中村憲剛×佐藤寿人第1回「日本サッカー向上委員会」@後編 1980年生まれの中村憲剛と、1982年生まれの佐藤寿人。2020年シーズンかぎりでユニフォームを脱いだふたりのレジェンドは、現役時代から仲がいい。気の置けない関係だから、彼らが交わ…

中村憲剛×佐藤寿人
第1回「日本サッカー向上委員会」@後編

 1980年生まれの中村憲剛と、1982年生まれの佐藤寿人。2020年シーズンかぎりでユニフォームを脱いだふたりのレジェンドは、現役時代から仲がいい。気の置けない関係だから、彼らが交わすトークは本音ばかりだ。ならば、ふたりに日本サッカーについて語り合ってもらえれば、もっといい未来が見えてくるのではないか。というわけで「日本サッカー向上委員会」開講です。

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中村憲剛氏と佐藤寿人氏の熱いトークは尽きない

---- 憧れていたJリーガーになった当初、思い描いたイメージとのギャップってありましたか?

中村 入った時、フロンターレはJ2だったので、1993年のキラキラ感はあまりなくて。まあ、当たり前ですけど。

佐藤 2003年でしたっけ?

中村 そう。開幕戦は広島だった。ビッグアーチにたしか2万人くらい入って。J2でもこんなに入るんだなって思ったんだけど、ホームに帰って、等々力での最初の試合は4000人くらい。雨だったのもあったんだけど、あれ、こんなものなのかって感じで......。

佐藤 僕はいろんなクラブに行く機会があったので、Jリーグで21年間やってみて思ったのは、あらためていろんな場所にクラブがあるのはすばらしいな、ということ。もしJリーグがなければ、行くことがなかった場所もたくさんありますから。

 そういった場所で地元の人と触れ合うこともそうですし、地場の産業との関わりもそう。移籍を何度も経験して、いろんな土地で生活をするなかで、いろんな経験をできた。これはかけがえのないものだと思っています。

---- Jリーグが開幕した時は10クラブでしたが、今は北海道から沖縄まで、全国各地に57クラブもあります。

佐藤 そうなんですよね。たくさんのクラブが、たくさんの街にある。Jリーグは地域密着を理念に掲げていますけど、実際にその街に欠かせない存在となっているクラブが増えてきた。ただ、Jリーグができて30年くらい経って、僕と憲剛くんは20年くらい現役でやってきましたけど、この先にどう歴史を作っていくのかが、すごく大事になってくると思いますね。

中村 その街にJリーグがあって、そのチームを応援して、週末の結果に一喜一憂して、また新しい1週間が始まる。そんな日常が全国をカバーしているのはすごいことだし、30年近い歴史を築いて、ひとつの形にはなってきている。

 ただ、そこからどうやって、より深く、より広く持っていくかというのはこれからの課題なんだろうなと。村井(満/Jリーグチェアマン)さんの話なんかを聞いていると、感じるところだよね。

---- 今はコロナ禍でもありますし。

中村 そう、コロナ禍だからそれどころじゃないところもあるかもしれないけど、逆にコロナ禍だからこそ、やれることはあるんじゃないかなと、去年思って。実際にあれを機に、SNSを使って、多くの選手が発信し始めましたよね。それは、サポーターからすればうれしいこと。

 でも、まだ足りない。俺も今まではチームの中にいたから、情報はこれくらいでいいだろうと思っていたけど、外に出ると思った以上に全然、足りないなと。

佐藤 フロンターレは発信力もJリーグの中でトップクラスじゃないですか。それでも足りないって感じるのなら、ほかのクラブは全然足りてない。そこはJリーグの課題ですよね。

中村 俺が欲しがりなだけかも(笑)。でも、それは外に出て1年目の人間だから感じること。サポーターの人はそれが当たり前だから、満足できるかもしれない。でも、俺は中から外に出たばかりなので、実際に足りないと感じるから、もっとやったほうがいいと思う。

 練習の映像とかでも、もっと長い時間にしたり、オフショットとかも、もっとたくさん見たいファンも多いでしょう。そういうものをもっと提供しないといけない、と感じるんだよね。

佐藤 憲剛くんが入った2003年と今とでは、Jリーグ全体の中でのフロンターレの立ち位置って全然違うじゃないですか。

中村 全然違うね。

佐藤 そうなると、クラブの発展を考えた時、今がいいからって10年後にどうなっているかわからないし、逆に言えば、今はそうじゃなくても、10年後に劇的に成長できる可能性もある。

 そこはどのクラブにもチャンスがあって、その成功例がフロンターレだと思うんですよ。地道にやって来たことがピッチレベルでもそうですし、ピッチ外でも今、結果が出ている。そこはやり続けていかないといけないんですよ。

中村 誰の目線でやるかだよね。来てくれるのは地元の街の人だから、彼らの目線で物事を動かさないといけない。フロンターレは、自分たちから近づいて行って、川崎の人たちを巻き込んでやってきた。

 最初の頃なんて「フロンターレです」って言ったって、誰も反応してくれなかったからね。それでも、自分たちから近づく作業を続けたことが、今の形につながっていると思う。

佐藤 今の形が成り立っているなかで、新しく入ってきた選手はそれが普通のことになっていると思うんですけど、昔の大変だった頃の話を伝えていくことは大事ですよね。

中村 フロンターレは新人研修があって、このクラブが何をやってきたかを伝える機会があるのよ。だから、新しい選手でもどういう変化を経て、今があるかってことを理解していると思うよ。

