日韓W杯20周年×スポルティーバ20周年企画「日本サッカーの過去・現在、そして未来」あのスター選手はいま(3)(1)を読…
日韓W杯20周年×スポルティーバ20周年企画
「日本サッカーの過去・現在、そして未来」
あのスター選手はいま(3)
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2002年、アジアで初めて行なわれた日韓W杯。それは世界のサッカーがぐっと身近になり、ワイドショーで連日、当たり前のように取り上げられた1カ月だった。人々の興味は、初めて見る強豪国のスター選手はもちろんのこと、審判など大会の関係者にも及んだ。あれから20年、彼らはいったいどうしているのだろうか。その現在を追ってみた。
マイケル・オーウェン(イングランド)
史上初の外国人監督スヴェン・ゴラン・エリクソンに率いられたイングランドは優勝候補の一角とも言われたが、準々決勝でブラジルに敗れた。社交界の華として活躍するデイビッド・ベッカムのニュースは今でもよく聞かれるので、ここではオーウェンの現在を紹介しよう。
98年フランス大会で、18歳だったオーウェンは当時のイングランド最年少W杯デビューとゴールを記録。2002年大会でも2ゴールを決めた。2013年、選手を引退したが、その後の経歴は異色だ。
もともと競馬が好きだったオーウェンは厩舎のオーナーになった。故郷のチェシャー州に巨額の費用と時間かけて作った彼の厩舎には、現在100に届く競走馬がおり、なかにはG1を制した馬もいる。
また、2017年には、自らが騎手となって、アスコット競馬場のチャリティーレースに出場している。それまで競走馬に乗ったこともなかったのを、練習を重ね、体重も落として、見事2位を勝ち取った。レース後にはチャールズ皇太子とカミラ夫人から表彰されている。ちなみに4人いる子どものひとり、ジェマ・オーウェンも馬術競技の選手である。
もちろんサッカーも忘れてはおらず、多くの番組で試合の解説やパーソナリティーも務めている。
クリスティアン・ヴィエリ(イタリア)
イタリアの攻撃の中核クリスティアン・ヴィエリ。重戦車とあだ名されるほど、パワフルなプレーで知られる彼は、初戦のエクアドル戦ではいきなり2ゴールをマーク。続くクロアチア戦でもゴールし、この大会では4試合で4ゴールを決めた。
コロナ禍のイタリアを明るくしたヴィエリ
現役時代のヴィエリは、6シーズンプレーしたインテル以外は毎年チームを変えていた。そして2009年にアタランタで現役を引退する以前から、興味のおもむくままに、さまざまなことに手を出している。
2000年にはテレビドラマに出演、また2003年にはパオロ・マルディーニと「スイートイヤーズ」というアパレルブランドを立ち上げる。ハートがブランドマークで、現役時代はユニフォームの下に自社製品を着て、ゴールを決めると脱いで見せていた。
2012年には国営放送「RAI」の「スターと踊ろう」というリアリティショーに出て、ルンバからワルツ、カポエイラまでダンスを披露し5位に入賞した。これに味を占めたのか翌年には元代表のチームメイト、マルコ・デルヴェッキオと世界を旅して、現地でダンスに挑戦する番組を始めた。
2018年と2019年の夏には、フットボールテニス(テニスとサッカーを組み合わせたニュースポーツ)の大会、「ボボ(ヴィエリの愛称)・サマー・カップ」を開催し、元選手も数人参加した。2020年には若手起業家と新しいビールブランドを作る。その名も「ボンビア」。「ボンバー(爆撃機=ストライカー)」と「ビア(ビール)」をかけたネーミングだ。また同じ時期にeスポーツの若い才能を育成するトレーニングおよびエンターテイメントのプロジェクトを立ち上げている。
コロナの流行でイタリアがロックダウンされると、ヴィエリはその発信力を発揮。ほぼ毎晩インスタライブを行ない、アントニオ・カッサーノ、マルコ・マテラッツィ、ハビエル・サネッティ、ルカ・トーニ、フランチェスコ・トッティ、アレッサンドロ・デル・ピエロといった元同僚たちをかわるがわるゲストに呼んでは、ふだんは聞けない現役時代の裏話を聞かせた。ライブは大成功を収め、毎晩多くの視聴者を獲得。コロナ禍で疲弊していた人々を明るい気持ちにした。
このライブの成功から、ヴィエリは「ボボTV」というチャンネルを立ち上げ、インテル時代の同僚ダニエレ・アダーニ、ニコラ・ヴェントーラ、アントニオ・カッサーノとともに、歯に衣着せぬ調子で今のサッカー界を切っている。特にカッサーノの発言は辛辣で、オンエアされた翌日は必ず新聞ネタになるほどだ。ゲストもトッティ、マンチーニ、クレスポととても豪華で、現在48万人近くのフォロワーがいる。
現在もサッカー界を支えるコッリーナ氏
ピエルルイジ・コッリーナ(イタリア)
最後にふたりの審判の現在を紹介しよう。彼らもまた2002年大会の主役だった。

