最終回となる第6回は新聞制作に関わることが多いお三方です。早スポの編集長を務める横松さくら(社3=長崎・九州文化学園)…
最終回となる第6回は新聞制作に関わることが多いお三方です。早スポの編集長を務める横松さくら(社3=長崎・九州文化学園)と、副編集長と野球のデータチーフを務める星野有哉(スポ3=東京・新宿)、漕艇(そうてい)チーフやレスリングチーフ、野球の寸評チーフ、号替わりの記録チーフも務める齋藤汰朗(文構3=山形・酒田東)が登場。3人には新聞制作を中心に早スポについて語っていただきました!
※この取材は4月14日に行われたものです。
「(早スポでは)自分の得意分野を生かせる」(齋藤)

齋藤がチーフを務める漕艇部
――他己紹介をお願いします。
星野 横松さくらさんです。編集長をしています。編集長という役職に就いている通り、前に出て引っ張ってくれる人です。自分たちの代は前に出て引っ張ってくれる人ってあんまりいないんですけど、その中で横松は編集長や(過去には)新歓チーフを引き受けてくれて。これは横松じゃないとできないことだと思います。強靭(きょうじん)なメンタルをお持ちなので(笑)。新歓チーフや編集長は前に出る以上、責任が伴う役職だと思うんですけど、その中でしっかりとさばいているところがすごいです。なるべくしてなったと思います(笑)。
横松 齋藤汰朗さんです。漕艇チーフ、レスリングチーフ、野球の寸評チーフをしています。よく記録チーフ(記事の校閲をする人)や面坦(新聞の面のレイアウトをする人)をやってくれるので、入稿でお世話になっています。今後も関わってない号でも手伝いに来てくれると思うので頼りにしています(笑)。すごい仕事ができるので、あれだけ役職を抱えていても、全部こなしてしまうのがすごいなと思います。
齋藤 間違いない(笑)。
一同 (笑)。
齋藤 星野有哉君です。星野有哉君はどことなく年上のような包容力があります。なぜなのかは分かんないですけど(笑)。なぜかは分からないですけど、俺らよりも1年長く生きているような経験というか、があります(笑)。一応役職としては、副編集長をしています。なので、よく東日(東日印刷)にいます。今は副編集長という立場でありながら、雑務なども快く引き受けてくれています(笑)。あと野球のデータチーフという何打数何安打とかを打ち込むこともしています。彼といいところは頼んだことを断らず何でも引き受けてくれるところで、頼んだことは大体やってくれる(笑)。けど、彼のみんなと仲良くできるところは長所だと思います。初対面の人や下級生とも積極的に話している姿がすごいなと思います。悪いところは、言わないようにします(笑)。
――早スポに入った経緯を教えてください
星野 僕は浪人していた時に、高校の時にやっていた野球が打ち込めることだと気づいて。それで、大学でも胸を張って打ち込めたと言えることをやりたいなと思っていました。部活とかも考えていたんですけど、SNSで見つけた早スポに行ってみたら「これかも」と思って入りました。
横松 私は5歳から高校生の時までテニスをやっていました。その時に憧れていた細沼千紗さん(平30スポ卒)の活躍を追うために、昔から早スポの記事を見ていました。それで大学でテニスをやらないと決めて、今までの経験を生かしたことができないかなと考えた時に、(早スポの記事を)ずっと読んでいたことが思い浮かびました。なので、入学前から(早スポに)入ることを決めて入りました。
齋藤 僕は元々スポーツを観るのが好きで、プロ野球とかも。大学に入ってからも、動くのはあんまり好きではないのでやりたくはなかったんですけど、何かしらのかたちでスポーツに関われれば面白いかなと思っていました。そこで(サークルを)探して(早スポに)入ったら、興味本位でのめり込んでいって今に至るという感じです。
――入会したときの早スポの印象はいかがでしたか
