9月30日、ヤクルト・雄平の引退試合が二軍の戸田球場で行なわれた。雄平の最終打席は8回裏、マウンドには同級生の牧田和久…
9月30日、ヤクルト・雄平の引退試合が二軍の戸田球場で行なわれた。雄平の最終打席は8回裏、マウンドには同級生の牧田和久(楽天)が立っていた。
「今日は何回も泣きそうになったんですけど、牧田が笑ってくれたので、そこで楽しもうという気持ちにさせてもらえました。思いきり振り抜くことだけを考えて、気持ちを込めてスイングしました。見逃し三振だけは本当にしたくなかったですし、どんどん打っていくのが僕のスタイルなので、そこは貫けたと思います」
雄平らしい豪快な空振り三振で、19年間の現役生活に幕を閉じた。

今シーズン限りでの引退を表明したヤクルト・雄平
試合前練習でのティー打撃で「今の打ち方だと......できる、できないはあるけど」と、大松尚逸打撃コーチを相手に、最後までバッティングを追求していた。そんな姿に、"練習の虫"だった雄平の記憶が次々と蘇ってきた。
2018年の夏。
「見てください。まだバットを振ってないのに、もうこんなに汗がすごいです」
神宮球場の室内練習場で、雄平はたくましい腕を突き出してニコリとした。このシーズン、雄平は若手選手たちのチーム早出練習に参加。猛暑の夏でも連日、一心不乱にバットを振り続けた結果、自己最高となる打率.318をマークし、本塁打も4年ぶりの2ケタ(11本)を記録した。シーズン後、雄平はこう語った。
「試合に出ながらだったのですごくきつかったですが、早出練習に入れてもらえてうれしかったです。コーチたちに悩みを相談して、解決して、試合に臨むことができたこともプラスでした。本当に1年中キャンプをしている感覚で、夏は体力を使い果たすぐらいでしたが、最後までバットを振る力は落ちませんでした。数字は残せましたが、まだまだ満足していません」
早出練習はじつに過酷で、選手たちの悲鳴が聞こえてくるなか、雄平の底抜けの明るさは一服の清涼飲料水のようだった。
この"練習の虫"である雄平の真髄を味わえるのが、春季キャンプだった。バッティング練習では、自分の持ち時間が終わっても「あとちょっと」と粘り、コーチから「いい加減にしろ!」と怒られる始末。それでも、どこかでバットを振っていた。
2019年のキャンプではこんなことがあった。二軍キャンプ中だった若手の渡邉大樹に「雄平選手は(一軍キャンプで)かなりバットを振り込んでいましたよ」と声をかけると、「僕のほうが振っていると思います」と返ってきた。ちなみに、ふたりは一緒に自主トレをしている間柄だった。
そして雄平に渡邉の言葉を伝えると、真顔でこう言った。
「いや、僕のほうが絶対に振っているはずです」
なんという負けず嫌い......と思わず笑ってしまったが、雄平を支えているのは練習なのだということを再確認した。
その2019年シーズン、雄平は「ひとり早出練習と表現してください」と、チーム練習前のティー打撃を欠かすことなく続けた。雄平がその時に発する言葉は、真剣さゆえに思わず笑ってしまうことも多かった。
「ボールは目で見るんじゃなくて、体で見る。それも体の芯で見る。よくわかんないけど......」
「僕、試合に出られますかね? いい風が吹いているけど、出番はないだろうなぁ」
そんな数々の雄平語録のなかでも、「うまくいかないなぁ。でも、これを続けていればきっといいことがある。そのためにもフォームは変えない」という言葉は強く印象に残っている。
「模索を続けていけば、今年の僕のバッティングが見えてくると思ったので......。いいことが起こるためにはトライすることが必要で、もっと打てる自信があるし、もっと新しいものを見つけたいんです。結果、フォームは変えましたけど、それでよかった(笑)」
雄平と石井琢朗打撃コーチ(現・巨人野手総合コーチ)のティー打撃を眺めるのも楽しい時間だった。前日の打席を振り返り、今日の対戦投手について対策を練るのだが、そのやりとりはユーモアに溢れていた。
「打つ時に顔の軸がブレていることに気がつきました」(雄平)
「おまえは心の軸がブレるからいけない。自分から悪い方向へ行ってしまう」(石井コーチ)「アーッ(苦笑)」
