紆余曲折と大迷走の末に6月13日、ブラジルでコパ・アメリカが開幕した。 1916年から始まったこの大会は、1960年が第1回のユーロよりはるかに歴史があり、大陸王者を争う代表チームの大会として世界最古のもの。毎年開催されたり、4年ごとに開…

 紆余曲折と大迷走の末に6月13日、ブラジルでコパ・アメリカが開幕した。

 1916年から始まったこの大会は、1960年が第1回のユーロよりはるかに歴史があり、大陸王者を争う代表チームの大会として世界最古のもの。毎年開催されたり、4年ごとに開催されたり、ホーム&アウェー方式になったりするなど、100年以上の間にはさまざまな変化があったが、今大会からまた新たな一歩を踏み出すこととなっていた。

 まず、今後はユーロと歩調を揃えて同じ年に開催することになった。そのため、2019年のブラジル大会の翌年に次の大会を開くことになった。さらに、史上初の二カ国共催に。南米大陸を北部と南部に分けて、北ゾーンはブラジル、コロンビア、エクアドル、ペルー、ベネズエラ。南ゾーンはアルゼンチン、ボリビア、チリ、パラグアイ、ウルグアイとした。そしてこれに招待国2カ国を加えて各ゾーン6カ国で構成し、グループリーグは北ゾーンがコロンビア、南ゾーンがアルゼンチンで開催。決勝トーナメントを経て決勝戦はコロンビアのバランキージャで行なわれることになっていた。



コパ・アメリカ開幕戦でベネズエラは3-0で破ったブラジルのネイマールら

 しかし、この青写真はコロナ禍によってボロボロと崩れていく。まずはユーロと同様、2020年の開催が2021年へ延期に。それにともなって招待国(カタール、オーストラリア)は出場を辞退することとなった。これで1993年のエクアドル大会から続いていた招待国制度が途切れることになる。

 WHO(世界保健機関)はこれまで複数回にわたり「中南米のコロナ感染拡大が危険な状況にある」と声明を出している。「コロナは風邪だ」と公言するジャイール・ボルソナロ大統領が感染防止より経済優先を進めるブラジルでは、これまでの死者が50万人に迫ろうとしている。また、死者が6万人台だったペルーは先日、正しい統計では18万人台だったと訂正した。そしてアルゼンチンでは、4月には1日の感染者が約6000人だったが、5月から急増して現在は3万5000人前後となっている。

 また、コロナ禍は各国の経済にも大きなダメージを与えている。そんな中、コロンビア政府は増税を決める。これに怒った民衆が大規模な抗議活動を行ない、警官隊とたびたび衝突。デモ隊側に累計で50人以上の死者を出すに至った。政府が増税を撤回しても民衆の怒りは収まらず、国中に反政府運動が拡大。コロナ禍で自粛生活を強いられたことによるストレスも関連しているのだろう。

 混乱が沈静化しない中、コパ・アメリカが開催できるのかどうかが焦点となったが、5月20日、コロンビア政府はコロナの蔓延を表向きの理由としてCONMEBOL(南米サッカー連盟)に11月への延期を要請。しかしこれは瞬時に却下され、コロンビアでの開催がなくなった。

 この時点で開幕まで1カ月を切っていた。コロンビアの代替地の候補となったのは、アメリカ、チリだ。

 当初の予定では最大50%の有観客を想定していたが、ここに至ってそれは困難になってきた。しかし、アメリカ開催ならそれが可能となる。入場料収入が見込めるのは大きな魅力だし、アメリカでは2016年にコパ・アメリカの100周年記念大会を開催した実績もある。そんな期待が寄せられたアメリカ開催案だったが、アメリカではCONCACAF(北中米カリブ)の王者を決めるゴールドカップが開催され、日程が一部重なることが判明。アメリカ案は断念された。

「史上初の二カ国共催」がうたい文句であったため、チリでの開催も有力視されていた。しかしチリは南ゾーンの国だ。コロンビアでの試合をそっくりチリに持ってくることはできるが、地元チームのいない大会となってしまうとあって、チリの目もなくなった

 こうして、いったんはアルゼンチンでの1カ国開催に決まりかけた。しかし、アルゼンチンは感染急拡大によるロックダウンの真っ最中。当初は北ゾーンの受け入れにも肯定的だったアルベルト・フェルナンデス大統領だったが、国民や政府内で反対論が高まると、30日に開催返上を決定した。もはや開幕まで2週間を切った段階で、大会はまさかの開催地未定となってしまった。

 これでいよいよ開催は不可能かと思われたが、6月1日にはブラジルでの開催が発表される。コロナ軽視派のボルソナロ大統領が、CONMEBOLにとって最後の砦となったのだ。

 しかし、ブラジルでも世論は「今回の開催は見送るべき」に傾いており、最大の都市サンパウロを擁するサンパウロ州の知事は州内での試合を拒否。ブラジル代表ではチッチ監督やキャプテンのカゼミーロから大会のボイコットを示唆する発言が飛び出した。さらに開催差し止めの請求が最高裁判所に提訴された。

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 これらの逆風に対し、ボルソナロ大統領は、「コパ・リベルタドーレスもコパ・スダメリカーナもW杯予選も行なわれているのに、コパ・アメリカだけが危険というのは馬鹿げている」と一蹴。またCONMEBOLは、SNSで、「なぜ開催するのか?」という疑問に答える形で、「2002年大会のブラジル以来、南米の国はW杯で優勝していない。今年、ユーロが開催されるのにコパ・アメリカを行なわないと、ヨーロッパとの差がさらに開いてしまう」と、大会の必要性を訴えた。

 ブラジルサッカー連盟が、代表のボイコットに備えてチッチ監督の後任を調整していることをちらつかせたこともあり、6月8日に行なわれたW杯予選のパラグアイ戦後、ブラジル代表はコパ・アメリカに参加することを共同声明で発表する。ただし、この時期に大会を強行することへの批判を明言した。そして10日には最高裁で差し止め請求が却下されると、開幕が正式に決まった。

 13日の開幕戦はブラジル対ベネズエラ。ベネズエラ代表は試合前日の検査で12人のコロナ陽性が判明。さらに増える可能性もあり、母国から16人が追加召集された。今大会の登録選手は28人だが、特例で追加登録が可能となっている。ベネズエラは6月8日、W杯南米予選でウルグアイと引き分けているが、そのときのスタメンでコパ・アメリカ開幕戦のキックオフに臨んだのは3人だけだった。

 試合は5-4-1の超守備的布陣のベネズエラに、ブラジルが常に主導権を握り、23分にネイマールのCKからマルキーニョスが先制。64分にネイマールのPK、89分にはネイマールのクロスをガブリエル・バルボーサが決めて無難な門出を飾った。だが、大会がこのまま決勝まで無事に進んでいくのか、予断を許さない状況が続く。