星野 初めて行った取材が準硬(準硬式野球部)の体験取材の時だったんですけど、その時の準硬に渡邊悠太さんと小山亜美さんという方がいました。その小山さんが準硬の部員からすごく信頼されていて、「アミーゴ」とも呼ばれていたのを見て、早スポはこんなに部の人から頼られるのかというかと衝撃を受けました。そのくらい打ち込める場所だと、自分の見立ては間違っていなかったと感じました。
横松 特になくて(笑)。1年生の時は、テニスの取材にしか行っていなかったので。テニスの取材に行くと、テニスをやっていたころの友達が多くて、取材に行ってるけど取材って感じではなかったです。久しぶりに会っておしゃべりしていたという印象でした。そんなにエピソードとかはあんまりなくて、1年目は終わったかなって感じです。
齋藤 僕は10月ごろまで早スポの活動は何もしていなかったんです。一応メールとかは見ていたので、新聞や記事の完成度が高いなと驚いてはいました。特に何もしていなかったので、そんな感じです(笑)。
――初めて行った取材を教えて下さい
星野 準硬式野球部の体験取材です。
横松 テニスのリーグ戦、団体戦の取材です。その時に、小中学校のテニスクラブで一緒だった人に初取材で初インタビューをしました。
齋藤 初めて行ったのは取材じゃなくて、六大学野球の秋のリーグ戦(東京六大学野球秋季リーグ戦)の観戦に行きました。最初はやっぱり(取材ではなく)観に行ってみようってかなと思って、観に行きました。そこに星野とか今の野球チーフの田中(田中駿祐、早スポ3年)とかもいました。そこから、仲良くなって。それで秋の野球号の面坦をしたのが初めての早スポの活動です。そこに行ったら、みんないい人で先輩とも仲良くなれました。意外と新聞を作ることもスポーツに関連していて面白いなと思ったので、それがきっかけで勢いに乗っていったという感じです。
――早スポに入って良かったことは何ですか
星野 普通に大学生活を過ごしていたら出会えない人と出会えることかなと思います。部活に入っている人は大学生全体でも少数じゃないですか。なかなか普段接している人が持っていないような考えや意識を持っている人と、取材を通して触れられるのが自分にとっていい経験になっています。自分自身の大学生活の過ごし方の指針にもなっていますし、早スポに入ってなかったら得られないことなので、それは良かったことかなと思います。
――今おっしゃった指針というのは具体的にどういったことですか
星野 対談の時に主将さんに、「主将として意識している事は何ですか」って聞く機会があったんです。自分自身、早スポを引っ張って行く立場にあるので、そういうところで「なるほどなあ」と思うところがありました。例えば、軸をもって活動するとか。特に自分の中で響いたのは、指示したことをやってもらうのを当たり前と思わずに、感謝の気持ちを持つ、自分の誤ったことは素直に認めて謝るという言葉で、そういうのを上に立っても忘れないようにするのは大事だなと感じて響いています。
――横松さんはいかがですか
横松 自分の取り組み方次第でどこまでもやれることかなと思います。私はテニスを10何年やって、120%で駆け抜けるみたいな人生を送ってきました。それで大学に入って普通に大学生活を送るか、別の競技で部活に入るかとかを考えて、入学前に迷っていて、けど早スポに入りました。早スポって、サークル以上部活未満みたいなところがあるから、自分がどうやっていきたいかの工夫の仕方次第でどんなことでもできてしまうと思います。例えば、昨年は早稲田スポーツが125周年だったから、1個上の田島璃子さんが、125周年の企画紙を大学側の協力をもらって企画を成功させていたりして。こういうことを実現できるのはやりがいがあるし、大学生活が充実するのかなと。いいなって思います。
齋藤 早スポでないと出会えなかったり接することができない人と、出会えたり接したりすることができたことです。例えば野球部の取材だと、後々プロに行く人や全国区で有名な人に直接インタビューする経験ができるし。こういうのは早スポでないとできないことだと思います。あと、僕はレスリング部とボート部のチーフもしているんですけど、レスリングやボートって普通に生きていたら触れることがないじゃないですか。けど、(早スポだと)そういうスポーツに触れることができます。早スポに入ったからその競技の試合を観に行って、その選手たちとしゃべったりして。そこ触れられたおかげで、自分の視野が広がったり、こういう世界もあるんだなあと気づけたりしたのが良かったなと思います。
