ジュニア選手へ、27歳の日本代表PGが贈る言葉「自分の気持ちに素直になって動く」 バスケットボール・Bリーグ千葉ジェッツ…
ジュニア選手へ、27歳の日本代表PGが贈る言葉「自分の気持ちに素直になって動く」
バスケットボール・Bリーグ千葉ジェッツの富樫勇樹が「THE ANSWER」の単独インタビューに応じ、背の低いジュニア選手へのメッセージを贈った。身長167センチながら抜群のスピードや技術で日本代表のポイントガード(PG)を務めるまでになった27歳。2019年には日本バスケ界初の1億円プレーヤーとなった。長身が絶対的に優位な競技でいかにして活躍の場を切り拓いてきたのか。競技生活20年間の経験を聞いた。(文=THE ANSWER編集部・浜田 洋平)
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高校でアメリカに行った時、身長が低くてどんなことに苦労しましたか。
富樫は中学卒業後、新潟からアメリカの名門モントローズ・クリスチャン高へと留学した。身長は今とほとんど変わらない。周りは2メートル級の選手がゴロゴロいる。そんな危険すら感じる環境でも、最初の問いに対する返答は歯切れが悪かった。「苦労ですか。まあ、なんだろうな……」。そもそも「苦労」とは捉えていなかったのかもしれない。
「身長差があることをわかって行ったし、監督もわかって(入学させて)いた。ディフェンスでどうしようもないと感じてしまうことはあったけど、そこはどうするも何もない。もう小さいというより、小さすぎる。頑張りようがなかったし、頑張ってもどうしようもなかった」
割り切っていた。どう抗っても、努力で背を伸ばすには限界がある。身長差を埋めるような戦い方は諦めるしかなかった。「(身長差を)大きく気にしなくなったのは高校時代。フォーカスしても何も変わらないので、自分にできること、良さを理解してそれを試合で最大限出すしかない」。コーチにも長所を伸ばすよう後押しされ、得たものを試合で出せるかどうかを評価された。
いいシュートを打てなければボールを回す堅実なチームスタイル。試合をコントロールするPGとして、コミュニケーションスキルを磨く必要性を教えられた。言葉も通じない環境で試合に出るためには、自分からアピールすることは絶対条件。飛び抜けた実力で自然と出番が回ってきた日本時代とは大きな違いだった。「ほんっとにシャイだった」という中学生が異国の3年間で成長。「性格的に変わったことで今の自分がある」と振り返る。
背の低い選手が比較的多いポジション。広い視野や判断力も求められる。昨シーズンのB1では、富山の山口祐希と並ぶリーグ最小。19年11月にはプロ通算4000得点、昨年12月にはB1史上初の3ポイントシュート成功500回を達成した。年俸1億円の価値を生む超攻撃的PG。今でこそ得点を量産するが、一つの転機はプロ入り時に訪れた。
「その身長で点を獲れないならいらない」、プロで突きつけられた指揮官の言葉
高校卒業後は当時bjリーグの秋田ノーザンハピネッツに入団。中村和雄ヘッドコーチから指摘され続けた。「プロとしてお前がこの身長でやっていくには、もうオフェンスしかない」。打たなければ怒られる。シュート、パス、ドリブル、在籍した1年半はオフェンスを磨きまくった。
「ディフェンスではマイナスしかない。オフェンスでどれだけプラスにできるかとずっと言われ続けました。もう自分はこのスタイルで生きていく。プロになってからそう考えるようになった。『その身長で点を獲れないならいらない』と言われて、そういう意識で試合をした結果が今の自分をつくっています」
自分にできることをやり続ける。いくらシュートがリングに嫌われても打ち続け、自分の確実な武器をつくり上げていった。2015年9月に千葉ジェッツと契約。またしても岐路に立たされた。
当時のヘッドコーチは富樫のプレースタイルに否定的。PGにはシュートよりも、チームの統率やパスを主に求めた。この時、22歳。“進路選択”を迫られた。「このスタイルをやめて試合に出るか、反抗してでも自分のスタイルを貫くか」。そして、自分の気持ちに素直になった。
「自分のスタイルのままプレーして試合に出られない方を選びました。でも、自分の中ではよかったのかなって。シュートを打たなかったら、そういう選手になっていく。そこは自分の良さではないと思っていた。シュートを打ち続けた結果、試合に出してもらえなくなりました(笑)」
今では笑って振り返るが、プレー時間は前シーズンの半分以下に。ただ、後悔はない。あの時、自分を貫かなかったら今の姿はないと断言できるからだ。結果的にチームは成績を残せず、シーズン途中にヘッドコーチが代わることになった。
自身の得点力を生かすには、味方のスクリーンなどサポートが必要。だからこそ、「バスケは5人でやっている。1人ではなくチームとして同じ意識を持ってやらないといい方向に進まない」と仲間に感謝する意識がある。「自分を貫く」というのは、単にわがままを押しつけることではない。チームに最も貢献する方法を考えた結果だ。
選択に正解はない、ジュニア選手へ「自分で決めたことは一番後悔しない」
平均身長が低い日本人。高身長が絶対的に優位なバスケットボールで、自身と同じような境遇の子どもたちは多くいる。チーム事情と合わず、自分のスタイルを貫くべきか迷う選手もいるはずだ。日本のトップに上り詰めたプレーヤーとして伝えられる言葉とは。富樫はこう語ってくれた。
「僕はシュートなどオフェンスが長所だと思ったのでやり続けましたが、全ての人がそうじゃないと思います。他の部分が長所の人もたくさんいる。自分が『こういう選手になりたい』という思いを持って続けることが一番大事なのかな。
スタイルを貫くのか、チームに合わせるのか、正解はないと思います。ただ、自分で決めたことは一番後悔しない。僕が凄く意識していることです。小さな事でも、大きな事でも何かを決める時、自分の気持ちに素直になって動くようにしています。僕は今後も自分が一番生きると思うプレーをやり続けたい」
2014年、田臥勇太に続く日本人2人目のNBA契約選手となったが、デビューはならなかった。NBAで活躍する八村塁(ウィザーズ)は203センチ。富樫は「俺だってその身長があればNBAに行けたのに」と冗談半分で言ったことがある。そして、包み隠さず素直な笑顔でこう続けた。
「でも、鼻で笑われて終わりました(笑)。憧れるというか、そりゃ大きくなれるんだったらなりたいなって未だに思います。小さくてよかったと思うことはないですね、本当に」
身長という“運命”には逆らわなかった。でも、自分の気持ちに素直になってバスケをしてきた。その選択が1億円の価値を生み、見る者を魅了している。(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)