親の影響。「水に入っとけという感じ」でスイミングクラブに通い始めた。そうするとクラブのコーチに、センスがあって全国大会に出られるかもしれない、競技としてやってみないかと誘われ、田丸の競技人生が始まった。まだ小さかったのでコーチからそう言われたことは素直にうれしく、やってみようと思ったという。そこからはクラブで泳ぐ日々。順調にタイムを上げ、全国大会での優勝も経験し、オリンピックも狙えるほどに実力を伸ばしていった。しかし好成績を残す一方で高校時代には、中学までと比べた伸び幅の落ちを実感していた。トップ層の凄さと、彼らと自分との差を感じるようになり、高校3年のころになると、「現実を見るというか、簡単には手が届かない、そんなに甘くないというところまで来ていた」と当時を振り返る。高校3年になると年下の才能のある人にレースで負けてしまうこともあった。自分はオリンピックには行けない部類の人間なのだとそのとき感じた。だからこそ、大学ではどんなに良い結果を出しても、たとえオリンピックに出場できたとしても、大学で水泳を引退しようと決めていたという。早大を選んだ理由を聞くと、一番環境が良くて水泳に集中できる、そして水泳の強い大学の中でも今後のネームバリューとして一番強く、就職活動にも強いことを挙げていた。競泳を引退した後の人生を見据えた選択だった。


力強い泳ぎを見せる田丸

 大学生活はコロナ禍でのスタートとなった。入学当初は6月まで入寮できず、それまではZOOMでの顔合わせや朝のトレーニングを主に行っており、制限がかかりながらの活動だった。当時はクラブチームにいたが、プールが閉鎖になってしまいあまり泳ぐことができなかった。6月に入ってからは本格的に活動が再開し泳げるようになったが、2年生まではコロナの影響を大きく受け、使える場所や試合の動きが制限されていた。その当時の生活について聞くと、泳げないことに対して悲観的になることはなく、仕方ない、今を満喫しようと思いながら過ごしていたという。外にも出られなかったので、友人と通話しながらゲームを楽しんだ、と笑顔で語った。

 大学に入ってからの競技生活で一番悔しかったことは何かを聞くと、1年生の時の日本学生選手権(インカレ)だと答えた。インカレ本番、200m個人メドレーは16位、400m個人メドレーは12位という結果で予選を終えたが、この年はB決勝は行われなかったため、決勝に残ることができなかった。高校時代まで好成績を残してきて、大学でも頑張ろうと意気込んでいた。だからこそインカレで予選落ちしてしまい、チームに貢献できなかったことは、一番悔しかったという。インカレは、チーム全体での得点を競うので、個人の結果がチーム全体にかかわってくる。そして4年生の引退試合でもあり、やはり他の大会とは全然違うという。「終わってほしくないなと思う一方で、早く解放されたいと思うような緊張感がある」そうだ。熱の入る大会だからこそ、そこで経験した悔しさは、忘れられないものなのかもしれない。

 4年生になり主将を任されると、態度で水泳部を引っ張ることはもちろん、チームとしてのまとまりを意識した。自分たちの代ができていないことを後輩たちにやれと指示しても、なぜやらなくてはいけないのかきっと納得してはもらえない。だからこそ、先輩がしっかり姿勢で見せるということを心がけた。結果で見せるのは、選手それぞれの調子もあるので難しい部分もある。しかし日常の練習に取り組む姿勢はどんな人でも見せられるので、その姿勢を一番意識したという。尊敬している先輩として前主将の平河楓氏(令4スポ卒)の名前を挙げた。チームメイトに寄り添いながらも一番練習を頑張り、絶対にさぼらない、全力でぶつかる姿勢を尊敬していると語った。そんな先輩の姿勢を受け継ぎ、チーム作りの参考にしてきた。練習中にしんどそうな人を見かけたら声をかけたり、タイムをとってくれるマネージャーの声にしっかり反応したりして、練習はさぼらない。部活中の些細な、誰もあまり気が付かないような細かい部分にも目を向けた。田丸は自分のことを、何をしても手を抜きたくなってしまうタイプだと語っていたが、チームメイトからの信頼は間違いなく厚かった。主将として水泳部を引っ張る中で、1つの目標に対してチームが1つになって動くことの難しさを感じ、どうやって縦と横のつながりをもつかを考えた。主将になって前で話をすることも増え最初は緊張したというが、貴重な経験ができ、周りの選手たちの雰囲気も良く、楽しかったと語った。田丸の作り上げた、和気あいあいとしたチームの雰囲気がうかがえた。

