2022年カタールW杯アジア最終予選が9月2日からスタートする。ここから、W杯出場をかけた痺れるような戦いが続いていく。…

2022年カタールW杯アジア最終予選が9月2日からスタートする。ここから、W杯出場をかけた痺れるような戦いが続いていく。そんな熾烈な戦いを前にして、識者3人にW杯最終予選で記憶に残っている試合「ベスト3」を挙げてもらった――。


日本が初のワールドカップ出場を決めた

「ジョホールバルの歓喜」

中山 淳氏(サッカージャーナリスト)

1位=日本3-2イラン
1998年フランスW杯最終予選アジア第3代表決定戦(1997年11月16日/マレーシア)

 日本が初めてW杯の扉を開いた「ジョホールバルの歓喜」は、これまでに取材した予選の中で最も重要かつインパクトの強い一戦として記憶に残っている。日本サポーターでスタンドが青く染まった当日のスタジアムのボルテージ、その中で繰り広げられた大接戦、延長戦で岡野雅行が決めたゴールデンゴール......。

 今振り返っても、初めてホーム&アウェー方式で行なわれた当時の最終予選は、誰も予想ができないノンフィクション物語そのもので、マレーシアで開催されたイラン戦は、その結末として最高のエンディングだった。ちなみに、中田英寿という国民的ニュースターが誕生したのもこの試合である。

2位=日本2-2イラク
1994年アメリカW杯最終予選(1993年10月28日/カタール)

 日本サッカーがプロ化して初めて挑んだW杯アジア最終予選。当時は現場取材ではなく、編集部で"受け"の仕事を担当していたため、のちに語り継がれる「ドーハの悲劇」は自宅で観戦。後半アディショナルタイムに、イラクに同点に追いつかれるまでは、W杯初出場を信じて疑わなかった。

 だが、終了間際にオムラムのヘディングシュートがネットを揺らした瞬間、まるで地獄に突き落とされたような感覚で、しばらく茫然とテレビ画面を見つめていた記憶が脳裏に焼きついている。また、多くの日本国民が深夜のサッカー中継に一喜一憂したという意味で、W杯予選が初めて一般に浸透するきっかけになった試合でもあった。

3位=日本1-2韓国
1998年フランスW杯最終予選(1997年9月28日/日本)

 ホームの日本が韓国に敗戦を喫した試合ではあるが、その試合展開もさることながら、試合会場となった旧国立競技場の当日の雰囲気が忘れられない。満員に埋まったスタンドからは、期待、不安、緊張、そして勝利への情熱が入り混じったサポーターの底知れぬエネルギーがあった。後にも先にも、あのような雰囲気を体感したのは一度だけ。

 そんななかで行なわれた試合で、日本は後半に連続ゴールを浴びて逆転負け。まだ予選3戦目ではあったが、試合後の記者会見では采配ミスを犯した加茂周監督が記者(故・刈部謙一氏)から進退を問われるなど、当時のメディアが厳しくも情熱的であったことも印象深い。

杉山茂樹氏(スポーツライター)

1位=日本2-2イラク
1994年アメリカW杯最終予選(1993年10月28日/カタール)

 ドーハでイラクに敗れた瞬間、その場で筆者は平静を装うとした。スポーツの世界、サッカーの世界にはよくある話だと自らに言い聞かせたものだ。しかし、あれから28年の時を経た今、よくある話ではないことを実感している。貴重な体験以外の何ものでもなかった。「ロストフの悲劇」(2018年ロシアW杯ベルギー戦)比ではない。

 とはいえ、このイラク戦。"悲劇"である時間は短かった。ジョホールバルでイランに勝利した4年後には、エンターテインメントに昇華していた。すっかりいい思い出と化していた。ともあれ、日本国民にサッカーの競技としての魅力を余すことなく伝えた試合。サッカー人気を決定づけた一戦といって過言ではない。

2位=日本3-2イラン
1998年フランスW杯最終予選アジア第3代表決定戦(1997年11月16日/マレーシア)

 ジョホールバル。シンガポール国境を抜け、マレーシア国内に少し入った場所にあるそのスタンドを埋めた、約2万人の観衆は大半が日本人だった。当時の日本のサッカー熱を象徴する光景が、そこには全面的に広がっていた。後半14分、アリ・ダエイのゴールが決まり、2-1とリードしたイラン。実力的には日本より上のように見えたが、日本にとって幸いだったのは、イランがそこから守りを固めたことにある。

