中村憲剛×佐藤寿人第1回「日本サッカー向上委員会」@中編 1980年生まれの中村憲剛と、1982年生まれの佐藤寿人。2020年シーズンかぎりでユニフォームを脱いだふたりのレジェンドは、現役時代から仲がいい。気の置けない関係だから、彼らが交わ…

中村憲剛×佐藤寿人
第1回「日本サッカー向上委員会」@中編

 1980年生まれの中村憲剛と、1982年生まれの佐藤寿人。2020年シーズンかぎりでユニフォームを脱いだふたりのレジェンドは、現役時代から仲がいい。気の置けない関係だから、彼らが交わすトークは本音ばかりだ。ならば、ふたりに日本サッカーについて語り合ってもらえれば、もっといい未来が見えてくるのではないか。というわけで「日本サッカー向上委員会」開講です。

「第1回@前編」はこちら>>

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互いの現役時代を振り返った中村憲剛氏と佐藤寿人氏

---- おふたりは現役時代から親交が深かったそうですが、仲良くなったきっかけはなんだったんですか?

佐藤 2006年の(イビチャ・)オシムさんの代表で、一緒になってからですね。

中村 その前はにっくき、佐藤寿人だったから(笑)。

佐藤 仙台時代は「フロンターレキラー」と言われてましたね(笑)。

中村 忘れもしない2004年ですよ、ユアスタで。2−0で勝っていたのに、ロスタイムにヒサに2点を叩き込まれて引き分けるという。この野郎と(笑)。でも、その前から知ってましたけどね。俺は雑誌をよく読む人だから。一個下の世代で、ユース代表に選ばれていたヒサのことは。

 一個上には黄金世代で、一個下にはアベちゃん(阿部勇樹/現・浦和レッズ)とかヒサがいる。俺はそこに挟まれて、どっちの世代にも属せないという。オリンピックで言えば、シドニー世代の一番下だから。

佐藤 あの年代で4歳差って、結構きついですよね。

中村 末端はきつい(笑)。俺の学年で最初に代表に入ったのが市川大祐(清水エスパルスなどでプレーした元日本代表DF。2016年に引退)くん。高校3年で、日本代表ですよ。俺はただの高校3年生だったから。雑誌を見ながら、すげーって。ひとつ上の小野伸二(現・北海道コンサドーレ札幌)すげー。ワールドユース準優勝すげー。ヒサたちの代もワールドユースに出てるから、下もすげーって。なんだこいつらと思いながら、学生時代を過ごしていたわけですよ。

佐藤 でも、今は中村様ですから。中村様と対談できるなんて、光栄です(笑)。

中村 やめろ(苦笑)。

佐藤 ウイイレ(「ウイニングイレブン」)がふたりとも好きで、代表の合宿中によくやりましたよね。

中村 そう、ウイイレをよくやったね。

佐藤 僕と憲剛くんと、その時はお兄ちゃんの勇人もいて、(川島)永嗣(現・ストラスブール)も含めた4人でやってましたね。あと、バス移動中はとなりの席で、ヘッドフォンを片方ずつ耳に入れて、一緒にポッドキャストを聞いたり。

中村 練習場までの長い道のりで、毎回、片方貸してって。はたから見たら、だいぶ怪しい感じだったと思うけど(笑)。

---- プレーヤーとしての印象はどうでしたか?

中村 まあ、腹立つ選手でした(笑)。もちろん、最大級の誉め言葉です。やばいなと思うと、だいたい決められる。嗅ぎ取る力と、入ってくるスピードがすごいし、もちろん技術もある。

 世の子どもたちは、みんなマネしてほしいです。ここだから言うわけじゃないですけど、俺はいつもお手本にしてほしいFWとして、ヒサと(大久保)嘉人(現・セレッソ大阪)の名前を上げているから。

佐藤 マジですか。それはありがたい。

中村 身体も大きくないし、スピードもそれほどあるわけじゃない。なのに、あれだけ点を取れたのは、動き出しですから。一瞬のスキを突く動き、相手の視野から隠れる動き、タイミングも含めてね。

 あとは、コミュニケーション能力が高い。自分はこう動くからこう出してほしいと、試合中だけじゃなく練習からずっと言い続けていたと思う。すべてはゴールのためにという男で、日本サッカーの歴史に名を残しているFWですから。大きくないのに。

