2020年5月に立ち上がったオンラインサロン『蹴球ゴールデン街』では、「日本のサッカーやスポーツビジネスを盛り上げる」という目的のもと、その活動の一環として雑誌作成プロジェクトがスタートした。雑誌のコンセプトは「サッカー界で働く人たち」。サロンメンバーの多くはライター未経験者だが、自らがインタビュアーとなって、サッカー界、スポーツ界を裏側で支える人々のストーリーを発信している。
今回、多様な側面からスポーツの魅力や価値を発信するメディア『REAL SPORTS』とのコラボレーション企画として、雑誌化に先駆けてインタビュー記事を公開する。

第3弾は、北海道コンサドーレ札幌で約20年ポルトガル語通訳を務める鈴木ウリセスさんに仕事のやりがいなどを語ってもらった。

(インタビュー・構成=黒川広人、写真=©2021 CONSADOLE)

ポルトガル語力「ほぼゼロ」からのJクラブ通訳への道

――北海道コンサドーレ札幌の通訳になったのはいつからですか? また、そのきっかけは?

鈴木:2000年のシーズンからです。当時、札幌に所属していたエメルソン選手の代理人と僕が高校生の時からの知り合いなのですが、彼が当時コンサドーレの監督だった岡田武史監督ともつながりがあり、「通訳に興味はあるか?」と声を掛けてくれたんです。すぐに「やってみたい!」と連絡を取って、チームに合流させてもらい2週間のテスト期間を終えてから正式契約を結びました。 

――ブラジルで生まれたウリセスさんですが、当時は日本に住んでいたのですか?

鈴木:小学校5年生の時から日本で暮らしています。それまではブラジルで暮らしていましたが、ポルトガル語は分からないこともたくさんあったレベルでした。リスニングはなんとなく理解できても、しゃべるのは本当に苦手でしたね。

――ポルトガル語を流ちょうにしゃべれず、経験もなかったのに通訳に採用されたというのは驚きですね(笑)。高校ではサッカーをやっていたそうですが、サッカーの技術レベルは高かったんですか?

鈴木:技術は高かったと思いますが、全然走れなくて。「これじゃだめだ」と自分でも思っていました。高校を卒業する直前に水戸ホーリーホックのセレクションを受けたんですけど、落ちてしまって。プロの高いレベルではやるのは難しいなと思って選手をやめました。 

――高校はレベルの高い学校だったのですか?

鈴木:青森県の光星学院高校(現八戸学院光星高校)のサッカー部に所属していました。(全国高校サッカー)選手権(大会)は、予選の決勝で強豪校の青森山田高校に負けて出られなかったですね。 

――それにしても、ポルトガル語が流ちょうにしゃべれない状態で通訳としての問題は起きなかったんですか?

鈴木:当時は頭が真っ白になることも多々あって、おそらく1年に100回くらいは問題が起きていたと思います(苦笑)。何度も何度も岡田監督に怒られた記憶が残ってますね。 

――最も記憶に残っているエピソードは?

鈴木:通訳を始めて2年目の2001年にブラジル人FWのウィルがJ1リーグの得点王になって、Jリーグアウォーズのスピーチに登壇したんですよ。その時には少し硬い感じで直訳していたんですけど、スピーチが終わった瞬間に岡田監督が周りにたくさん人がいる中で、すぐに僕の方に駆け寄ってきて。

「おまえもっと面白くしろよ! 直訳するんじゃなくて、ウィルの気持ちになるんだ! それに加えて何か面白いことを言って場を盛り上げないとだめだ」と怒られて。それは今でも印象に残っていますね。

一度離れたからこそ見えた、チームのリアル

――20年近くコンサドーレのトップチームに携わり続けている中で、2004シーズンに一度だけアルビレックス新潟に移りました。その時の経緯は?

鈴木:当時の札幌が経営的に厳しくて、助っ人外国籍選手の補強ができなくなってしまったんです。2003シーズンが終わり、強化部長だった城福(敬/現仙台育英高校監督)さんに「ウリ(ウリセス氏の愛称)どうする? 会社に入って別のポジションで働くか、それともオファーがあれば他チームで通訳を続けてやるか?」と聞かれて。

 その2択だったんですけど、ポルトガル語を勉強しながら通訳の仕事に慣れてきたところだったので、もっと通訳としていろいろ経験したいなという気持ちが大きかったです。その時にちょうど新潟が通訳を探しているということでオファーをいただいて。2004シーズンは新潟にお世話になることになりました。 

――その翌年にまた札幌に戻ったんですね。

鈴木:戻る話は当初全くなかったのですが、2004シーズンで新潟との契約を終えて、実家に戻ってバイトなどをしながら「次に通訳としてどこで仕事をしようか」と考えていた時に、当時強化担当だったゼネラルマネージャーの三上(大勝)さんから電話をいただいて。2005年のシーズン途中に水戸で活躍していたデルリス選手を札幌が獲得することになったので、札幌から再度「通訳として働くか?」というお話をいただきました。

――再び札幌から声が掛かった時はどんな心境でした?

