日本サッカー界の、稀代のパサーとしてプレーをつづける遠藤保仁。昨シーズンの引退まで、感性豊かなパスでスタジアムを沸かせつ…

日本サッカー界の、稀代のパサーとしてプレーをつづける遠藤保仁。昨シーズンの引退まで、感性豊かなパスでスタジアムを沸かせつづけた中村憲剛。はたしてどちらのパスがすごかったのか。日本代表で2人のパスの受け手だった、V・ファーレン長崎の玉田圭司選手に2人の特徴を語ってもらった。

 ヤットさんは、ボールを持っている時は常に複数の選択肢を持っています。そこで自分が良いポジションにいれば、ボールが来る。その信頼感はすごくありました。

 僕はFWとしては小さくてフィジカルもそんなにあるほうではないし、ボールを触りながらリズムを掴むタイプです。そこを理解してくれていて、良い形でもらえそうなら僕にスパッとパスを入れてターンをさせたり、一回僕に当ててヤットさんに戻してといった遊びのパスを入れてくれました。周りの特徴を把握した上で、気持ちよくプレーさせるのがうまい選手でした。

 憲剛には2008年のキリンチャレンジカップのシリア戦でアシストしてもらったことがあって、それはよく覚えています。アーリークロス気味の柔らかいボールを僕が押し込んだシーンで、パスを出すタイミングもパススピードも、すべて僕がほしい完璧なボールでした。あの時は憲剛が蹴る前から良いボールが来る予感はありましたね。ああいうプレーから信頼関係は生まれるものだと思います。

 そうしたイメージの共有ができるのは、すごく大事です。サッカーは当然ですが、一人でやれることには限界があります。良いコンビネーションは周りの味方とイメージを合わせて生まれるもので、2人とはイメージの共有がよくできました。

 イメージを共有するために、お互いに話し合うことはもちろんありますが、なによりそれぞれの特徴やクセを把握しながら、練習や試合ですり合わせていくのが大切です。

 ヤットさんはパスをもらう時、必ず自分の右足の前にコントロールします。いつも同じところにボールを置ける技術はものすごく高かったです。常にプレーできるところにボールがあるので、パスの受け手としては走りやすかったです。

 ヤットさんのパスは本当に優しいパスで、相手がどうしたいかによってパススピードを変えて、相手が受けやすく気持ちのいいパスをいつもくれました。

 憲剛はヤットさんとはまた違って、左右どちらの足でもパスが出せる選手です。だからボールの置きどころによって裏に出したいとか、足元につけたいとか、次にやりたいプレーがわかりやすかったですね。

 パスに関してはスピードにすごくこだわっていた印象です。代表で一緒にプレーした当時の川崎フロンターレが、縦に速いサッカーをしていたのも影響していたかもしれません。

 こうしてお互いの特徴を把握しながらプレーしていき、どんどん感覚が合っていきました。僕が受け手の場合が多かったわけですが、感覚が合ってくると僕のタイミングで自然に動き出すほど良いボールが来ました。

 実はこうした選手はなかなかいません。シビアな局面でも「ここにつけてもらえれば自分はより生きるのに」と思うことがあるんですが、そこで怖がってパスが出せない選手や、そもそも見えていない選手はたくさんいます。

 でも2人はそういったところもちゃんと見えているし、パスを出してくれていました。「ここに出してほしい」という場面で、これ以上ないパスが来るとうれしくなるし、リズムにも乗れるし、どんどんサッカーが楽しくなって、気持ちいいんですよね。

 そうして通じ合えた時は「これこそサッカーだよな」と思う瞬間です。その意味でも、やはり2人は特別な選手だったと思います。

 代表で一緒にプレーした当時は「同じクラブで一緒にサッカーしたいな」とよく思っていましたね。クラブでもっと長い時間一緒にプレーできれば、より理解し合えたのではないかと。

 対戦相手としてプレーする機会は何度もありました。その時の印象は、ヤットさんは本当に嫌らしいプレーヤーで、憲剛はより脅威なプレーヤーでしたね。

 ヤットさんは、彼がいることで周りの選手が生きて、能力が上がるんですよね。チームが"大きくなる"ような印象がありました。とくにガンバ大阪時代は中盤の選手たちが強力で、「中盤だけでこれだけゲームを支配されるものなのか」とよく思っていました。

 憲剛がより脅威と感じたのは、それだけゴールに直結するパスが多かったからです。とくにジュニーニョなどに象徴されるように、前線にスピードのある外国人選手が多かった時代にその印象が強く残っています。スピードを生かすために直線的なスルーパスや、その選手がどう受けたいかを理解した決定的なパスを何本も通していました。

 僕が代表でプレーした時代は彼らに限らず、優れたパスの出し手がたくさんいました。例えばヒデさん(中田英寿)は「ここ通すんだ」と思わされることが多かったですね。全然スペースがないところをパススピードで補って通してきたり、「トラップして前向けよ」と言われているわけではないけど、それでターンができればチャンスになるといったパスもあったり、すごく勉強になりました。

 最近はそうした優れたパスの出し手が、なかなか生まれてきていない印象です。それは、中盤でよりハードワークできる選手が評価されているのも影響していると思います。

 そんななかでも、セレッソ大阪時代に一緒にプレーした山口蛍選手や、若手では川崎フロンターレからデュッセルドルフ(ドイツ)に移籍が決まった田中碧選手は、ハードワークができてゲームメイクもできる。なおかつ相手を潰すこともできるという、今の時代にあった良い選手だと思います。

 彼らのようにハードワークができるのは大事ですが、やっぱりヤットさんや憲剛のようなタイプの選手もピッチにいたほうが僕は面白いと思うし、お客さんも見ていて楽しいはずです。僕自身、一緒にプレーして成長もさせてもらえました。

 日本代表で長く貢献してきた2人ですが、ヤットさんはまだ現役で、憲剛も40歳までトップレベルで現役をつづけました。それだけ長いキャリアを送れるのは、彼らの技術が本物であることの証明だと思います。

 2人のような選手が、日本からまた生まれてほしいですね。

遠藤保仁
えんどう・やすひと/1980年1月28日生まれ。鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島実業高から98年に横浜フリューゲルス入り。99年から京都パープルサンガ、01年からガンバ大阪でプレーし、2度のリーグ優勝などに貢献。20年からはジュビロ磐田でプレーしている。J1通算641試合出場103得点。MVP1回、ベストイレブン12回。日本代表はAマッチ152試合出場15得点。06年ドイツW杯、10年南アフリカW杯、14年ブラジルW杯メンバー。

中村憲剛
なかむら・けんご/1980年10月31日生まれ。東京都小平市出身。都立久留米高-中央大を経て、03年に川崎フロンターレ入り。以降20年シーズンの引退まで、J1通算471試合出場74得点。MVP1回、ベストイレブン8回。チームの3度のJ1優勝に貢献し、黄金期をつくり上げた。日本代表はAマッチ68試合出場6得点。10年南アフリカW杯メンバー。

玉田圭司
たまだ・けいじ/1980年4月11日生まれ。千葉県浦安市出身。市立習志野高から99年に柏レイソルに入団。06年からは名古屋グランパスでプレーし、チームのリーグ初優勝に貢献。その後15年からセレッソ大阪、17年から名古屋、19年からV・ファーレン長崎でプレーしている。J1通算366試合出場99得点。日本代表はAマッチ72試合出場16得点。06年ドイツW杯、10年南アフリカW杯メンバー。