大坂なおみがマイアミ・オープンの1回戦を戦う日は、ひとつの衝撃的なニュースにテニス界が揺れた日だった。 女子世界ランキング1位のアシュリー・バーティ(オーストラリア)が、25歳の若さにして突如の引退表明----。 今年2月に全豪オープンで…

 大坂なおみがマイアミ・オープンの1回戦を戦う日は、ひとつの衝撃的なニュースにテニス界が揺れた日だった。

 女子世界ランキング1位のアシュリー・バーティ(オーストラリア)が、25歳の若さにして突如の引退表明----。

 今年2月に全豪オープンで「44年ぶりの地元選手優勝」の悲願を成し、絶対的な女王として支配力を強めていくかに見えた最中。マイアミ・オープン会場でも選手たちが各々の意見を語り、波立つ空気のなか、大坂はセンターコートに立っていた。



大坂なおみが地元マイアミで本音をこぼした

 現在世界ランキング77位ながら、センターコートに試合が組まれたことが、大坂の知名度と注目度の高さを物語る。

 今大会においてはことさら、いくつかの理由において、その傾向は強いだろう。

 その理由のひとつは、大坂がマイアミの隣町で育ったこと。会場こそ移り変わったが、マイアミ・オープンは大坂が観戦に訪れた初めての大会としても知られている。

「練習コートのスケジュールを見て、お目当ての選手のサインをもらおうとしていた。でも私は、声をかけるにはあまりにシャイだった」

 そんな多少の苦みも交じる思い出を、大坂はしばしば口にしてきた。

 もうひとつ、今大会の大坂が注視を集める理由は、10日前のBNPパリバ・オープン2回戦での出来事にある。

 試合開始早々に浴びたひとつの野次で、大坂は涙を流すほどに内面から崩れていった。敗戦後はコート上で、自ら望んで、観客に涙の理由を吐露する異例の敗戦スピーチも......。

 これほどまでに精神的に揺れた大坂が、果たしてマイアミ・オープンで、いかなるプレーを見せるのか? そんな好奇の色も、彼女に向けられる視線には含まれていた。

 実際には、初戦の大坂はまるで10日前の出来事などなかったかのように、安定感とエネルギーに満ちていた。

 サービスゲームでは、コースと球種を効果的に打ち分け、常に主導権を握っていく。リターンでも、コースを読みきったかのように鋭く反応し、迷わずボールを打ち抜いた。

10日前の涙の理由を明かす

「相手(アストラ・シャルマ/オーストラリア)の情報はほとんどなかったけれど、サーブがいいことはわかっていた。自分のサーブの確率に満足している。セカンドサーブもよくて、相手に攻められることがなかった。

 リターンでは、『いいリターンを打たなくては......』と自分に言い聞かせていた。それは、全豪オープンで負けた試合ではリターンで消極的だった反省があったから」

 試合後の大坂は、6−3、6−4の手堅い勝利を淡々と振り返る。10日前のBNPパリバ・オープンの出来事も、「思い返せば、私は過去に野次られた経験がないことに気づいた」と述懐した。

「ブーイングはあったけれど、直接野次を飛ばされたことがなかった。想定外のことが起きて、訳がわからなくなってしまった」

 涙と心のメカニズムを冷静に分析する彼女は、「実は最近、ようやくセラピストと話を始めた」とも明かす。

「自分の進むべき道を示してくれる人が身近にいることは、すごくありがたいことだと思った」

 穏やかにそう語る彼女は、「彼女を自分のチームに招きたい」とも言った。

 今の大坂が、キャリアや人生のどの位置にいて、何を最大の目標やモチベーションにしているかは、多くのファンにとっての関心事項だ。

 今回、新たな声を取り入れる大坂の姿勢からは、再びトップを目指す向上心が感じられる。ただ、「ここからの私のキャリアは、言ってみればボーナス」との言葉の真意は、やや測りかねるところもある。

 そんな彼女の、ひとつの「理想像」の一端が、バーティの引退に言及した時、言葉の端々からにじみ出た。

「彼女の引き際は、理想的な姿。世界1位のまま去るのは、本当にかっこいいと思う。これ以上、何も証明することはない。自分がやりたいと思ったことは、すべて成し遂げたと感じたんだと思う」

 まるで、自分の夢を語るかのような大坂に、「理想的な姿」の詳細を重ねて尋ねる。すると、彼女はよどみなく、その内訳を語りはじめた。

60位に落ちて引退するよりも...

「彼女は子どもの頃から、全豪オープンをたくさん見てきたと思う。そのオーストラリアで優勝して引退するのは、きっといい気分だろうなって。

 優勝したから引退するのか、それとも、その前から引退を決め、これが最後のチャンスと思って全力で戦っていたのか、それはわからない。いずれにしても人生には、『ひとつの章が終わった』と感じる瞬間がある。彼女はきっと、そう感じたんだと思う。

 彼女の引き際がクールだと思ったのは、それが私にとっても、理想の引退だから。60位とかに落ちて引退するよりも......。

 今現在60位にいるのは、別に悪いことではないわよ。ただ、世界1位とグランドスラム優勝を夢見た、かつての子どもとして......もし彼女が自分のなかの子どもと対話したら、その子は今の彼女を、とても誇りに思うはずだから」

「私にとっても、理想の引退」と口にした時、彼女は恥ずかしそうに笑った。きっとそれは、彼女が心に秘めていた、ひとつのそうありたい自分像なのだろう。

 今の大坂が、果たして何を求め、どこを目指しているのか?

 おそらくは本人も答えを求めているその問いへの、ヒントが次の試合に隠されているかもしれない。その相手とは、元世界1位で現15位のベテラン、アンジェリック・ケルバー(ドイツ/34歳)。

「子どもの頃にテレビで見ていた選手と対戦できるのはクール。私の現在地を知るうえでも、いいテストだと思う」

 そのテストの先に、進む道が拓けるはずだ。