サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マ…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト・大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回のテーマは「ドイツ」。
■「サッカーの都合」が優先された時代
フランクフルトからドルトムント、デュッセルドルフへの列車は、現在はほぼ直線の「新幹線」を走る。丘やトンネルばかりで、車窓はまったく味気ない。しかし当時はライン川沿いの路線を走っていた(この路線自体は、現在もある)。車窓に広がるその雄大な景色を見ながら、私は初めて「外国にきた」ことを実感した。
当時のワールドカップも、現在とはまったく違った。16チーム4グループの1次リーグ。現在はテレビ放映のために大半の試合が時間を重ならないように、しかも連日行われる。しかし当時は、もちろんテレビ放映はあったものの、試合日やキックオフ時刻はもっぱら「サッカーの都合」で決められていた。基本的に1日に2組4試合、それが2日続くと、2日間試合がなく、また同じ形が繰り返される。キックオフはウイークデーなら19時半、週末は16時だった。
例外が2つあった。ひとつは開幕戦で、2組の「ブラジル×ユーゴスラビア」は1日早められ、17時キックオフで行われた。そしてもうひとつが開催地元の西ドイツの試合で、この試合だけは他の試合とはキックオフ時間を分け、ウイークデーなら16時に、週末なら19時半にキックオフされた。
「2日試合があると2日休み」のリズムは、とても心地良かった。私はフランクフルトで東京に送るフィルムや原稿を用意したりしながら、観光にも出かけた。最初の休みの日には、毎日新聞のAさんら何人かの新聞記者といっしょにコブレンツから「ライン下り」ならぬ「ラインのぼり」の船旅も楽しみ、途中で有名な「ローレライ」も見た。雨が多いワールドカップだったが、この日は快晴でとても気持ちよかった。
その翌日には、編集長の希望で、Yさんとともに3人でハイデルベルク観光だった。編集長が「僕の青春の終わりだ」などとわけのわからないことを話して感傷に浸っているのを、Yさんと笑いをこらえながら見ていた。
■スウェーデン人との人生初の国際試合
だがもちろん、何よりもサッカーだ。最初の4試合はややがっかりする内容だったが、その間にも心に残る「サッカー」はあった。
大会3日目に、デュッセッルドルフで「ブルガリア×スウェーデン」を見た。当時のデュッセルドルフのスタジアムは、現在の「アレーナ」ではない。同じ場所にあった陸上競技型の「ラインスタジアム」である。この日は土曜日で、キックオフは16時。6月のドイツは夜10時ごろまで明るい。0-0で試合が終わった18時には、まだ真昼のような明るさだった。試合後、私とYさんは、私の大学時代のサッカーの友人2人とスタジアム外で会った。彼らは「バックパック」でワールドカップ観戦にきていたのだ。
見ると、スタジアム周囲の広大な芝生の一角で、3人のスウェーデンサポーターがボールをけっている。女性のYさんを除けば私たちも3人。さっそく試合を申し込んだ。もちろんOKである。相手は黄色いユニホームに身を包んだ大男3人。最初はちょっとびびった。しかしプレーが始まると、私たちの動きとスピードが彼らを圧倒した。
実は彼ら3人は試合中にビールを飲み続けた結果、泥酔状態だったのだ。私たちは次々とゴールを挙げ、10-3で大勝した。私にとって初めての「国際試合」だった。スウェーデンの酔っぱらいサポーターたちは劣勢を挽回しようと熱くなったが、晴れていた空が突然かき曇り、激しい雨が降ってきてそれ以上試合を続けられなくなったときには、ほっとした表情を浮かべた。
■クライフの最初で最後のW杯
私にとって、この大会のハイライトは、5試合目、ドルトムントで見た「オランダ×スウェーデン」だった。この試合も0-0の引き分けだったが、そんなこともまったく気にならないほどのスピーディーでエキサイティングな試合だった。
このときのスウェーデンには、ラルフ・エドストレームとローランド・サンドベリというスウェーデン・サッカー史上最強の2トップがそろっていた。身長191センチのエドストレームが中盤に引いてボールを受け、エレガントなテクニックで攻撃をつくると、小柄なサンドベリが中央から左右のスペースに走り出てチャンスを切り開く。オランダの守備陣は一瞬の気の緩みも許さない緊張感をもって対応しなければならなかった。
だが主役はもちろん、オランダであり、ヨハン・クライフだった。クライフが出場した最初で最後のワールドカップ。彼は自由に動き回ってオランダの攻撃を牽引した。クライフの動きに対応してオランダの選手たちは流れるようにポジションを取り、力強く効果的な攻撃を生み出した。1974年大会、もう半世紀以上も前のチームだが、このときのオランダは、現在のワールドカップにそのまま投げ込んでも優勝候補の一角になるのではないか―。