人と違う道。その先が夢の実現につながっているかどうかはまだ分からないが、彼の地での日々が人生を豊かにしてくれているのは間違いない。 父・田口辰二さんは、息子が7歳のときに言った言葉を覚えている。「2007年でした。ファン・マルティン・エル…

 人と違う道。その先が夢の実現につながっているかどうかはまだ分からないが、彼の地での日々が人生を豊かにしてくれているのは間違いない。
 父・田口辰二さんは、息子が7歳のときに言った言葉を覚えている。
「2007年でした。ファン・マルティン・エルナンデスのようになりたい。将来はアルゼンチン代表になりたい。そう言ったんです」
 白×水色のジャージーを着たプーマスがフランスでのワールドカップで3位となり、世界を驚かせた年だ。同大会で10番を背負ったキックが得意な、ゲームコントロールに秀でた男に少年の心は奪われた。
「いやあ、日本人だし、アルゼンチンの代表に入るのは難しいぞ、と。そう言いました。ただ、世界を目指したい気持ちをその頃から持っていたし、それはその後も変わらなかったようです」(辰二さん)

 16歳になった息子の弘煕(ひろき)はいま、フランスでプレーしている。福岡県中学選抜でプレーしていた。海を渡ったのは、仲間たちが高校に入学すると同じタイミングの2016年の春だった。
「将来はプロのラグビー選手としてプレーしたい。世界と戦いたいので、はやく世界を体感したいと思い決めました。フランスのトップ14は、南半球のトップ選手が目指すところじゃないですか。だから、南半球に行くより、その人たちが向かうところに最初から行こうと思って」
 ビザの関係で一時帰国している2月下旬、本人はそう話した。177㎝、73㎏。これから筋肉が付けば、立派な体格になりそうだ。

 いま、フランスのほぼ中央に位置するヴィシー(Vichy)に暮らしている。クレルモン=フェラン大学の語学学校に通いながら、現地のクラブチームに所属。ホームステイ先のファミリーには同い年の少年もいて、楽しい日々を送っている。
「クラブの練習は週に2回のウエートトレーニングと2回のグラウンド練習です。練習も試合も日本とは全然スタイルが違い、新鮮です。まだこの年代(U18)だからかもしれませんが、試合中、選手たちはのびのびプレーします。強制がないんです」
 自分たちの発想を大事にしてくれる。練習は90分と短い。ときにはコンタクト練習だけをする日があったり、決まり切ったことはやらないのもお国柄か。
 9月から翌年6月までが国全体のラグビーシーズンだ。地域では各クラブのU18チームが各プール8チームずつ、5プールに分かれてホーム&アウェーの試合をおこない、各プールの上位2チームが次ステージに進むことができる。今季のヴィシーは3位以下になりそうだから本大会に立つことはできないが、田口はSOやFBとしてチームの戦いに貢献している。

 父は福岡工業高校で楕円球を追った。兄・実煕さんもラグビーをやっていた影響もあり、5歳のとき、父がコーチを務めていた平尾ウイング(ラグビースクール)に入部するのも自然な流れだった。その後、城南スポーツクラブで中学までプレーを続ける。中学3年時は合同チームのCharmantsRFCで試合にエントリーし、そこでの活躍が認められ、福岡県中学選抜の一員として全国ジュニア大会にも出場した。
 福岡県中学選抜の多くの選手は、地元の強豪、東福岡高校に進学する選手が多い。田口にも強豪校から進学の打診があった。しかし、幼い頃から描いていた道を歩み続ける決意が揺らぐことはなかった。
「一日も早くトップでやりたい。将来、世界と戦うために、と」
 地元の高校に進学した仲間たちとはいまも連絡をとっているが、彼らの国内での活躍にも心は乱れない。現在の環境が気に入っているからだ。
 同年代の体格を比べれば、東福岡高校の選手たちの方が「いいカラダだと思います」と言う。
「ローカルクラブだからかもしれませんが、フランスではウエートトレーニングはオフには力をいれますが、試合期になるとやらなくなるんです」
 自分の速度で歩ませてくれる国だ。

 中学時代、英語の成績は2だった。そんな状態で渡航したから最初は大変だった。
「片言の英語でコミュニケーションをとり、なんとか…という感じでした。行ったばかりの頃はキツかった」
 そんな状況を自分で切り拓いた。話せないからといって黙り込んでいては、いつまでたっても変わらない。自分から話しかけ、言葉のキャッチボールをしなければ。そう考え、実践しているうちに性格も変わった。
 昨春日本を発って以後、今回が初めての帰国となった息子と会い、父は驚いた。
「11か月ぶりに会い、表情を見て考えようと思っていたんです。厳しいようだったら、違う道も…と思っていたのですが、人間的な成長を感じました。あちらにいく前は無愛想で、こんなに喋るタイプではなかった」
 本人も言う。
「こちらに戻ってきて何人かに会うと、変わったね、と言われたり、驚かれたり」

 自分を主張しないと埋もれていくだけの国で積極的になった。現在『DELF』はB1。これはA1から始まり、A2、B1~C2まで続くフランス国民教育省が認定した唯一の公式フランス語資格で、1年足らずで日常生活には不便を感じないほどまで上達した。
「これまでほんんど勉強したことがなかった子が、いま自分から取り組んでいますから、変わるものですよね」
 父の頬が緩んだ。
「語学学校には、これからフランス語圏に赴任する商社の方が何人か学びに来たりしています。アジアの人は、自分たちの国の言葉のリズムになりがちなのですが、やはりフランス語特有のリズムで話すことが大事だと思います」
 そう話す16歳は、年齢以上に落ち着いているように見えた。

 将来は日本代表になりたい。ただその前に、渡仏した目的を果たさない限り、夢は叶わないと思っている。
「世界と戦えるようになるためにフランスに来たので、その目標は果たしたいですね」
 U18の間に実績を残すことで、その先の進路は変わる。強豪クラブから声がかかることもあれば、国内3部リーグに相当するヴィシーのトップチームでプレーを続け、チャンスを待つ手も。あるいは他のクラブに移籍してチャンスを掴む選択肢もあるが、いずれにしても、まずは現在のクラブで活躍、語学力も高めて進化しなければ先はない。腰を据えて生活し、ラグビーに取り組む覚悟がある。。
「自分でボールを持って走るより、ゲームをコントロールできる選手になりたい。自分の特性を考えても、そちらの方が向いているし、好き。フランスのラグビーはキックをよく使います。SHから蹴ることも多い。上のチームになればなるほどプレーも激しいので、そういう中で揉まれ、判断力に優れた選手に」
 幅広くプレーできるトゥーロンのジェームズ・オコナーが好きだったから、先日のコカイン事件にはがっかりした。憧れの人は不祥事が多すぎる。
 自分はラグビーに描く夢に一途に生き、人生を楽しみたいと思う。