――早スポの魅力は何ですか
星野 さっき僕も言いましたし、汰朗も言っていたけど、早スポでないとできない経験をたくさんできることだと思います。あとは、新聞作りとか、いろいろな人と協力して一つのものを作り上げる経験ができるなと思っています。文化祭とかでやったと思うけど、一つのものをみんなで協力してやるのって、まあまあ手間がかかるじゃないですか。買い出しに行ったりとか。時間的拘束はものを作るからしょうがないけど、新聞の場合はパソコンさえあればできることなので。その辺で苦労することはないですし、コスパがいいのかなとは思います(笑)。コスパよくみんなと一つのものを作り上げる経験ができるのかなと思います。
横松 自分次第で企画などを自由に考えられるところだと思います。
齋藤 入ってくる人向けに言うと、自分の得意分野を生かせるっていうのがあると思います。例えば、昔からカメラをいじっていて写真を撮ることが得意な人は、写真を撮ることで活躍できるし、Adobeっていうソフトを使ったフォトグラフィックが得意だったら、それを生かせるし。とにかく、自分の得意な分野をそれぞれ生かせる部分はあるから、誰でも居場所のあるサークルだと思います。
「120%で駆け抜けたい」(横松)

1月号校了後の様子
――改めて現在の役職を教えてください
星野 副編集長と野球のデータチーフです。
横松 編集長です。
齋藤 僕は漕艇チーフ、レスリングのチーフ、野球の寸評チーフ、号代わりの記録チーフ、あとソフトボール部のファンをやらせていただいています(笑)。
一同 (笑)。
星野 ファンは役職じゃないから(笑)。
――なぜ今の役職についたのですか
星野 僕は、自分たちの代でどういう役職に就きたいか話していた時に、どこかで、ポロっと「副編集長って名前デカいけど仕事そんななくてコスパ良くない?」って思って。それをどこかで言ったら、まわりにまわって横松に伝わって、「副編集長やらない?」って言われたのが最初のきっかけです。僕は今までの人生で副主将とか副委員長とかそういう職に就くことがすごい多かったので。
齋藤 長に就くには実力が不足しているからでしょ(笑)。
星野 そんなことねぇよ(笑)。まあ、そんな感じでやってきたのでそれも生かせるかなと思って副編集長を受けました。
横松 最初、本当は主務になる予定だったんです。それも早スポの活動には大きめに貢献したいなとは思っていたからで。けれど、そんなに時間とかも制約されたくないなとかも思っていました。主務は仕事がたくさんあるけど、時間とか場所は制限されないからいいかなと思っていたんですよ。なので、最初はやる予定だったけど、編集長が決まらなかったんです。それで、その時期に応援の取材によく行っていて、めちゃめちゃ早稲田愛が高まっていた時期だったから、ここまできたら早スポに全振りしてガッツリやりたいなみたいな感じでした。それこそ120%で駆け抜けたいと思って。全然新聞制作が得意とかそういうわけじゃないけど、早稲田愛だけで編集長に立候補しました。
齋藤 僕は2人に比べると小さい役職を何個も持ってるんです。野球の寸評チーフは前々からやる予定だったんですけど、それだけだと他の重い役職回ってくるなと思っていたんです。だから編集長とかさすがにあれだなと思ったので、もう1個くらい競技チーフやろうと思って。それで漕艇部のチーフをやることをまず決めたという感じです。あと、レスリングは昨年やっていたんですけど、後任が出なくて今年もやることになりました。記録チーフも誰も出なくて号替わりでやるってことになったのでやりました。日を追うごとにだんだん役職が増えていったって感じです。
横松 実は一番忙しいかもしれないよね。
――みなさんは新聞制作に関わることが多いかと思いますが、新聞制作のやりがいや魅力を教えてください
