視覚障害がありながら、決してあきらめず挑戦し続けることで、障害者クライミング世界選手権チャンピオンに輝き、また視覚障害者と健常者が枠を越えて一緒にクライミングを楽しむ「NPO法人モンキーマジック」の活動を続けるフリークライマー小林幸一郎へイ…

視覚障害がありながら、決してあきらめず挑戦し続けることで、障害者クライミング世界選手権チャンピオンに輝き、また視覚障害者と健常者が枠を越えて一緒にクライミングを楽しむ「NPO法人モンキーマジック」の活動を続けるフリークライマー小林幸一郎へインタビュー。

—クライミングとの出会い

小林:たまたま本屋さんで山と渓谷という雑誌が「アメリカから入ってきた新しいスポーツ・フリークライミングをはじめよう」という特集していたのを立ち読みしたのがキッカケなんですけれども、数えてみると今から33年前、僕が16歳の時でした。
本当に子供の頃から、中学も高校も何にも運動とかやってこなかったので、自分にもやっとやれるものがあったという出会いでした。
自然の岩を登るのがフリークライミング。なので僕にとってのクライミングってのは岩を登ることでした。

—NPO法人モンキーマジック設立のきっかけ

小林:28歳の時にあなた目の病気ですよと。この病気は治せなくて将来失明しますという診断を受けて、自分の思い描いていた人生の未来予想図が音を立てて崩れていくわけです。
進行していく病気なので、目が見えていた時にできていたことが、色々できなくなることが増えるわけです。
そんな時にあるお医者さんにお会いした時に、「あなたが何ができるのかじゃなくて、あなたは何がしたいのか、どう生きていきたいかが大事ですよ」と、自分にできることってなんだろうとはじめて考えるようになってきたんですね。

クライミングをやめる理由がなかったので、クライミングを続けているということに気がついて、この素晴らしいスポーツのことを他の視覚障害の人へも伝えられるんじゃないか。
ずっとクライミングを続けてきた自分であり、視覚障害であり、両方を兼ねている自分だからできることなんじゃないかと思ったのがキッカケで、障害者にクライミングを伝えたい、場所を作っていたいと思ったのがキッカケです。

昔は、クライミングは自分のためのものでした。自分の趣味で、自分の休みの日に楽しむもの。自分のためのクライミングから人に伝えるもの、人と一緒に楽しむもの、人に楽しんでもらいたいものみたいな、人と共有するものという風に自分の中で大きく発展しましたね。
それは、「目が見えない人にクライミングを伝えたい」という自分の想いで始めたモンキーマジックの活動は、例えば障害者という目でいえば、耳が聞こえない・聞こえにくい方、車椅子の方、発達知的精神などそのような障害をお持ちの皆さんも参加してくれるようになりましたし、それから何より障害を持っていないたくさんの方達が、私達「モンキーマジック」の活動に触れてくれるようになりました。

—クライミングに挑戦している人たちへのメッセージ

小林:クライミングというスポーツは、失敗をし続けるスポーツだと僕は思っていて、落ち続けるわけですね。
うまくできなくて落ちて、これでダメだったら手の持ち手を変えてみよう、持ち順を変えてみようとか、力が足りないなら、自分でもっと力をつけてみようとか。そういう風にして、色々な工夫をした結果、最終的にゴールに行くつくことができるスポーツだと思います。
その「挑戦する」、「失敗する」、「工夫する」、これの繰り返しでいつか必ずゴールに行き着ける。それがクライミング。
人生に重なるというのはそういうことなんじゃないかと思っていて、気がついた時にそういえば人生ってこういうものだよなと。そんなに簡単にうまくいかないんだけれども、諦めずに工夫してやり続けたらいつか必ず前に進めるというような体験がこのスポーツには待っているので、いろんな方に経験してほしいし、続けてみないとそれはまた気付けないので、ぜひいろんな方にトライして継続して、楽しんでみてもらえたら人としての成長にもつながる部分があると思うので、やったことのない方はぜひやってみてもらいたいと思います。