 そして4年生として出場したインカレは、田丸にとって競技人生最後の試合となった。田丸は200m個人メドレーと200m平泳ぎに出場。メインとしていた200m個人メドレーでは、予選で自己ベストを更新して6位で決勝進出を決め、目標としていたA決勝進出を果たし、3年前の悔しさを晴らした。ラスト50mで疲れても、前半から周りの選手より前に出ることを意識したことが自己ベスト更新につながった。大学の競技生活で一番嬉しかったという。決勝は少しタイムを落とし7位でのフィニッシュとなったが、田丸にとって最後の試合の、自身の1本目のレースで自己ベストを出せたことは、チームを勢いづけることにもつながり喜びは大きかった。チームとしては、男子は総合3位という目標を達成し、ほかの選手たちの自己ベスト率も例年に比べて高かった。そしてインカレ当日は、部員たちの応援も非常に盛り上がったという。部員が泳ぐとき、そして隣のレーンの選手と競って勝ったときの、スタンドの応援の盛り上がりはすごく、インカレならではの雰囲気を感じたそうだ。チームの緊張感をほぐせるよう、主将として当日もチームメイトへの声掛けは怠らなかった。しかし最後の試合は1人の4年生として、いかに自己ベストを出すかということに集中していたという。自分の競技が始まるギリギリまで応援に行くのではなく、しっかり自分の試合に向けた準備の時間を設けて、結果に集中することを意識した。「最後は態度で引っ張るというより、結果で引っ張りたいという思いがすごくあった」と当時を振り返る。チーム1つにを体現し、個人としてもチームとしても日々の努力が実を結ぶ好成績を残した。


緊張の中でも笑顔の田丸

 田丸にとって水泳部の同期は「宝物的な存在」。大学4年間を寮で過ごし、同期のみんなと部屋でくつろいだり、ご飯に行ったり遊んだりすることが日常で、多くの時間を共に過ごした。同期や後輩については、「社会人になっても、どこにいても会うことは絶対にあると思う」からこそ、一生かかわりを持つという意味で宝物なのだと語った。

 田丸にとって競泳の嫌なところは何かを聞くと、結果がシビアすぎることだと答えた。タイムが正確に出るため勝ち負けがはっきりしてしまい、つい結果にばかり目が行ってしまう。相手の強さも結果に関係する対人スポーツとは違い、競泳の場合、レースの結果の要因はほぼ自分になる。だから結果が出ないと自分を責めてしまうという面で、あまり好きでなかった。しかし勝ち負けがはっきりするからこそ、勝ったときのうれしさや、自己ベストを更新して自分を超えられたときの喜びは大きい。そうした喜びや、水の中で泳ぐという感覚は、競泳の魅力だという。とはいえ、田丸にとって今後も競泳を続けることは難しかった。競泳は「気持ちが追いついてこないとできないスポーツ」であり、大学を引退してからも続けることは厳しかった。「普通に就活して会社員になって、いろんな道を選択していくのもありなのかな」と、引退後の進路について語った。今後水泳にかかわりたいという気持ちはあまりない。今のところ田丸自身が泳ぎたいという気はなく、試合などを見て選手を応援したいという。

 最後に、後輩の選手に向けてメッセージを聞いた。結果にとらわれすぎず、自分のレースについて結果以外に良いところを1つでも見つけたり、難しいかもしれないが楽しめる部分を見つけたりしてほしいという。タイムだけにこだわってしまうと、タイムが出なかったときに精神的に辛くなってしまう。「自分の身体を動かしながら目標に向かう過程は、ほとんどの人は人生を通して経験できないと思うので、しっかり噛みしめて、楽しんでほしい」と語った。タイムや順位だけでなく、仲間とともに成長していく一日一日を大切にしたい、そんな思いがこもっていた。競泳選手として、主将として、さまざまな葛藤を経験し、苦しさもうれしさも味わった。そんな日々を懐かしみながらも話す姿からは、これまでの競泳人生を糧に、次のステップを踏み出す強い意志が感じられた。

(取材、編集 神田夏希、新井沙奈)