 何を隠そう、その頃から筆者はほとんどノートを取っていない。観戦に没頭することになった。夢中にさせられたと言ってもいい。城彰二のゴールで2-2とし、岡野雅行のゴールデンゴールで3-2とした逆転劇。試合が終わると、ジェットコースターから降りた瞬間のように、まともに歩行できなかった記憶は今なお、脳裏に刻まれている。三半規管に異常をきたすことになった、あのハラハラドキドキ感を再度、体感できる日が訪れることを祈りたい。

3位=日本2-0韓国
1998年フランスW最終予選(1997年11月1日/韓国)

 予選を一度も突破したことがない国がW杯本大会を開催した過去はない――2002年W杯を韓国と共催することが決まっていた日本に重くのしかかっていたのが、この史実。1998年フランスW杯本大会に出場することは、世界から日本に課せられた至上命題だった。韓国はこの条件をクリアしていた。日本と同組で争うこの予選でも早々に突破を決めていた。

 一方、日本は2戦を残した段階で韓国、UAEに次いでグループ3位。しかも、次戦は韓国とのアウェー戦。文字どおり、絶対に負けられない戦いだった。筆者も身の危険を感じながらソウル入りしたものだ。防弾チョッキに身を包み、蚕室スタジアムに向かったカメラマンもいたほどである。

 ところが、スタンドは極めて和やかなムードに包まれていた。「日本も我々と一緒にフランスへ」と書かれた看板も目に止まった。試合は2-0で日本の勝利。韓国がわざと負けたとは言わないが、手を抜いてくれたように見えた(?)。吃驚仰天(びっくりぎょうてん)とはこのことである。少なくとも筆者が観戦した日韓戦史上では、断トツの友好ムードに包まれた"緩い一戦"であった。

浅田真樹氏(スポーツライター)

1位=日本3-2イラン
1998年フランスW杯最終予選アジア第3代表決定戦(1997年11月16日/マレーシア)

 ワールドカップ最終予選に限らずとも、日本代表戦史上において最も印象に残るのは、この試合かもしれない。

 ここに至るまでに起きた波乱の出来事の数々。互いに点を取り合い、延長までもつれ込んだ試合展開。そして、ワールドカップ初出場という結末。すべての要素が、このうえなく劇的だった。この先、これを超えるインパクトを残せる試合があるとすれば、日本がワールドカップで優勝する時くらいだろうか。

 ただし、ワールドカップ出場が難しかった時代のほうが、どうしても「ハラハラ、ドキドキ」は大きくなりやすく、必然、単純に印象的な試合を選んでしまうと、アメリカ大会やフランス大会の最終予選ばかりになりかねない。2位以下は、少し視点を変えて選んでみたい。

2位=日本1-2イラン
2006年ドイツW杯最終予選(2005年3月25日/イラン)

 これほどのアウェー感を味わったことがない、という意味でかなり印象的な試合だ。

 10万人収容の巨大なアザディスタジアムに超満員の観衆が詰めかけたばかりか、"無賃観戦"の多くのファンが、スタジアムの壁や照明塔によじのぼって試合をのぞき見る。まさに立錐の余地もないスタンドに、男たちの野太い声が響き渡る迫力は、ヨーロッパや南米でもそうはお目にかかれないものだった。

 先制され、追いつき、勝ち越される、という試合展開もそれなりに面白かったが、それ以上にゾクゾクするようなスタジアムの雰囲気が記憶に残っている。

3位=日本2-0北朝鮮
2006年ドイツW杯最終予選(2005年6月8日/タイ)

 日本が勝ってワールドカップ出場を決めた試合であると同時に、中立地のタイ・バンコクで、しかも無観客で行なわれた特殊な試合である。北朝鮮との力関係を考えれば、負ける心配はそれほどなく、内容的にもさしたる見どころはなかったが、試合前から何とも言えない重苦しさと、未体験ゆえの不気味さを感じる試合だった。

 一般のファンは入場できないにもかかわらず、スタジアムの周囲に多くの日本サポーターが集まり、試合中に声援を送っていたことも印象深い。