鈴木:それはめちゃくちゃ、うれしいですよ! 思い入れもありましたし、通訳としてのキャリアをスタートさせてくれたクラブでもあり、本当にいいイメージしかなかったので。一緒に仕事をしていたスタッフや選手にもまた会えるというのは、本当にうれしかったです。

――ウリセスさんは札幌のトップチームに携わるスタッフの中でも古株ですよね。長年近くで見てきた中で、近年のチームの変化をどう見ていますか?

鈴木:ここ数年の変化といったらすごく大きいですよ。数年前、札幌がJ2でなかなか結果が出ない時期に「札幌って今後どうなるんだろうなぁ」と古株のスタッフと話をしたことがあって。「今後J1に上がって、ビッグクラブといい勝負をしてタイトル争いをするという希望を持っていいのだろうか」と。

 その時は2人ともネガティブに捉えていましたが、今は当時では考えられなかったような立ち位置にチームがなっていますよね。

――苦労してきた中で、一番厳しさを感じたのはいつ頃?

鈴木:僕が新潟にいた2004年頃ですね。札幌のことは当時も気にして見ていたので、やっぱりJ2で最下位になった時には「もしかしたら札幌が今までがんばってきたことがむだになるかもしれない。経営的にも相当苦しかったと思いますし、ここからクラブとしても強くなっていくという道筋が見えづらい……」と心配していましたね。 

「助っ人としての働き」をしてもらうために重要なサポートとは

――通訳の仕事としては、ピッチ内ではもちろん、ピッチ外ではどこまでサポートをしているんですか?

鈴木:ピッチ内の仕事がメインだと思われがちなんですけど、実はピッチ外での仕事のほうが多いですね。例えば、日本に来るためのビザの手続きとか、日本での日常生活のサポート。運転手として、ケガをした時などに医療施設の対応など。細かくいえばスーパーに付き添ったり、街に買い物しに行ったりとか。日本で車を運転しない選手が多いので、彼らの足となってサポートすることもあります。

 でも、最近は少し関わり方を変えていますね。最初は全部サポートをしていましたけど、それだと本人がラクをして日本語を覚えなかったり、身の回りのことも面倒くさがったりして結果的に本人の成長にも繋がらないことに気付いて。だから必要なことは最初にしっかりと見て、教えてあげて、自分でできることは一人でやってもらうようにしています。僕もラクできるし(笑)、それが間違いなく彼らの経験や勉強にもつながると思いました。 

――外国籍選手と接する上で大切にしていることは?

鈴木:一番大切にしているのは、「助っ人としての働き」をしてもらいたい。そのために、日本の文化や日本のサッカー文化、日本人の特徴、言葉などは特に意識して伝えています。

 例えば、このインタビューの直前にもドド(ドウグラス・オリヴェイラ)とエレベーターで会った時に、「1階」「2階」「3階」というのを教えました。数字は分かるので「階」の部分を教えてあげて。それが分かるようになると、彼も繰り返し発言することで覚えるようになる。

 そういったことは練習中にも教えてあげたりはしますね。「裏」「前」「後ろ」「プレッシャー」とか。そういうサッカー用語もすぐに理解できるように練習の時に教えるし、その時に理解できなかったら練習の後に教えてあげたりもしています。すぐに覚える選手もいれば全く覚えられない選手もいるし、僕の話を全く聞いていない人もいますけどね。 

――開幕前の『デジっち』(DAZN やべっちスタジアム)でも外国籍選手たちがチームに溶け込んでいる様子が画面から伝わってきました。それもウリセスさんの日頃のサポートのおかげなんですね。

鈴木:はい! その通りです(笑)。僕もその映像を見ましたけど、ああいう映像を日本のファンたちが見ているとやっぱりうれしいじゃないですか。たとえ言葉が間違っていても。

 ガンバ大阪のパトリック選手が通訳なしで日本語でインタビューに答えているのを見たことがあるんですよ。間違っているところもあるんだけど、その様子を見て「かわいい! 一生懸命話しているね」ってサポーターもなるだろうし。チャナ(チャナティップ)なんかもそうですけどね。

結果を出せる選手は「人の話をしっかり聞ける選手」

――これまで札幌で、一番日本に適応していた外国籍選手は誰だと思いますか?

