サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニ…
■30万人以上が集結「伝説の試合」
イングランドのサッカーファンにとって、ウェンブリーはその最初の試合から「伝説」となった。建設当時の収容数は12万5000人。ところが、ボルトン・ワンダラーズとウェストハム・ユナイテッドのFAカップ決勝には、なんと30万人以上の人が詰めかけたのだ。当時は事前に入場券を売るというシステムではなく、入場口で現金を取って入場させる形だった。そのためコントロールがきかず、また、最後には押しかけるファンから入場料も取れず、人々は入場ゲートを破ってスタジアム内に乱入した。
観客スタンドはすでに立錐の余地もなく、遅れて入場した人々はピッチになだれ込んだ。そのピッチもアッという間に人々で埋め尽くされた。午前11時30分に開場し、キックオフは午後3時と予定されていたが、係員がようやくゲートを閉めて入場者を断ち切ったのは午後1時45分のことだった。だが、ピッチは数万人の観客が占め、試合ができる状況ではなかった。午後3時過ぎに選手たちが入場してピッチの部分を空けるようにファンに懇願したが、効果はなかった。
■ピッチ上の混乱を収めた「白馬」
そこに登場したのが騎馬警官隊だった。なかでも大柄な白馬に乗ったひとりの警官の姿が目についた。警官の名はジョージ・スコリー。ビリーという名の馬にまたがり、ピッチ上の群集の中に分け入って、彼らを次第に下がらせていったのだ。「白馬」と言っても、ビリーは実際には灰色の毛を持った馬だったが、暗い色の服装が一般的だった時代に、群集の中に分け入っていった大柄な馬は、非常に目立った。そして、スコリーがビリーをゆっくりと歩ませたため、混乱は起きず、やがて人垣の中央にサッカーのピッチが姿を現した。
人々はラインからすぐ外、ゴールポストの脇、ゴールのすぐ裏まで密集していたが、予定から45分遅れで午後3時45分にキックオフ、ボルトン・ワンダラーズが2-0で勝った。開始早々にデイビッド・ジャックが先制点を挙げ、後半早々にスコットランド人のジャック・スミスが加点して勝負をつけた。ピッチの周囲がぎっしりとファンで囲まれていたため、ハーフタイムにも選手たちはロッカールームに戻ることができず、ピッチ上で休息を取ったという。
後に「ホワイト・ホース・ファイナル」と呼ばれるようになるこのFAカップ決勝戦は、「ウェンブリー」の名を英国中にとどろかせ、サッカーファンのこのスタジアムに対する愛着が「解体」を免れる大きな要因にもなった。
■イングランド「優勝の地」
その後、1948年のロンドン・オリンピックではメイン会場となり、サッカーだけでなく、ホッケーの準決勝以降の試合、そして陸上競技が行われた。このことでもわかるように、ウェンブリーは陸上競技のトラックを持ったスタジアムであり、「サッカー専用」というわけではなかった。ただ、その後、陸上競技の試合は行われず、トラックはもっぱらドッグレースのために使われた。
1966年ワールドカップのメイン会場となることが決まった1963年には初めての大改修が行われ、それまで屋根がなかった両ゴール裏のスタンドにも屋根がかけられて、楕円形の屋根が観客席すべてを覆う形となった。そして電光式のスコアボードも設置された。
1966年ワールドカップでは、イングランド代表がグループステージから決勝戦までの全6試合をこのウェンブリーで戦い、ウルグアイとの初戦を0-0で引き分けた後は5連勝して初優勝を飾った。