現在の日本サッカーがあるのは、多くの先達のおかげだ。その尽力者は選手、監督といった直接かかわる人々だけではない。深い愛…

 現在の日本サッカーがあるのは、多くの先達のおかげだ。その尽力者は選手、監督といった直接かかわる人々だけではない。深い愛情を持ってサッカーを世に届け続けてきた大記者を、サッカージャーナリスト大住良之が偲ぶ。

■1974年のひらめき

 当時は情報も非常に限られていた。「三菱ダイヤモンドサッカー」で世界の動くサッカーの姿は伝わってくるようになっていたが、週に1回の放送、しかも1試合が前半と後半に分けられて2週にわたって放映という形では、はいってくる情報も限られている。

 興味深いコメントがある。「ダイヤモンドサッカー」の解説で有名な岡野俊一郎さんが、1974年ワールドカップ終了後に英国のベテランサッカー記者エリック・バッティと対談したときに、オランダ代表について話した言葉である。

「私は、オランダのナショナル・チームは以前には見たことがないので、今回のワールドカップでオランダを見て非常に興味を持った。アヤックスの試合は、一、二度テレビで見たことはあるが…」(『サッカーマガジン』1994年9月号)

 岡野さんでさえこうなのである。日本では、オランダ代表のプレーぶりなどを見る機会など皆無であったことがわかる。そうしたなか、荒井さんは大会前になぜかひらめき、オランダを追いかけることにしたという。

■オランダ代表を分析

 1970年大会を「ダイヤモンドサッカー」で見て、「のんびりとした印象がある」と、荒井さんは感じた。大会が行われたメキシコは高地でしかも暑さが厳しく、さらに欧州での中継放送に合わせて正午キックオフという条件が重なり、多くのチームが体力を温存するサッカーをしていた。ブラジルのテクニックは美しかったが、荒井さんの「サッカー哲学」には合わなかった。

 正確なワンタッチコントロールだけでなく、スピード、運動量、切り替えの速さ、そしてそれを担保する「肉体的な強さ」こそ、荒井さんが見たいと思う「これからのサッカー」だった。1970年代初頭の日本のサッカーは、ワールドカップで世界を圧倒したブラジルのテクニックに傾倒していたから、荒井さんの論調は「異端」だった。

 1974年大会、オランダは「1次リーグ」をウルグアイに2-0、スウェーデンに0-0、ブルガリアに3-1の2勝1分け、首位で乗り切り、「2次リーグ」はアルゼンチンに4-0、東ドイツに2-0、ブラジルに2-0と3連勝して決勝にコマを進めた。ところが西ドイツとの決勝戦では立ち上がりにPKで1点リードしながら、前半のうちに逆転されて1-2で敗れた。優勝を逃しても、オランダのサッカーは世界に衝撃を与えた。

 ボールを奪われたら最前線から相手にプレスをかけ、中盤を極端に狭くしながら果敢にスライディング・タックルをかけ、ボールを奪い取る守備。取った瞬間から前向きの選手がポジションに関係なくどんどん出ていってボールを受け、時間をかけずに攻め崩す―。現代のサッカーのトレンドの話ではない。半世紀も前、1974年のワールドカップでオランダ代表が実現したサッカーが、これだった。

「オランダの速さは、中盤でのボールの奪回、クライフの突破力、ダイレクト・パス(筆者注:ワンタッチパスのこと)にある。中盤での果敢なスライディング・タックルによるインターセプト攻撃は、後方から攻撃を組み立てるよりも距離的に相手ゴールに近いだけ、攻撃に速さがでる」(荒井義行、『サッカーマガジン』1974年9月号)

「ミケルス(筆者注:オランダ代表のリヌス・ミケルス監督)は『虐待者』というあだながつけられている。一日を三回にわけたスピードを要求する練習。砂浜で200ヤードダッシュの繰り返し。オランダの流動的なサッカーは、スピード、スタミナ、やわらかい体――充実した肉体的な能力に支えられている」(荒井義行、『サッカーマガジン』1974年8月号増刊)

■荒井さんが求めたもの

「20年後のサッカーだよ」

 大会中、荒井さんからそんな表現を聞いた。そのときには、正直に言って「そこまで言うかな」と思った。だが10年経っても20年たっても、世界のトップクラスのチームのコーチたちの夢は「1974年のオランダ」だった。「トータルフットボール」と呼ばれたオランダの域に初めて近づいたのは、1980年代終盤のACミラン(イタリア)だっただろうか。このチームを率いたアリゴ・サッキも、「1974年のオランダ」の再現を夢見る監督のひとりだった。

 荒井義行さんは、そんなジャーナリストだった。自分自身の「理想のサッカー」をもち、それに必要な要素を考え、その基準で当時の日本サッカーリーグや日本代表チームを批評していたのだから、批判されるほうはたまったものではなかっただろう。困惑し、大いに怒ったかもしれない。しかし荒井さんはそんなことを斟酌せず、ひたすら世界に対抗できる日本のサッカーになることを願っていた。

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