仲間と共に乗り越えた4年間 「周りから助けられた4年間」。漕艇部女子主将を務めた中尾咲月(スポ=三重・津)は、早大での4…
仲間と共に乗り越えた4年間
「周りから助けられた4年間」。漕艇部女子主将を務めた中尾咲月(スポ=三重・津)は、早大での4年間をこう表現した。ケガをはじめ、苦しんだことも多い4年間だったが、中尾がそれらを乗り越え、成長できた裏には仲間の存在があった。
小中学校時代にはバスケットボールをしていた中尾。高校に入学し、いろいろなスポーツを見ていた中で、熱心に勧誘をしてくれた当時の部員がきっかけとなり、ボート競技を始める。競技を始めるとすぐに頭角を表し、年代別の日本代表の合宿に参加したり、世界大会に出場したりするなど、数々の実績を残した。そして、ボートの強豪であり、環境がそろっているという理由から、早大への進学、漕艇部への入部を決める。
入学してすぐに出場した全日本選手権。練習環境や生活にまだ慣れていない時期ではあったが、ダブルスカルで決勝進出を果たし、堂々たるデビューを果たす。しかし、2年時は、新型コロナウイルスに翻弄(ほんろう)された1年となり、全体での練習が約2カ月できないなどの制限があった。そんな中で開催された全日本選手権と全日本大学選手権(インカレ)。中尾は、それぞれ異なる種目に出場したが、大会どうしの間隔が短かったことで調整がうまくいかず、満足のいく結果が残せなかった。翌年は、3年にして初めて早慶戦への出場を果たす。女子種目は連覇がかかっていることから重圧もあったが、「早慶戦の雰囲気はすごいいいなと思った」と振り返った。
4年になると女子主将に就任する。しかし、4月に開催された早慶戦は、ケガにより出場することがかなわない。女子主将という立場もあったため、この欠場が4年間で最もつらい経験となった。その後、気持ちを切り替えて挑んだ5月の全日本選手権だったが、舵手付きフォアで2位と、目標とする優勝には届かなかった。9月に行われた大学生活最後のインカレ。中尾は、全日本選手権と同じ舵手付きフォアに出場し、立命大へのリベンジをかけて臨んだ。結果はまたしても立命大に一歩及ばず2位。それでも、「最後までやり切れた」という感覚があったため、「すがすがしい結果」と総括した。

インカレ決勝後、やり切った表情の中尾(左から2人目)
中尾は、「自身にとって漕艇部とは」という質問に、「家族みたいな感じ」との答えを導いた。多くの時間を共有し、どんなことも共に乗り越えてきた部員、特に同期の女子で選手をしていた3人の存在は大きく、「周りから助けられた4年間」と言い、感謝の言葉を口にした。卒業後は、新設される社会人チームに入って競技を続ける。進路について熟考した末に、「まだ満足できていない」という理由と、「新しいチームにチャレンジしたい」という理由からこの選択をした。早大でのかけがえのない経験を糧に、中尾の人生は、新たな船出を迎える。

インカレで総合優勝を果たした早大女子
(記事 齋藤汰朗、写真 冷水睦実)