星野 やっぱり全然元々の知識がないところから、1からでも、本格的なものが自分たちでも作れるっていうのは一つの魅力かなと思います。いざ紙になって出来上がった時に、自分が考えたこととかがしっかりとかたちになって残ることがいいことかなと思っています。それが制作自体の魅力です。あと、(できあがって)いざ渡した時に選手のみなさんが感動してくれることもやりがいを感じますね。自分が昨年やっていた競技チーフが男子ソフトボールとアーチェリーだったんですけど、それを新聞に載せてもらうことが多かったんです。それを見て選手のみなさんが喜んでくれていたり「ありがとうございます」って言ってもらえたりしたことっていうのが、すごい新聞制作のやりがいではありました。
横松 いろいろな人の思いをかたちにできるのがやりがいだなと思います。新聞制作って記事を書いたり、写真撮ったりする人がいて、それを記録の人たちで見て、それを面担がレイアウト考えたりしてかたちにして。もちろん取材に応じてくださる部の方々がいて。いろいろな人、本当に何十人とかが関わって一つの新聞ができていて、それが完成して、いざ新聞として出来上がることはやりがいがあるなと思います。
齋藤 僕は新聞を作っている過程自体はあんまり楽しいと思えないんですけど(笑)。一番新聞を作っていて良かったなと思うことは手触り感ですかね。紙質じゃなくて。例えば、神宮で早慶戦の時に(新聞を)観客に配るんですけど、その配る時の観客の反応だったり、スタンドで自分がつくった面の新聞を広げているおじさんがいたりして。昨年は野球部の中川卓也主将(令5スポ卒=現東京ガス)に「1部もらえる?」って言われて、僕が手渡ししたんですけど、そういう手触り感。ネットの記事って読んではもらっていても、手応えがないっていうか、自分にそんな返ってこないっていじゃないですか。けど、紙面の場合は自分に返ってくるっていうのが大きいかなと思います。
――新聞は東日印刷で作っていると思いますが、新入生に向けて、東日印刷はどんなところか説明をお願いします
横松 門前仲町という東西線で早稲田から1本でいけるところにあるんですけど、スポニチ(スポーツニッポン)とか東スポ(東京スポーツ)とかもそこで(新聞を)作っていて、プロの人と一緒の場所で新聞を作っています。こんなすごい人たちと新聞を作れるんだというのはあります。あと、ケイスポ(慶応スポーツ新聞会)とかスポホウ(スポーツ法政)とか明スポ(明大スポーツ新聞部)とか他の大学のスポーツ新聞会もいるので、シーズン中とかの入稿だと、いろいろな学生がいて賑わってるよね。
齋藤 ケイスポと仲良くさせてもらってます(笑)。
横松 ケイスポとは昨年、早慶バレー号で一緒に合同で制作したので、そういうのもできます。
星野 プロの人とか他の学生新聞の人たちと一緒の場所で作業できるから刺激になるし、もっと頑張ろうと思えます。
――1年間の新聞制作のスケジュールを教えてください
横松 1月号が1月にあって、2月末に卒業記念号を作って、3月末が新入生歓迎号。4月頭に早慶レガッタ号、5月に春の早慶野球号、6月にア式号、7月に7月号を作ります。その次が結構飛んで10月号、秋の早慶野球号、慶ラグ号(慶大ラグビー号)、明ラグ号(明大ラグビー号)が続いて。次が箱根号で、1月の頭にラグビー部が決勝に行ったりしたら号外がある感じかな。
――新聞制作の流れを教えてください
横松 1カ月前くらいから面数とかを考え始めて、出稿掲示板っていうのをドキュメントで全体に出して、出稿したい人はここに書き込んでもらいます。入稿の2週間くらい前に編集会議という出稿掲示板に書かれたものを元に多数決でどの面に何を載せるかを決める会議をして、そこから記事の出筆者たちに書いてもらいます。その書いた記事を記録班の人たちが記事を見て、チェックして、入稿が始まって、みんなで一生懸命作って完成って感じかな。
――一番印象に残っている紙面はどの号ですか