佐藤 それは言わなくていいですよ(笑)。

中村 ほんと、よく日本のトップレベルで得点を取り続けたなと。すごいんですよ。まあ、そこはいい意味で、性格の悪さが出ているんですよね。出し抜いて決めるわけだから。常に相手が嫌がることを考える。それができるのは、性格が悪い証拠(笑)。だから、俺と合うんですよ。

佐藤 憲剛くんも、嫌なところばかり狙いますからね。間違いなく性格が悪い(笑)。

---- あまり関わりたくないコンビですね(笑)。

中村 代表でも一緒にやった機会はそんなに多くはなかったけど、一緒に試合に出た時は楽しかったなあ。

佐藤 憲剛くんは最初から出て、僕は途中からが多かったですからね。親善試合だと交代が多いから、僕が出る前に憲剛くんが代わってしまうことが多くて。だから僕がピッチに立った時に、パスを出してくれる人がいない(笑)。みんなアピールしたいから。「頼むから、憲剛くんを残してくれ」と、いつも祈ってました。

---- 代表で印象に残っているシーンはありますか?

佐藤 埼スタでのバーレーン戦ですね。斜めに走って、憲剛くんからのパス1本に抜け出して、PKを取ったシーン。嫌なところを突くという、お互いの狙いが合致したプレーだったと思います。

中村 まさに、お互いの性格の悪さが出たプレーですね(苦笑)。

佐藤 広島に青山敏弘という僕のベストパートナーがいましたけど、彼がまだ出始めの頃に、憲剛くんに「広島に面白い選手が出てきたんで、見てください」と言ったことがあって。逆に青山には「憲剛くんのプレーをとにかく見ろ」と。

 今でこそすごいパスを出しますけど、当時はまだボランチとして局面を変えるようなパスを出せる選手じゃなかったので、憲剛くんのようにピッチを俯瞰するイメージを持ってほしいなと思って。そうやって言っていたら、本人も意識するようになって、少しずつそういうパスが出せるようになっていった。だから、憲剛くんはほかのチームの選手にも影響を与えているんですよね。

---- 憲剛チルドレンが育っていますね。

中村 いや、チームが違うからチルドレンはおかしいでしょ(笑)。

佐藤 まあ、対戦相手としては嫌でしたよ(笑)。監督が代わっても、選手が入れ替わっても、攻撃的なサッカーをするチームの中心としてずっとやっていましたし、僕らはやられることのほうが多かったですからね。僕自身はフロンターレから点を取る機会が多かったけど、常に攻められていた印象のほうが強いですから。

中村 そういえば、ヒサにマンマークされたことあったよね。

佐藤 ありました。FWの僕がボランチの憲剛くんをマークするという。あの時は運よく先制できて、そのまま逃げ切ろうと。憲剛くんに仕事をさせないという作戦で、ずっとマークしてましたね。結局、僕はシュートを1本も打てなかったけど、1−0で勝ちました。

中村 つまらないサッカーしてますね(笑)。ずっとついてくるから、蹴っ飛ばしてやろうかと。

佐藤 あの時はうれしかったですね。キープレーヤーを消したわけだから(笑)。

中村 そこに、性格の悪さがね。

佐藤 勝つためですよ(笑)。その年はあの試合で勝てたこともあって、優勝しましたから。

---- 中村さんは18年、佐藤さんは21年と、長くJリーグでプレーしてきましたが、小さい頃からJリーグに憧れを持っていましたか?

佐藤 僕は、ヴェルディは好きでしたね。

中村 俺もヴェルディ、よく見てたよ。Jリーグができたのは、俺が中1の時。ヒサが小6の時でしょ? あの頃は、みんなカズ(三浦知良/現・横浜FC)、ラモス(瑠偉)でしたから。等々力にも見に行きましたし、卒業文集にJリーガーになりたいと書いてましたね。

佐藤 僕もJリーガーになって、1億円稼ぐみたいなことを書いてました(笑)。

中村 サッカーをやっている子どもたちに、初めてプロという目標が生まれた時だったからね。

---- プロになることを意識したのは?

