かつて三浦知良が、日本にいるときは小柄だったのに、ブラジルに渡って食事が変わったら、みるみる体が大きくなったと語ってい…
かつて三浦知良が、日本にいるときは小柄だったのに、ブラジルに渡って食事が変わったら、みるみる体が大きくなったと語っていた。スポーツ選手にとって肉を食らうことはそれほど大切なことであるようだ。世界を旅するサッカー・ジャーナリストもまたしかり。1978年アルゼンチンW杯から2004年のチェコ旅行まで、サッカー旅は無垢な日本人青年をこれだけ鍛え上げた――。
■僕の肉食事始(ことはじめ)
「サッカーというスポーツは肉食人種の(狩猟民族の)スポーツだから、農耕民族の日本人には向かない」という“俗説”があります。日本のサッカーがどうにもならないくらい弱くて、アジア予選を勝ち抜けずにワールドカップにもオリンピックにもまったく出場できなかった1970年代から1980年代くらいにできた“俗説”です。「日本がなぜ弱いのか」を説明するために当時のライターからひねり出された“俗説”ですが、いまだにその亜流のようなことを言っている人もいるようです。
これははっきり言って嘘です。日本が弱かったのは農耕民族だったからでも、肉食でなかったからでもありません。ただ、ボール扱いが下手だったからです。日本では子供たちがサッカーをしていなかったし、サッカー部に入っても間違った指導法が横行していたからというだけのことです。そうした問題点が次々と改善されてきた結果、今では日本のサッカーはワールドカップで何度もラウンド16に進出するほど強くなりました。
だいいち、ヨーロッパ人は狩猟民族ではありません。日本人と同じように、1万年前から農耕民族でした。違っていたのはこちらでは稲作、あちらでは畑作が中心だったことと、日本では牧畜をあまりしていなかったことくらいのことでしょう。
■おいしいお肉の話
今回の「放浪記」のテーマはそんな“俗説”とはまったく関係ありません。先週の「第57回」でブライ(南アフリカ式BBQ)の話を書いたので、旅の中で食べた美味しい肉たちのことを思い出してしまっただけのことです。
サッカー旅の中で最初に本格的に「肉」と出会ったのは、1978年のアルゼンチン・ワールドカップの時でした。知る人ぞ知る牛肉の国。人口よりも多くの牛がいて、その肉を食べています。あの国が20世紀の前半に栄えた理由の一つは、19世紀の終わりに冷蔵設備の整った船ができたことによって牛肉をヨーロッパに向けて輸出できるようになったことでした。
アルゼンチン・ワールドカップの時、僕は日本サッカー狂会会員のアントニオ太田さんの家に泊めてもらっていました。アントニオの父の太田一二さんが大のサッカー狂でした。一二さんは戦前オランダ領東インドで仕事をしていて、そこでオランダ人女性のマリアさんと結婚。戦後、日本に引き揚げてきた後、パラグアイに渡り、さらにアルゼンチンに移ってサッカーを楽しんでいたのですが、楽しみにしていたワールドカップの直前に亡くなってしまいました。
■お腹の調子がが悪い時こそ肉を食え!
長男のアントニオはブエノスアイレスとラプラタの中間にあるキルメスという街でオートバイの修理屋を営んでいました。長い間アルゼンチン代表のスポンサーを務めていたあのビールメーカーの創業の地です。
で、僕が到着するともちろんレストランに連れて行ってくれたり、裏庭でアサード(アルゼンチン式BBQ)をやったりしてくれましたが、ある時、僕がお腹を壊したことがありました。「腹の調子が良くない」というと、アントニオの奥さんは「じゃ、肉を焼いてあげる」と言うのでした。
アルゼンチンでは、お腹の調子が悪い時には肉を焼いて食べるんだそうです。たしかに、植物よりも消化が良いのかもしれませんが……。
ちなみに、その奥さんはイタリア系で、弟の奥さんはポーランド系。そして、おばあさん(一二さんの奥さん)がオランダ人と太田家は多民族一家でした(そして、どの国もワールドカップに出場していました)。
またアントニオの息子のアンドレスは当時5歳くらいでしたが、やはり肉食系で、5歳児なのに食事の時はソーダで割ったワインを飲んでいました。
もっとも、最近はアルゼンチン人も軟弱になってしまったようで、肉を食べながら(ワインでなく)水を飲んでいる人たちを見かけます。また、アルゼンチンにも菜食主義者もいます。
アルゼンチンを代表するロック系の歌手パトリシア・ソーサも、あの肉食系のパフォーマンスとは裏腹に菜食主義者として有名です。