星野 僕は昨年の7月号の裏面です。自分がその時担当していたアーチェリー部を取り上げさせてもらったんですけど、自分がレイアウトを組んで自分が記事書いて、自分が撮った写真使ってという、本当に自分がやりたいようにやらせてもらった面です。自分が書きたいことを書いて使いたい写真を使って、それをかたちにできたなっていうふうに思って、思い出に残っていて印象深いです。あと、それを選手に渡した時にすごく喜んでもらえたこと。選手の方がご家族に新聞を送って、それが実家に飾られていると聞いた時はすごくうれしかったです。
横松 年明けのすぐに出した荒ぶる号外が一番印象に残っています。それが編集長としての初仕事みたいな感じだったんですけど、大体入稿って1週間から2週間くらいあるのに、号外だったから4日しかなかったんです。初めてで分かんないことだらけだったし。その時はまだ1個上の先輩とかも来てくれたから分からないことはいろいろ聞けたけど、このままで次の1月号が大丈夫かなってすごい不安になった号でした。けど、それがあったおかげで入稿前の準備が大事だなってわかったし、今に生きている号なので印象に残っています。
齋藤 僕はこの前の早慶レガッタ号です。本当に記事を何本書いたかわからないですけど、ほとんど記事を書きました。1人でではないですけどね。その記事を書く前に対談もして記事も自分で書いて、面担もやってみたいな感じだったので、仕事量的にも早慶レガッタ号かなって思います。裏面が優秀な面担だったり、下準備とかをしてくれた編集長だったり、忙しい中来てくれた髙田(髙田凜太郎、早スポ3年)だったり、やってって言ったことをやってくれた副編集長だったり。その人たちのおかげでなんとか乗り越えられたので印象に残っています。
――新聞のどんなところに注目して欲しいですか
星野 自分はいろいろなところに言葉遊びが隠されているのがすごい面白いなって思っています。凸版が取り上げている選手の名前に掛けられていたりとか、凸版がつながって意味がなされていたりとか。そういうところに、レイアウトを決める人の遊び心であったり、ワードセンスとかこだわりが潜んでいたりするのでそういうところに注目してみると面白いのかなと思います
横松 今、星野が言った通り、全部本当に隅から隅まで見て欲しい。ミリ単位までこだわって面担者たちが作ってくれているので。全部がこだわりなので。
齋藤 やっぱりアウトラインかな。アウトラインっていうのを(1面の)下に書くんですけど、1面の面担者の個性が出るんです。意外とこいつ面白いなっていうのがあったりするので、あんまり紙面本体と関係ないんですけど、読んでもらうと結構面白いかなって思います。
「(同期は)自分を高めてくれるライバル」(星野)

笑顔で質問に答える3人
――早スポの同期はどんな存在ですか
星野 自分を高めてくれるライバルですかね。自分は胸を張って言える武器がなくて。例えば横松みたいにすごくレイアウトにこだわれることであったり、汰朗みたいにいい記事が書けたりするわけでもないので。だからどれを見てもすごい刺激になるなと思います。横松のレイアウト見て「すごくこだわっているな」と思って、自分もレイアウト頑張ろうって思うし、汰朗の記事見て「あ、いいな」って思ったら自分もいい記事書けるように頑張ろうって。現状に満足させてくれないというか、もっと頑張ろうって思わせてくれるのでやっぱりライバルですね。
横松 友達でもないし、なんか戦友って感じ。ライバル。私の場合だと同期で頑張っているチーフとか、そういう人たちが自由にやりたいことができるように早スポの運営やっていこうって。そういうのがモチベーションにはなっているから。そのおかげで私の大学生活が充実しているし、みなさんのおかげです。
齋藤 早スポとかはあんまり関係なくみんなスポーツの話、例えばプロ野球の話とかも大体通じるし。結構考え方とかも似ている人が多いから、話し相手としても、早スポの独立した存在ではなくて普通に友達かなって感じがします。
――65期(現在の2年生)やこれから入る66期(現在の1年生)に期待したいことは何ですか