2002年W杯決勝の笛を吹いたピエルルイジ・コッリーナ主審(イタリア)
ひとり目はコッリーナ。日本対トルコ戦、そして最も重要な決勝のブラジル対ドイツの笛を任されたイタリア人審判だ。スキンヘッドに大きな目玉で毅然とジャッジする姿を覚えている人は多いだろう。大会後は日本でも人気になり、たこ焼きのCMに起用されたり、『キャプテン翼』に登場したりした。
多くの選手からも評価されており、ブラジルのドゥンガは彼の正確なジャッジを「審判界のメイド・イン・ジャパン」と呼び、イタリアのGKジャンルイジ・ブッフォンは「彼がピッチに立っていると姿はエレガントで、まるでジャケットにネクタイをつけているように見えた」などと言っている。
1998年から6年連続でIFFHS(国際サッカー歴史統計連盟)の最優秀審判に選ばれ、また2010年には、歴代を通じての最優秀審判にも選ばれた。イタリアでは唯一審判としてサッカーの殿堂入りも果たしている。
彼が本当に特別な審判だったことは、FIFAやイタリアサッカー協会などの対応からもわかる。彼は2004年のユーロで国際審判の定年を迎えたのだが、その後、特別にW杯予選のポルトガル対スロバキアの試合の笛を吹いている。彼の引退試合としてくれたのだ。またイタリアサッカー協会はコッリーナの力量を惜しみ、それまで45歳だった審判の定年を46歳にまで伸ばした。
コッリーナは引退後もサッカー界に残り、AIAイタリア審判協会の会長、UEFA審判委員を経て、2017年からFIFA審判委員会委員長を務めている。VARを始めとした審判技術の進歩に力を入れている。
人気者の彼は、今でも街を歩くと、サインやセルフィ―を求められるという。彼が2002年のW杯決勝で着ていた黄色の審判ユニフォームは、イタリアのサッカー博物館に展示されている。
バイロン・モレノ(エクアドル)
コッリーナが2002W杯の審判界のヒーローなら、ヒール役はエクアドルのモレノだろう。
最近もまたイタリア人を激怒させた
決勝トーナメント1回戦のイタリア対韓国。トッティにイエロー2枚を出して退場にし、イタリアのゴールをオフサイドとして取り消す一方、韓国のファウルはほとんど見逃してイタリアを敗退に追い込んだ。イタリアでは親の仇のように憎まれている。
イタリアのレジェンド、マルディーニは以前からこの大会で引退することを決めていたが、最後がこんな形に終わったことに、悔恨の念があるようだ。
「ひどいスキャンダルだ。私は常にピッチで礼儀正しく振る舞う努力をしてきたが、こうした不正に黙るのは正しくない。代表でのキャリアをこんな形で終えたくはなかった」
デル・ピエロはイタリアの新聞に、当時のことを振り返りこう言っている。
「モレノという名前を聞くと、もう笑うしかない」
MFアンジェロ・ディ・リービオは、モレノのことを「自分の人生から消し去りたい人物」だという。「たまに人から、『あの時どうしてあいつを殴らなかったんだ?』と聞かれるんだ。今考えると、あの時、俺は34歳で、先も長くなかったから、殴ってもよかったのかもしれない」
日韓W杯の数カ月後、モレノは、今度はエクアドルのリーグ戦バルセロナ対リーガ・キトで故意に試合を操ったとして非難される。キトは90分まで3-2で負けていたが、モレノは6分のアディショナルタイムを提示し、PKをキトに与え、キトのファウルは一切取らず、既定の6分が過ぎても笛を吹かず、キトがやっと逆転したタイミングでタイムアップとした。その時、すでにアディショナルタイムは13分になっていた。
ちなみにモレノはその後、キトの市議会選に立候補する。彼がその時掲げたスローガンが「不正にはレッドカード」だった。
度重なる誤審に、何度か資格停止処分を受けた後、2003年に審判を引退。この年イタリアのバラエティ番組「おばかホテル」に出演。番組のミニドラマのなかで、モレノはアタッシュケースにあふれるほどの札束を詰め込み、美女をはべらせてダンスまで披露する。八百長で儲けた億万長者の役柄だった。
彼の出演を巡ってはイタリアの各局が争奪戦を繰り広げ、実際に出演料としてもかなりの大金を手にしたと言われている。ただでは起きない男なのだ。
2010年、ニューヨークの空港で、6キロのヘロインを服の下に隠し持っているのが見つかり逮捕。2年半の懲役刑が言い渡される。2012年には仮釈放されるが、エクアドルに帰ると今度は脱税で起訴された。
現在はエクアドルのラジオで「バイロンの笛」という冠番組を持っていて、世界の試合を解説。また審判学校の講師もしている。
最近ではイタリアの「ガゼッタ・デロ・スポルト」紙のインタビューで、「2002年のイタリア対韓国戦は、私の審判人生の中なかでもトップ3に入る名ジャッジだった。10点満点中8.5点だった。トッティは確かにわざと転んでいた。その証拠に彼自身は抗議していない」などと発言し、またもイタリア人の怒りを買っている。