「ほかの選手のバットも触ったけど、おまえのバットが一番扱いやすい」(石井コーチ)
「この形はバランスがいいんですよね」(雄平)
「おまえは扱いづらいけどな(笑)」(石井コーチ)
「アーッ(苦笑)」
石井コーチに雄平のことを聞くと、いつも楽しそうに話してくれた。
「彼を支えているのは探究心ですよね。本当に毎日、毎日、飽きないのかと思うぐらいバットを振っています。遠征先の宿舎でも暇さえあればバットを振っている。雄平はあの年齢にして粗削りだらけ(笑)。そういう意味で可能性を感じさせてくれる選手ですし、『40歳でキャリアハイを目指そうぜ』という話をしているんですよ」
衰えを知らない練習ぶりを見れば期待は膨らんだが、物事はうまく進まない。昨年はケガにも泣かされ43試合の出場にとどまり、今シーズンは春季キャンプから二軍生活が続いた。
しかし雄平は、あきらめることも腐ることもなく、二軍の室内練習場で2時間もバットを振り続けた日もあった。打撃技術も今が最高だという手応えを感じていた。
「この1年は厳しい立場にあることは承知のうえで、そこからはい上がっていくんだという気持ちで過ごしていました」
引退試合の日、雄平のフリー打撃が始まったが、ミスショットをした時の「アーッ!」という叫び声が聞こえてこない。
「今日は単純に絶不調で、打席のなかで試行錯誤してました(笑)。でもやっぱり、みんなと練習するのは今日で終わりなので、そこがいちばん悲しいですね。ひとりでも練習はできるんですけど、それはみんなとの時間があったからできたんだなと。とくにこの1、2年は、みんな後輩ですけど最高のメンバーとやらせてもらいました。すごくいい仲間にめぐり会えたことに感謝しています」
戸田球場は打者・雄平の原点でもあった。2003年にプロ入りして、最初の7年間は投手としてプレー。制球に苦しみ、2010年に打者に転向すると、練習に明け暮れた。試合後に1時間の特守。それが終わればバッティングとウエイト。オフでも毎日1000スイングを繰り返した。
その甲斐あって、打者転向後に積み重ねたヒットは868本。常に自らの伸びしろに期待して「練習にあきることはないですね」と、バットを振り続けた賜物にほかならない。
「これで終わりではあるんですけど、体はまだ動きますし、練習は継続していこうと思っています。でも、明後日からはみんなと一緒になって練習できないのが寂しいですね」
10月5日、雄平は都内にある球団事務所で引退会見を開いた。まだやりたい気持ち、まだやれるという気持ちのなかで、一軍の戦力になれなかったことが引退を決意した大きな理由だった。
「野球とは楽しいものです。でも、そのなかに苦しいことや辛いことがたくさんあります。本気だからこそ苦しいですし、苦しいことのほうが多かったかな。僕は不器用でコツを簡単に見つけにくいタイプだったので、結果的に練習をたくさんすることになりました。それだけやらないと、見つからないということです。
練習でちょっとでもいいことがあれば『もっともっと』となるし、試合でヒットを打ったり、いいプレーができたり、みんなで優勝をわかち合えたり......そういう喜びのために苦しい時でも頑張れたんだと思います」
引退後も練習を継続することについて質問すると、「いくつか理由があります」と答えて、話を続けた。
「子どもの頃からずっと体を動かしてきて、それを急にやらなくなるのが怖いんです。今の自分の体がなくなってしまうことへの恐怖。この感覚は引退を決めてから何日も続いていて、それが練習を継続するひとつの理由です。そして一番は、自分の体を実験台にできるチャンスということですね。これからも野球を追求していけたらと思っています」
今後については「まだなにも決まっていないんです」と話した。
「野球に携わっていきたいですし、いずれは(指導者として)自分の経験を伝えられたらいいですね。そのためにもいろんな視点から野球を学んでいけたらと思っています」
会見終了後、雄平は「なんだか自分の話だけになっちゃった。もっとファンの方へ感謝を伝えたかったんですけど、大丈夫でしたか」と苦笑いした。
新しい世界でも雄平は"練習の虫"となり、またファンの前で楽しい姿を見せてくれるはずだ。