「ウィンブルドン」(イギリス・ロンドン/6月28日~7月11日/グラスコート)の女子シングルスで優勝を飾った第1シードの…

「ウィンブルドン」(イギリス・ロンドン/6月28日~7月11日/グラスコート)の女子シングルスで優勝を飾った第1シードのアシュリー・バーティ(オーストラリア)を、母国の大先輩が褒め称えた。米テニスメディア Tennis.comなど複数のメディアが報じている。

【実際の投稿】バーティとグーラゴング、50年の時を経て受け継がれた優勝

決勝で第8シードのカロリーナ・プリスコバ(チェコ)を6-3、6-7(4)、6-3で下したバーティは、自身初となる「ウィンブルドン」優勝を果たし、2019年の「全仏オープン」に続いて2つ目のグランドスラムタイトルを獲得した。そんなバーティが本大会で着用していた、裾にスカラップ模様のカットワークが施されたウェアには特別な思いが込められていた。バーティにとって同国の大先輩であるだけでなく、友人であり、メンターでもあるイボンヌ・グーラゴング(オーストラリア)が「ウィンブルドン」初優勝を果たしたのが1971年。その50周年を記念して、当時グーラゴングが着ていたウェアを模した特注品だったのだ。オーストラリアの女子選手としてその先輩以来となる「ウィンブルドン」制覇と、それに相応しい結果を残したバーティは、試合直後のセンターコートで涙に声を詰まらせながら「イボンヌに誇りに思ってもらえるといいわ」と声を振り絞って話していた。

オーストラリアの自宅から試合を見守っていたグーラゴングは、これに対して「彼女は間違いなく私の誇りよ」と応えている。そしてその気持ちは今に抱き始めたものではないと、バーティとの関係を振り返った。

「初めてアッシュ(バーティ)を見た時から彼女は私の誇りだったわ。それは“全豪オープン”でのことだったけど、当時13歳くらいだったかしらね。すべてのスキルを発揮していたの。スライス、ボレー、スマッシュを披露して、すべてが1つのゲームに集約されていたような感じ。(夫のロジャーと私は)お互いに顔を見合わせて、“彼女は次のチャンピオンになるだろう”って確信した。その通りになったわ」

「すべてのスキルを兼ね備えたロジャー・フェデラーが登場するまでは、あまりテニスを見ていなかったの。彼は魔法使いのようだったわ。あんな風にプレーできる若い女の子が現れたらいいのにと思っていたら、アッシュが現れて…彼女はひたすら前を見つめて進んできたの」

画面越しのバーティから伝わってくる感情に共感しながらも、オーストラリアから見ている方がより緊張したと、グーラゴングは喜びを語った。「“ウィンブルドン”で初めて優勝した後の反応は人それぞれだと思うけど、私の場合、その瞬間は麻痺してしまって、後になってから実感が湧いてきたわ。アッシュが最後そうだったように、ショック状態になってしまうのよ」

「アッシュは妹のような存在であり、家族の一員」と二人の関係を表現するグーラゴングは、家族が当時どういう気持ちで自分を応援してくれていたかを実感したという。バーティが優勝を決めた瞬間、自分たちが「飛び上がって、泣いて、叫んだ」様子は、グーラゴングの優勝を喜んだ家族とまったく同じだったと話し、若きチャンピオンとの絆の深さを感じたと述べている。

2019年の「全仏オープン」のチャンピオンであるバーティと同様にグーラゴングもパリで初めてグランドスラムのタイトルを獲得し、その次に制した4大大会が「ウィンブルドン」だった。さらに二人はともに「ウィンブルドン」で勝つためにはその夢を明確にすることが大切だと理解している。今回の決勝を前に、69歳のグーラゴングはバーティにメールで「夢は実現するもの。あなたの夢も実現するわ」と送ったそうだ。

グーラゴングの心強い言葉通りに夢を実現したバーティはこの優勝を「奇跡」と呼び、股関節の負傷により本来であれば2ヶ月間の休養が必要だったと明かしている。「全仏オープン」の2回戦で途中棄権をしてから3週間後に控えていた今大会。その間にバーティはチームとともにリハビリに励んだ。だが、それ以上に大きかったのは、実は全治2ヶ月の怪我だという絶望的な事実をチームがバーティに伏せていたことだ。決勝が終わるまでそのことを知らなかったバーティは、「“ウィンブルドン”でプレーできただけでも奇跡としか言いようがない」とコメント。これから始まる「東京オリンピック」や「全米オープン」を含むハードコートのシーズンにも自信を持って取り組めると話している。

(テニスデイリー編集部)

※写真は「ウィンブルドン」でのバーティ

(Photo by Peter Nicholls - Pool/Getty Images)