体操の精神と努力 何度もケガに苦しめられながらも、最後まで体操部の主将を務め上げた田口陸斗(スポ=福岡・自由ケ丘)の大学4年間の軌跡をたどる。 4年時の早慶対抗定期戦で、チームメートと笑い合う田口(中央) 姉の影響で5歳から体操を始めた田口…
体操の精神と努力
何度もケガに苦しめられながらも、最後まで体操部の主将を務め上げた田口陸斗(スポ=福岡・自由ケ丘)の大学4年間の軌跡をたどる。
4年時の早慶対抗定期戦で、チームメートと笑い合う田口(中央)
姉の影響で5歳から体操を始めた田口は、体操の魅力をできなかったことができるようになるところだと語る。体操競技では簡単に習得できない技が多くあるが、幼少期から諦めずコツコツと練習を積み重ねてきたことが今につながっている。
体操と勉強どちらも手を抜かず文武両道で取り組んでいきたいという思いから、早大へ入学。順風満帆な大学生活が待ち受けているかのように思われたが、大学1年の冬に腰にケガを負ってしまう。ケガで練習ができない期間には同期入学のチームメートに置いて行かれることへの不安や、差をつけられてしまうことへの焦り、練習ができないことへの悔しさがあった。
そんな中、ケガからの復帰に際し、同期や先輩に精神面で支えてもらった。ケガを負った直後はケガから復帰できないかもしれない、そんな思いが頭をよぎることもあった。しかし同期のチームメートから「一緒に試合に出たい」と声をかけてもらったこともあり、田口は同期のみんなで団体として試合に出ること、その目標を諦めたくない、その一心でトレーニングの方法を学び、リハビリに努めた。またケガの後、選考会の結果が芳しくなく、落ち込んでいた時には当時4年生であった武井優介(令4スポ卒=現相好体操クラブ)に「みんな浮き沈みはあるから、今はしっかりケガを治して、また来年から復帰できるように頑張っていけよ」と声をかけられ、再度奮起した。先輩から練習中に技を見てもらったことや、落ち込んでいる時、声をかけてもらったことは田口の中で大きな支えとなった。
そうして先輩からの声かけに救われたことがあるからこそ、田口はコミュニケーションを大事にする主将になった。広く部員の意見を取り入れ、部員全員が成長できるような目標づくりをして、練習内容を決めていった。その結果、先輩後輩関係なく意見を言い合える環境になり、以前と比べ、部全体の雰囲気が良くなった。
しかし、大学3年時には一度落ち着いていたケガが、4年時の全日本学生選手権(全日本インカレ)の前に悪化してしまう。それ以降痛み止めを服用しながら練習を行っていた田口は、最後の全日本インカレに出場するか最後まで悩んでいたという。それでも団体のメンバーや監督と相談し、注射で痛みを抑えたギリギリの状態で全日本インカレに出場した。結果は団体8位。目標としていた団体3位には及ばず、後悔をにじませつつも、田口はチームのみんなで試合に出る目標が達成できてうれしかったと振り返る。
4年時の早慶対抗定期戦の平行棒で着地する田口
田口は体操競技を大学で引退する。「体操を通して一つのことをやり続けることの大切さや、目標に向けて努力することの大切さを学んだ。社会人になってもこの経験を生かして成長していけるように頑張りたい」と、その競技人生を締めくくった。
(記事 西隼之介、写真 荒井結月)