「やっぱり1番ですね。1番に立ちたいですね」。 銅メダルを獲得したリオデジャネイロパラリンピックから5年。東京パラリンピックでは、専門の走り幅跳びで金色のメダルを目指す。「今の自分のレベルではまだ遠いなというのは現実的に思っている」と話すも…

「やっぱり1番ですね。1番に立ちたいですね」。
銅メダルを獲得したリオデジャネイロパラリンピックから5年。東京パラリンピックでは、専門の走り幅跳びで金色のメダルを目指す。「今の自分のレベルではまだ遠いなというのは現実的に思っている」と話すも、「自分の可能性的には1番勝てるだろうと信じて止まないのでそこにトライしたい」と闘志を燃やす。
「腕に障害がある同じ境遇の人には負けたくない。自分が障害を持っていることに対しても負けたくない」と大舞台にかける思いも強く、「その姿を見た誰かに『凄い』と思ってもらえることで、自分はこの世界で1番の人間だと思うことができるのでそこを目標にしている」。

芦田は幼少期、右上肢にデスモイド腫瘍を患った。摘出手術や放射線治療の中で、右腕が短く、指、手首、肘には機能障害が残っている。
身体の左右のバランスが悪い中での生活は想像以上に困難だが、「片腕の障害はかなり軽度障害だと自分の中では思っていて、その軽度障害であるが故にやはりハイパフォーマンスを見せたいなと思っている」と芦田。「片腕が不自由でもこれだけ速く走れる、遠くまで跳べるといった姿を見せて、障害という言葉に対する価値観を覆したい」と強調する。
この価値観を壊すのは、自身に与えられたひとつの使命だといい、「可哀想からカッコイイへの価値観の転換はひとつのキーワードにしている」と目を輝かせる。

芦田がここまで考えるようになったのは、新型コロナウイルス感染拡大によるパラリンピックの延期が影響する。コロナ禍で多くの人が不自由な生活を送る中で「自分がスポーツに対してどんな価値を世の中に提供できるのかを考えるようになり、パラリンピックへの思いが変わった」。
これまでは、自己表現で自分が障害を持つ意味を探したり、対外的な意味としての社会問題を考えたりしていたが、「パラリンピックに正解はない」と語る。人の感性をくすぐるようなスポーツなので、五輪ほどシンプルな感動を味わえないけれど、「障害を持った人が全力でプレーをするというところで見ている側、競技する側のそれぞれで様々な感情が湧き上がってくる」と述べる。

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東京パラリンピックの開幕まで3力月を切った。現在は、本番に向けて照準を合わせるも、6月下旬の代表発表を待つ。「ギリギリ入れるかの当落線上にいる感覚」とソワソワしているが、「東京パラリンピックで勝負する夢はリオが終わってからの5年間思い続けている」と語気を強める。「表現したいこと、終わった後に伝えたいことがあるので何としてもその場に立ちたい」。

この夏、世界の記憶に残るビッグジャンプに期待したい。

〜芦田選手のこだわりはスムージー〜

毎日、欠かさずに朝と夜にスムージーを飲みます。朝は、バナナ、フローズンブルーベリー、ナツメヤシなどのスムージーで、夜は大量のホウレンソウ、フローズンマンゴー、バナナ、デーツを豆乳などで割って組み合わせたスムージーです。
巨大なジューサーで妻と協力しながら作るので、家族で朝1リットル、夜1リットル、1日に計2リットルぐらい飲んでいます。バナナ、冷凍ブルーベリーをよく使うので消費量がすごいです(笑)。

〜拝啓ファンの皆さまへ〜

いつも応援していただきありがとうございます。特にコロナ禍の中で、試合に出られなかったり、自分を表現する場がなかったりと、選手として何も社会に役立てていないと感じる場面がすごく多かったです。黙々とトレーニングをする中で、「自分は何をしているのだろう」と感じることも多々ありました。
そうなった時に、応援してくださる皆さんの顔を思い浮かべると、やっぱり自分のやっていることに意味があると思えました。孤独を感じてしまう状況でも、仲間がいると思えることが本当に救いになりますし、自分が活躍することで応援してくれる人たちが少しでも喜んでくれる、もしくは心が動いてポジティブになってくれるのであれば選手冥利に尽きるなと思います。
シンプルですが応援してくださるみなさんには感謝しかないですし、これからも応援していただけたら嬉しいです。もっともっと、自分の活躍で応援してくださる方々の心を動かしたい、社会に価値を提供できる選手になりたいと思います。