早慶戦に懸ける 漕艇部主将を務めた中島湧心(スポ=富山・八尾)。インタビューで中島の口から何度も出てきた言葉が「早慶戦」…

早慶戦に懸ける

 漕艇部主将を務めた中島湧心(スポ=富山・八尾)。インタビューで中島の口から何度も出てきた言葉が「早慶戦」だ。ボート競技の早慶戦は、「早慶レガッタ」と呼ばれ、今年で92回目を迎える歴史ある戦いであり、「三大早慶戦」の一つにも数えられる。そんな早慶戦に特別な思いを抱く中島の、早大での4年間とは――。

 中島がボートを始めたのは中学生の時。当時通っていた中学校にボート部があったことに加え、両親が経験者だったことも競技を始めるのを後押しした。何となくやっていたボートだったが、転機となったが中学生の時に出場した全日本中学選手権。ここで、僅差で優勝を逃して3位に終わったことが悔しく、ボートと真剣に向き合うことになっていく。そして、高校を経て、早大にトップアスリート入試で合格。当時の監督(内田大介氏)の熱意と、クロアチアへの海外遠征の機会があることが、早大入学と漕艇部入部の決め手となった。

 早大に入学する前の漕艇部のイメージは、「真面目で固い」。しかし、その予想とは裏腹に、早慶戦に向けてのチームの一体感や負けられないプライドがあり、「熱いチーム」というのを、実際に入部して感じたという。また、全日本選手権で入賞を果たしたり、念願だったクロアチア遠征に参加したりするなど、入学してから充実した日々を送っていた。

 中島らが2年になる時、世界は未曾有のウイルスに襲われる。例年4月に開催される早慶戦だが、この年は無念の中止に。中島は、一緒に乗る予定だった先輩の悔しそうな姿を見て、「何とも言えない気持ちというか、悔しさみたいなのは正直ありました」と当時を振り返った。その後も、寮生活で感染が拡大するかもしれないという理由で、全員が一時的に自宅に帰ったり、大会が無観客で行われたりするなど、新型コロナウイルスによってさまざまな困難にぶつかった。

 3年になると、早慶戦が再び開催される。前年に開催できなかった分も踏まえ、並々ならぬ決意で臨んだが、慶大に惜敗。この敗戦について中島は、「今まで経験したことないくらい悔しさがあった」と語った。また、3年時には、ケガを経験し、ボートをやる理由を見失った時期もあった。

 4年に上がり、主将として、そしてストロークとして挑んだ自身にとって最後の早慶戦。結果は早大の勝利で、前年のリベンジを果たしたのだった。中島は、「すごく貴重な経験になり、主将として1回勝てたのが自信になった」と言い、この勝利を4年間で最もうれしかったことに挙げた。入学前には存在を知っている程度だった早慶戦。しかし、開催に向けて資金調達をするマネジャーや協力をしてくれる方々、選手たちのプライドなど、さまざまなものが混ざり合うことで、「絶対に負けられないレース」となることを理解していた中島にとって、この勝利は特別なものだったのだろう。


早慶戦で優勝し喜ぶ中島(右から2人目)

 「日本代表にもう一度なる」。「全日本選手権で優勝する」。卒業後は、実業団で競技を続ける中島だが、今後の目標をこう言い切った。大学4年間は、改めてボートと向き合い、ボートについてよく考えるきっかけとなったという。進路についても悩んだ末、「もうちょっと突き詰めてみたい」という気持ちから、競技を続けることを決めた。今年で11年目となる競技歴の長さや、漕艇部で経験したプレッシャーや人との関わりなどを武器に、次なる目標へ向かって進む中島。その活躍を期待せずにはいられない。

 最後に、中島に、後輩たちへ期待することを尋ねると、「インカレ優勝」と述べた上で、「早慶戦の連勝というのを、やっぱりまずは目指してほしい」とも口にした。中島も含め、漕艇部にとっての晴れ舞台・早慶レガッタ。2023年は4年ぶりに有観客での開催が決定している。大勢の観客が見守る中繰り広げられる熱い戦い、こちらにも大きな期待がかかる。


早慶戦のレース後、充実した表情を浮かべる中島(中央左)

(記事 齋藤汰朗、写真 安齋健)