佐藤 それを理解しているのとしていないとでは、地域の人と向き合う姿勢も変わってくるかもしれない。

中村 今はコロナ禍だから人と触れ合うのは難しいけど、逆に今だからこそ、クラブの気概が問われると思う。スポンサーも減って、観客動員数も減っている。収入が落ちてきているからこそ、新しい価値を生み出さないといけない。別にほかのクラブがやっていることをマネしてもいいんですよ。Jリーグ全体をアピールしていかないといけないわけだから。

---- ある選手は引退後に、サッカー選手の認知度の低さを痛感したと言っていました。

中村 そうなんですよ。自分たちが思った以上に、Jリーグの一般的な認知度はそこまで高くない。少しずつJリーグ自体はオープンなものになってきていますが、よりオープンなものにしていかないといけないと思います。現役の頃から思ってましたけど、引退してからより強く思います。

 発信力、影響力を含めてパワーがあるんですよ、サッカーには。企業と連携して地域を活性化することもできるし、社会貢献も含めた動きも出てきている。そのポテンシャルを、より多く、より広く引き出せるといいですね。

佐藤 面白いなと思えることを、どれだけできるかですよね。フロンターレはそれがうまかったなと、外から見て感じてました。そういう発想がほかのクラブにも必要。過去にこういうことをやったからこうしよう、じゃなくて、常に新しいことをオープンに考えて、いろんな物事を決断できるクラブが増えてほしいなと思います。フロンターレって、もはやサッカーと関係ないこともやってましたよね。

中村 そうなんだよ(笑)。

佐藤 そうやって、いろんなところに種をまいているから、それが最終的にスタジアムに人が集まることにつながったり、クラブに目を向けてみようとなる。サッカーは野球に比べれば、試合数が圧倒的に少ないじゃないですか。そのなかで発信していくには、試合以外の場面でいろいろやっていくしかないんですよ。

---- おふたりともクラブ経営側に回るというのはどうでしょう?

中村 言うことはできるんですけどね(苦笑)。大事なのは、やっぱり「人」なんですよ。そこがしっかりとしてれば、物事が動いていく。熱意を持って働きかければ、周りは看過されて大きなうねりとなっていくというのは、フロンターレの18年間で思いましたね。サッカーファンだけじゃなくて、サッカーを知らない、興味がそこまでない層にアプローチをかけて、等々力に集めようと。

 やっぱりサッカーだけだと限界はあるので、新規のところを広げないといけない。日本は安全に観戦できますし、小さい子から年輩の方まで安心して見に行けるわけだから、アプローチのかけ方はいっぱいあると思うんです。とはいえ、フロンターレで言えば、スタジアムがね。もう満杯ですから。

佐藤 スタジアムの見た目って大事ですよね。今はコロナ禍で制限がありますけど、等々力はいつもいっぱい人が入っているというイメージが広がれば、いろんな企業がサポートしようということになる。言葉はあれですけど、J2時代のフロンターレと対戦した時、正直、等々力が満員になるなんて思ってなかったですから。

 でも、満員にするために選手はがんばっただろうし、社員の人たちの取り組みももちろんあって、目に見えないことが積み上がって、今に至っているわけで。となると、どのクラブにも可能性があるわけですよ。

 フロンターレがやって来たことに、ヒントは間違いなくある。でも、フロンターレがやっているから、うちはできないよねっていうクラブが圧倒的に多い。そんなプライドはもう捨てて、うちもやってみようというクラブが増えてほしいですね。

中村 一番大事なのは「誰」を喜ばせるか、だよね。

佐藤 そうなんですよ。ファン・サポーターが喜んでくれれば、マネしたって全然いいでしょ、と思える人がどれだけいるか。

中村 そうそう。選手を引っ張り出して、いろんなことやればいいんですよ。時間ありますから、現役は。引退したら、現役時代は時間に余裕があったなと思う(笑)。

佐藤 たぶん、会社もちゃんと選手と向き合ってるんですよね。だから、嫌々やっている選手はいないんじゃないですか。ピッチ外のこともやるということも含めて、クラブに入っていると思うんで。

中村 もちろん得意、不得意はあるんですよ。選手によっては「いいです、大丈夫です」って選手もいますけど、いざやるとなれば、しっかりとやりますし、普段やらなそうな選手がやるとみんなが喜ぶんですよ(笑)。選手の立場からすれば、そういう反応がうれしくないわけない。だから、乗せれば、どの選手もやるはずですよ。その機会を作ってあげればいい。

 もちろん、プロサッカー選手としてサッカーをやっているかっこいい姿を見せることは大前提ですし、サッカー選手の本質としてプレーを極めるのは当然。でもこれからの時代は、そこにプラスアルファをやっていかないと、おそらく取り残されていくと思います。プロ野球やBリーグもいろいろやってますし、ほかにも娯楽はいろいろあるわけだから。

佐藤 エンタテインメントですからね。面白いと思ってもらえるものを、どれだけ作れるか。試合で魅せるというのはもちろんですけど、勝ち負けがありますから。たとえ負けても、そのチームに対して興味があるとか、応援したいという流れを作らないと、なかなか発展できないですよ。常に勝ち続けることなんて、不可能ですからね。

中村 さすが、いい意見。それぞれの立場でJリーグがよりよい方向に向かように考えていきましょう。

(第2回につづく)

【profile】
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都小平市出身。久留米高校から中央大学に進学し、2003年にテスト生として参加していた川崎フロンターレに入団。2020年に現役を引退するまで移籍することなく18年間チームひと筋でプレーし、川崎に3度のJ1優勝(2017年、2018年、2020年)をもたらすなど黄金時代を築く。2016年にはJリーグ最優秀選手賞を受賞。日本代表・通算68試合6得点。ポジション=MF。身長175cm、体重66kg。

佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、セレッソ大阪→ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。日本代表・通算31試合4得点。ポジション=FW。身長170cm、体重65kg。