中村 ヒサはジェフのジュニアユースに入ってたから、早くからプロを意識したと思うけど、俺の場合はJリーグからどんどん離れていくような感じだったからね。Jリーガーになりたいなんて、口が裂けても言えないような状況だったので。大学に入ってからかな、近づけていると感じられたのは。

佐藤 技術は中学、高校の時から抜けていたんですか?

中村 技術はあったと思うけど、逆に言えば、そこでしか勝負できなかった。本当に身体が小さかったので、ぶつかられれると奪われるし、今のようにポジショニングや立ち位置も、そこまでまだない時代だったのでね。

 そんなこと教えてくれる人もいないし、教材もない。SNSなんてもってのほか。高校になってやっと携帯電話が普及した時代ですから。ポケベルじゃあ、調べられない(笑)。情報がなかったんですよね。

 でも、逆に言えば、情報がなかったからこそ自分で考えてました。今の子はそれがちょっと欠けているのかな。情報が溢れちゃってるから、基本受け身だし、知った気になる。まあ、そこはまた別の話ですけど。

---- まだファンだった頃のJリーグで、印象に残っているシーンはなんですか?

中村 俺は開幕戦(1993年5月15日/ヴェルディ川崎vs横浜マリノス)。キラキラ具合がすごかった。(ハンス・)オフトさん時代の日本代表でも、Jリーグの開幕前は国立が満員にはなっていなかったはず。その国立が5月15日に急にびっしり埋まって、カクテル光線に照らされて。テレビで見てましたけど、あれは引き込まれましたね。

佐藤 僕は1995年のオールスター。チケットが当たったんで、国立競技場まで見に行ったんですよ。その試合でたしか城(彰二)さんが活躍して。

 当時、城さんはジェフに所属していて、自分はジュニアユースにいたので、トップチームの選手が活躍したのを見て刺激を受けましたし、スター選手がたくさんいたからすごく華やかで、ワクワク感が止まらなかった。やっぱり、Jリーグはすごいなと感じたのを覚えてます。

中村 オールスター、またやればいいのにね。

佐藤 やってほしいですよね。

---- えっ、選手の立場としたらスケジュール的にもきつくなるし、遠慮したいのかなと。

中村 全然、そんなことないですよ。

佐藤 めちゃめちゃよかったですよね。

中村 投票数とか毎日チェックしてましたもん(笑)。

佐藤 めっちゃ、気になりますよね。

中村 俺、2007年は途中まで首位だったから。結局、最後はカズさんに抜かれたけど(笑)。選手にとっては光栄だし、少年時代のヒサのように、子どもたちにとっては憧れの舞台となるわけだから、やれるのであれば、またやったらいいと思いますよ。

佐藤 やっぱり、かっこよかったですよ。Jリーガーでもかっこいいのに、そのなかでもトップクラスの選手が集まるわけですから。外国籍選手もいるので、代表ともまた違いますし。

中村 そうだよ。たとえば、フロンターレの選手が(アンドレス・)イニエスタ(現・ヴィッセル神戸)とやれるわけですよ。それは絶対に面白い。そういう機会でもなければ一緒にやれないしね。

---- Jリーグへのいい提言ですね。

中村 選手もモチベーションが上がるしね。そこがステータスになってがんばる人もいるだろうし。やっぱり、選ばれるのは名誉ですよ。俺もカズさんとプレーした時は、めっちゃテンション上がりましたよ。

佐藤 僕もゴンさん(中山雅史/ジュビロ磐田などでプレーした元日本代表FW)とできたのはうれしかったですね。当時、財布の中にゴンさんのカードを入れてたくらいで。それでオールスターで会った時に、サイン書いてくださいって(笑)。プロであっても憧れの選手と一緒できるのは、やっぱり特別な瞬間でしたね。

(つづく)

【profile】
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都小平市出身。久留米高校から中央大学に進学し、2003年にテスト生として参加していた川崎フロンターレに入団。2020年に現役を引退するまで移籍することなく18年間チームひと筋でプレーし、川崎に3度のJ1優勝(2017年、2018年、2020年)をもたらすなど黄金時代を築く。2016年にはJリーグ最優秀選手賞を受賞。日本代表・通算68試合6得点。ポジション=MF。身長175cm、体重66kg。

佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、セレッソ大阪→ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。日本代表・通算31試合4得点。ポジション=FW。身長170cm、体重65kg。