鈴木:エメルソン、ウィル、フッキ(2006年在籍)。オンザピッチでいえば、この3人を超えるのは難しいですよね。オフザピッチでは、エメルソンなんかは少しわがままな部分もあって、当時1年目だった僕にとっては少し大変でした。自分のことだけでも精一杯なのに、「ちゃんと訳せ!」とか「今日練習行かない!」とか……(苦笑)。でも総合的には本当にみんないい人でした。ブラジル人は優しい人が多いんです。

 でも、今札幌に所属しているルーカス(・フェルナンデス)と(アンデルソン・)ロペス、ドウグラスの3人に関しては、エメ・ウィル・フッキにも近づけるだけの能力はあると思います。プロとしてしっかりしているし、チームメートとの関係もいいし、オフザピッチでは上をいっていますよね。

 積極的に日本語でしゃべろうとしたり、学ぼうとしたりとか、3人で固まって行動したりすることなく、チームのみんなとフレンドリーな雰囲気でやっているところを見ると、昔より今のほうが真面目な選手が多いと感じますね。一生懸命やりながら、ふざけるところはふざけるし。

――彼らの今後のさらなる活躍も楽しみですね。

鈴木:みんなが日々成長しようとする姿を近くで見ているので、本当に楽しみです。昨年や一昨年は試合に出られない時期もありましたけど、それもいい経験として本当にいい状態で今シーズンに臨めていると思うから。いい成績を残してくれると信じています。僕が付いていることもあるので、やってくれるでしょう(笑)。 

――今まで多くのブラジル人選手と関わってきた中で、ウリセスさんが一番信頼関係を築けたと思うの選手は誰ですか?

鈴木:一番はブルーノ(・クアドロス/2007年在籍)かな。今はコーチとして札幌に戻ってきたんですけど。あとは、クライトン(2008-09年在籍)とか、フッキやエメルソンも今でも連絡を取っていますけど、ブルーノが一番家族ぐるみで現役の頃から付き合いがあって、フィーリングが合うというか。本当にお兄ちゃんみたいな存在です。今ではおじさんみたいな存在でもありますけどね。

――ブラジル人選手の中で、活躍できる選手とそうでない選手の違いってあるんでしょうか?

鈴木:ロペスやルーカスを見ていて、監督やコーチングスタッフの話をしっかり聞ける選手とか、プロとしての立ち居振る舞いなどを一生懸命やるか否かの違いは大きいのかなと思います。それから、日本で成功しようという気持ち。先ほども話したように日本の文化に積極的に触れるとか、日本のサッカー文化を理解すること。そして、チームメートを信頼して、いい関係を築くこと。だけど、やっぱり結局は能力(笑)。 

記憶に鮮明に残る、自分の誕生日に見た最高に幸せな景色

――札幌で過ごしてきた中で一番思い出に残っていることは?

鈴木:鮮明に覚えているのが、通訳になって1年目の2000年。僕の誕生日翌日に湘南ベルマーレに勝って、J1に昇格した日のことです。それまでいろいろと苦労や迷惑をかけた面もあったから、昇格が決まった瞬間、一気に苦労が吹っ飛んで、迷惑がチャラになったかな(笑)。あの時はめちゃくちゃうれしかったですね。

――今後、果たしたい夢や野望はありますか?

鈴木:チームが今後世界に名が知られたり世界で戦えるクラブになっていく上で、自分がその中の一員として何か今以上に貢献できるポジションにいられたらと思っています。

――今後も札幌から離れるつもりはないということですね。

鈴木:はい。離れるとしたら、クビになった時だと思います(笑)。

――札幌ではウリセスさんのファンも多いので、きっと喜ぶと思います。

鈴木:苦い思いを共にしてきているサポーターがたくさんいると思うので、これからもチームを応援し続けてほしいし、野々村社長がいつも言うように「大きな山を登って、いい景色を見る」ということをみんなで願いながら、僕自身もチームを応援したい。そしてもっと上の舞台で戦えるようなチームになっていけたらいいなと思っています。

 長年、札幌を愛する人たちが願ってきた思いを今、実現できる空気がチーム内にもあると感じています。ACL(AFCチャンピオンズリーグ)やリーグ優勝争い、そしてJ1でタイトルを取るという高い目標を、みんなで一緒に成し遂げたいです。今の札幌なら、それを達成できる自信はありますよ。

<了>

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PROFILE
鈴木ウリセス(すずき・うりせす)
1981年生まれ、ブラジル出身。10歳の時に父親の仕事で日本に移住し、2000年よりコンサドーレ札幌(現・北海道コンサドーレ札幌)の通訳に就任。2004年にはアルビレックス新潟に籍を移すも、その後2005年から現在に至るまで、北海道コンサドーレ札幌のポルトガル語通訳を歴任。