星野 とりあえず一歩踏み出してもらうことかなって思います。やっぱり行かないことには活動は始まらないので。普通に生きていたら出会わない競技ってあるから、そういうものから得られるものは大きいかなって、それはすごく思うので。それで、行けば絶対に楽しいっていうのは身をもって分かっているので。大学生でいられる期間は短いから、その限られた時間を使う価値はあるのかなと思うので、一歩踏み出して活動に来てもらえればなと思います。
横松 一歩踏み出してほしいっていうのは大前提で、そしたら楽しいことあるだろうし。これは私の自論みたいなところもあるんだけど、逆に最初楽しくないって思うこともあるかもしれないけど、楽しくなくても自分の気持ちの持ちようで楽しくなったりするから。それも含めていろいろなことに挑戦してもらいたいなと思います。
齋藤 1回来てみること。僕も秋の野球号で面担をしたことがきっかけでどんどん行くようになったので、やっぱり一歩目。全く知らない競技に1人で行くのってハードル高いんですけど、行けば先輩とか同期とかがいて、そこをきっかけにその人知り合いで他の競技行くことでネットワークが広がるので。ぜひ行ってほしいなって思います。
横松 付け加えると、私は1年の時に会ったことある同期が主務の荒井結月(早スポ3年)しかいなかったんです。なのに、友達増やしたいなって思っていきなり新歓チーフをしました。だから星野も汰朗も会ったのが1年前くらい。でもやってみたら楽しくなるので、ぜひ。
――ラストイヤーの目標を教えてください
星野 自分はやっぱりこの2年間、先輩方のおかげで好きなことを好きなようにやらせてもらって、充実した2年間だったなと思います。なのでこういう立場に立っている以上、後輩たちが好きなことを好きなだけできる環境を整えてあげられたらなと思います。それで自分と同じような思いをしてくれる人がいっぱい増えてくれたらなと思います。
横松 早スポに入っている人みんながやりがいをもって活動するっていうのは大前提で。個人としては120%じゃなくて150%くらいで駆け抜けるってことかな。1カ月後には創刊600号になる14面の超大型入稿があるし、秋には野球、慶ラグ、明ラグって1カ月半くらい入稿が続くから、120%じゃ乗り越えられないかなって思うので、全力で乗り越えたいなって思います。
齋藤 今の4年生が引退してから早スポのありがたみというか、早スポの活動で日々が充実していたというのを振り返っていました。今、結構忙しくて、やること多いとは思うんですけど、でも忙しいっていうのが幸せなのかなって。結局あと1年しかやりたいことをやれる期間ってないと思うので、妥協せずに最後まで忙しさを楽しみたいって思います。
――新入生にメッセージをお願いします
星野 絶対に早スポにしかない充実した大学生活を送れることは間違いないので、ぜひとも早スポに入ってください。
齋藤 辞めるのは簡単なので、1回入ってみて、合わなければ夏とかに辞めてもいいし。入会費もそんなに高くはないので、少しでも早稲田スポーツに興味があるなら1回入ってそこから考えましょう。
横松 絶対充実するし早稲田がどんどん好きななるサークルなので、せっかく早稲田に入学したならぜひ入ってほしいなと思います。お待ちしています。
――ありがとうございました!
(取材・編集 小島大典、長野雪華、高松寛之、写真 田部井駿平、小島大典、長野雪華)

◆横松さくら(よこまつ・さくら)(※写真中央)
長崎・九州文化学園出身。社会科学部3年。編集長。受験生の時から紺碧の空を聞いて気持ちを高めていたという横松さん。入稿の時も電車で聞いてから東日に行くこともあるそうです!
◆星野有哉(ほしの・ゆうや)(※写真右)
東京・新宿高出身。スポーツ科学部3年。副編集長、野球データチーフ。春休み中にアニメの「ハイキュー‼」にハマったことで、バレーボールの面白さに気づいたという星野さん。Ⅴリーグを観に行ったり、年間通してのバレーボールの授業を取ったりしているそうです!
◆齋藤汰朗(さいとう・たろう)
山形・酒田東高出身。文化構想学部3年。漕艇チーフ、レスリングチーフ、野球寸評チーフ、号替わりの記録チーフ。日向坂46が好きで推しは松田好花さんだそう。また、ラジオを聴くのも好きで、「ハライチのターン!」をよく聴くそうです!